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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第154回:イビサのラクダ牧場

更新日2021/02/11

 

イビサは100%と言い切ってよいほど観光で成り立っている。これといった産業は観光業以外何もない。大雑把な言い方だが、観光客、避暑客が島に来なくなったら、島は破産し、潰れる。島で採れる農作物、漁業はか細く、人口2,000-3,000人も食えるか怪しいものだ。資源は燦々と降り注ぐ太陽と澄んだ海だけだ。

島の人間、イビセンコ、それに本土からの一旗組、出稼ぎ組はこぞって、少しでも多くの金を訪問者に落として貰おうとする。ない知恵を絞って避暑客から何がしかをもぎ取ろうとする。中には誰が考えても、当たるはずのない企業?を始めたりする者がいる。

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カナリア諸島、テネリッフェにあるラクダ公園(イメージ参考)

ミゲルは身長が優に1メートル80数センチはあり、しかも頑丈な体格を持ち、それだけでも、小柄なスペイン人の間にあってはとても人目を引く。おまけに豊かな黒髪の40男だから、モテないはずがない。ミゲルはカナリア諸島の出身で、そこで観光客相手の“ラクダ牧場”を開園し、それなりに成功していたと自身は言っていた。

どうもラクダと言うと、エジプトのピラミッドの前にたむろするラクダ使いが、ただラクダの背に観光客を乗せ、写真に納まったら最後、大枚をふんだくるイメージが付いて回る。それと同じレベルとは言わないが、カナリア諸島でそれをやり、当てたと言うのだ。

ミゲルのやり方は、牧場にレストランを設け、そこで島巡りの観光バスを止めてもらい、ついでにラクダに乗った写真を撮らせ、それなりの料金を取るというやり方だった。それには、観光バスを運営する旅行会社、そしてホテルとタイアップしなければならない。

バスで客を送って貰わなければ、流れの客がイビサでラクダに乗りに来るはずがない。もちろん、イビサに古来ラクダはいない。観光バスを送ってくれた旅行会社、ホテルへはキックバックというのだろうが、コミッションが一人につき幾らと、支払われる仕組みだ。

私がミゲルを知ったのは、ドイツ人女性のデニスを通じてだった。デニスはルーマニアからドイツに亡命し、ハンブルグの接客クラブのようなところで小銭を作り、イビサでカフェテリア、バーなど簡単に開けるし、半年商売でとても儲かると吹き込まれて島にやってくる大勢の北欧人、イギリス人の一人だった。

目鼻立ちがはっきりとした、まるでフランス人形のような金髪娘だった。娘と書いたが、恐らく三十路の坂は越していたと思う。デニスは街から近いロスモリーノスのビーチに日光浴に来たついでに、よく『カサ・デ・バンブー』に立ち寄ってくれた。
何度目かに来た時、ミゲルを連れて来たのが、彼と知り合うきっかけだった。最初の印象は、なんとマー、絵に描いたようなラテンマッチョと北欧美女のカップルがやってきたもんだと見惚れたほどだった。ミゲルはよく通る張りのある声で、スペイン語訛りのきつい英語を器用にあやつり、デニスを口説いていた。デニスの方はきれいな英語を話したが、スペイン語はからっきしダメだった。

夏前に、デニスは来ていないかと、ミゲルが一人でやって来た時、彼はカウンターのスツールに陣取り、私に彼の事業の一部始終を語ったのだ。その時、私は初めてイビサにラクダ牧場があることを知った。カナリア諸島で展開していた観光客相手のラクダ牧場をイビサに持ってきたのだが、ラクダの輸送がいかに大変なことで、お金がかかったか、しかし、このショーバイが軌道に乗ると、良い儲けになること、などなど、スペイン人独特の問わず語りの自己宣伝を繰り広げたのだった。

私は、彼の誘いに乗って、ラクダ牧場なるものを、好奇心から見に行った。サン・ホセに行く街道筋に大きなラクダをかたどった看板があり、松林の中を行くと、柵も何もない原っぱに前足をロープで繋がれたラクダが3頭いた。レストランは台所だけが小屋がけしてあったが、長いテーブルを2列に並べただけのダイニングホールというのか食堂は、陽除けの屋根こそあるが、壁のない吹き晒しだった。ミゲルはよく来てくれたと冷たいビールで歓待してくれた。

ラクダは、大型の家畜のすべてがそうであるように、近づくと異常に臭かった。おまけに手入れされ、訓練された馬なら、鼻面を撫でたりできて、可愛いものだが、この巨大な動物は、人を見下すように長いマツ毛の奥から大きな目で不審気に見詰め、臭いゲップを繰り返すだけなのだ。こんなボロボロのラクダ3頭がミゲルの資産なのだ。私は、イビサに新境地を開く面白い企画だ、成功を祈っている…と、心にもないお世辞を述べ、別れた。

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イビサ観光マップ(参考イメージ)

イビサは狭い。とりわけ地元の人、観光客相手のショーバイをしている人は、数あるレストラン、バール、カフェテリア、ディスコテカのオーナーたち、ホテルの支配人、従業員、旅行代理店の持ち主、果ては銀行家、銀行員の面々まで、どこかで繋がっていて、程度の差こそあれ知り合いだ。『カサ・デ・バンブー』にイビサで一番大きな銀行のオーナー、アベル・マツーテスも奥さんや友人、同業者を連れてよく来てくれた。

時勢に疎い私は、ぺぺに「お前、あれが誰だか知っているのか? イビサの半分は牛耳っているカシケ(Cacique;ボス、首長、部族や暗黒街の親分)だぞ」と諭されるまで、ハゲ頭の中年男がアベル・マツーテスだとは知らなかった。

彼が連れて来たのが『ヴィアヘス・イビサ』(Viajes Ibiza;イビサ旅行代理店)の社長ホアニートで、私がシーズンオフに島を離れ、旅に出る度に彼の代理店を通して航空券、船便の予約などをするようになった。インターネットが出現するはるか前のことだ。

ホアニートも家族連れで『カサ・デ・バンブー』によく来てくれた。彼が企画し、作り上げたイビサ観光案内の薄いパンフレットに、珍しいレストランとして、『カサ・デ・バンブー』を掲載し、紹介してくれたりした。そのパンフレットにデスコテカ、ナイトクラブ、レストラン、ビーチ、ホテルがあるのにユニークなラクダ牧場が載っていないのだ。

そのことを指摘すると、まず決して人を悪く言わないホアニートが、「あの手の人間とは関わりにならない方がいいぞ」と、忠告してくれた上、ミゲルのラクダ牧場の昼食はワイン、“サヴィン”(SAVIN;安ワインの代表でミネラルウォーターより安い)だけは飲み放題だが、パエリャは黄色い色つきご飯で、送り込んだ客の100%がクレームをつける。それにすべてが不潔だ。衛生観念の厳しいイギリス人、北欧人にはとても我慢がならない…。さらに加えて、オプションのラクダに乗った写真も先にお金をとり、夕方にはホテルに届けることになっているが、期日通りに届いたことがない…云々…と、ホアニートには珍しく憤りを見せたのだ。余程苦い思いをさせられたのだろう。

他のイギリスの旅行代理店のオーナーも、「アイツの名前も聞きたくない」と言い、カナリア時代に代理店を通じてミゲルを知っていたエージェントは、「ミゲルはカナリアで借金、契約違反を繰り返し、首が回らなくなって、逃げるように去ったんだ」と言うのだ。ミゲルは3頭のボロボロラクダを引き連れて、イビサで出直すつもりだったのだろう。

ミゲルのラクダ牧場は1年と持たずに潰れた。ミゲルは3頭のラクダと伴に他の島か避暑地にでも行ったのだろうか、どうなったかは知らない。

恋人のデニスのお腹に置き土産を残し、ミゲルはイビサから消えた。もともと、カナリアに奥さんと、何人だかの子供を持っていたのだから、ひと夏の大人の遊びだったのかもしれない。そう言えば、『カサ・デ・バンブー』への支払いは、いつもデニスがしていたことを思い出した。

その後、5、6年経って、デニスが5歳くらいのキリットした黒髪の少女を連れてひょっこり『カサ・デ・バンブー』にやって来た。デニスはドイツに帰り、赤ちゃんを産み、そこで育てていると言うのだ。「今では、この子が私のすべてよ」と、それなりに歳を取り、小じわが増えた疲れた表情で言うのだった。


 

 

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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