第909回:明日は我が身、介護は身に迫る問題です
父はカンサスシティー郊外の豪華な老人ホームにいましたが、そこでも緊急事態の対応がスムーズでなく、かつ恋人を亡くしたこともあり、オレゴン州に住む弟夫妻と同居させることにしたのです。寝室はもとより、シャワー、トイレ、テレビのある居間、暖炉と独立したユニットが弟夫妻の家にありましたから、スペース的には理想的なのですが、元々父は人と一緒にいるのが好きな、というより一人で孤独を楽しむことができないタイプなので、朝起きるとすぐに弟夫妻の食堂、居間に行き、三度の食事、昼寝は彼らのリクライナーを占領し、夜寝る以外の時間はすべて弟の生活圏でベッタリ過ごすのです。
私たちは、弟夫妻の救済?のため半月ばかりオレゴン州に行ってきて、彼らがいかに大変な生活を強いられているのかを初めて実感しました。老人の介護、一緒に生活するのは24時間勤務、三度の食事の世話だけでなく、完全看護を一対一で行っているようなもので、とんでもない自己犠牲を強いられるものだと知りました。
私たちが滞在している間、弟夫妻は5日ほど海の見えるリゾートに息抜きに行き、決して愚痴を言わない明るい奥さんが、「私たちに、こんな息抜き休暇が必要だった」とポロリとこぼしていました。2月から4ヵ月間、少しボケてきた老人の面倒を診るのは心底から疲れることだったのでしょう。私たちのように2週間ばかりいて、良いとこ取りをするのはとても容易なことなのです。
父は長年教師をしていた年金と退役年金(朝鮮戦争の時に兵役に就いていました)でとても恵まれた経済状態にあります。保険もほとんど何でもカバーする素晴らしい最大限の保険に加入しています。
ですが、ミズーリー州からオレゴン州に移ってから、主治医を引き受けてくれるお医者さんを見つけることが非常に難しかったのです。また、アメリカで唯一と言っていいでしょうか、全米組織の優れた病院、退役軍人病院は車で40分もかかる町にしかなく、しかも予約は2ヵ月先まで満杯なのです。
緊急事態の時はそれ用の救急病院へ行けば良いことにはなっているのですが、父が呼吸困難になり、私が付き添ってそこへ行った時、廊下で7時間待たされました。冗談でなく、父はリノリュウムを貼った青白い廊下のベンチで死んでしまうのではないかと思ったくらいです。高い保険料を一体何のために払い続けているのか…と叫びたくなりました。
それでも、診断まで漕ぎつけることができたのは幸運だったのかもしれません。もし保険もクレジットカードも持っていない病人なら、頭から受け付けて貰えなかったことでしょう。
私はこれまで二度、二度ともウチのダンナさんをこコロラドの小さな町の救急病院へ運び込んだ経験がありますが、いずれも即対応してくれました。しかし、それがいかに幸運だったのか、今になって思い知ったのです。
アメリカの医療システム、健康保険は基本的に儲け主義のプライベートの保険会社が牛耳っているのです。
そんな大手の保険会社、ユナイテッドヘルスケアの社長ブライアン・トンプソンがニューヨークの路上で射殺されました。ヒルトンホテルでの会議を終え、玄関から出てきたところでした。犯行に及んだのは、ユナイテッド保険会社の保険に加入していながら、ユナイテッドヘルスケアが契約通り対応しなかったことに憤った一被保険者のルイジ・マンギオンという25歳の若者でした。
彼はアイビーリーグの学生だったこともあり、かなりのインテリに属する育ちの良い人物のようです。逮捕され、連行される時にもフードで顔を隠したりせず、憤然と顔を上げ、報道カメラに向かって何かを訴える仕草さえ見せていました。
このニュースに接した一般のアメリカ人は、人を殺すのは良くないが、ルイジ青年の怒りはよく分かる、医療保険会社が適切に処理しないために死んだ人は何百、何千にもなるのだからといったところでしょうか。ニューヨークやシカゴ、ロスアンジェルスの目抜き通りに豪壮なビルを構えている保険会社が爆破されても、あまり同情を買わないでしょうね…。
ダンナさんの母親は、日本の施設で後2週間で100歳になるところで亡くなりました。そして今、義理のお兄さんも介護(自宅ですが)が必要な状態にあり、表面的ではありますが、日本の介護システム、老人の医療のあり方を多少観る機会がありました。
まず、ケア・マネジャーが介護を必要とする家庭を訪れ、どのような介護、あるいは老人病に対処できるか、どのような施設、医療を利用できるかを説明してくれます。これは素晴らしいことです。第一、日本のケア・マネジャーは公的な仕事で、誰の利益にも関係していないのでとても信頼できます。
アメリカなら、基本的に営利主義の保険会社が介護保険を牛耳っていますから、広い情報を持っている公的な立場の人がいたとしても被保険者に中立的な忠告、助言をしてくれるのは難いでしょう。コンサルタント業はどこからか給料を貰っているのです。これもプライベートな企業の仕事なのです。
加えて、日本で往診が未だに行なわれていて、歯医者さんまで、器具を持ち込んでやってくれることです。往診は手間、時間がかかるので、どのお医者さんもやりたがりません。義理の母親の歯の治療に歯医者さん、歯科衛生師、機械類を運ぶ助手を引き連れてやってきた時には本当にびっくりしました。
フィジカル・セラピストも在宅訪問してくれます。これは診療所まで足を運べない老人や障害者にとても親切なことです。今、父に我々子供たちがお金を出し合ってマッサージを受けさていますが、それとて弟がそのマッサージ治療所まで毎回車で父を送り届けなければなりません。
それから、日本で偶然居合わせたのですが、介護が必要な家庭にどこに手すりを取り付け、トイレにどんなガードを取り付け、ベッドから起き上がれるようなリクライニングベッドにするかを忠告し、施工までしてくれる人、これはなんという仕事なのでしょうか?が来てくれることです。それも驚くほど安い価格なのです。きっと保険がカバーしてくれるのでしょうね。
弟が父のために整えたコモゴモの設備の総額たるや大変な金額に及んでいるのと比べると、日本のはまるでタダみたいなものです。
ダンナさんは、日本にも程度、レベルの低い儲け主義のヤブ医者は多いし、人口ピラミッドは逆さまの頭でっかちで、65歳以上が総人口の30%近く(2024年の統計では29.3%でした)を占め、良い老人ホームはなかなか入れない状態で、問題はたくさんあると言っています。
誰に対しても公平で、満足のいく介護などあり得ません。父は充分な年金があり、良い保険を掛けているだけ幸運だと言えます。加えて、弟を中心に娘三人で父を支えていますから、非常に恵まれた環境にあると言えます。
と同時に、以前父がいた豪華なコンドミニアムの養老院では得られないキメ細かいケアを家庭に入ることで得ることができている、それは弟夫妻の犠牲の上に成り立っているのですが、いくら問題があるにしろ、親が老いた時に同居できる子供がいて、子供や孫と暮らすのが一番だと実感しました。
と一般論を書いてきてから、ハテ? 我が身を省みて、子供がいない我々夫婦はどうしたらいいのでしょう? すぐにも我が身に跳ね返ってくる歳ではあることだし、実に切実な由々しき問題なのです。
-…つづく
第910回:復讐心と戦争
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