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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第155回:銀行との長い付き合い

更新日2021/02/18

 

今、思い起こしてみれば、イビサで浜辺のカフェテリア『カサ・デ・バンブー』を開くまで、日本で銀行に足を踏み入れたことも、預金通帳を持ったこともなかったことに気が付いた。貧乏学生だったし、銀行に預けるようなお金を持ったこともなかった。アルバイトで得たお金は机の引き出しに放り込んでおくか、本の間に挟んでいた。クレジットカードなるものはすでにあったとは思うが、それは大金持ちが海外旅行をする時にでも使う、天上世界のことだった。もちろん小切手など持ったこともなかった。

いざ、自分が外国へ出る段になって、全額をキャッシュで持ち歩くことの危険性を諭され、大半をドルのトラベラーズチェックにし、ジーパンの内側に自分で縫いつけたポケットに入れ、持ち歩いたのだ。物々交換からやっと一歩進んだような、それほど低レベルの現金主義が私の経済感覚だった。

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サ・ノストラ銀行(参考イメージ;クリックで最近の店舗)

それが、いくら小さいとはいえ、ジョーバイを始めるとなると、銀行と関わることなしにコトを運ぶことはできないことに気が付いたのだ。先ずは当座預金口座を開き、小切手帳を発行して貰わなければならない。貯蓄銀行(Caja de Ahorros)である『Sa Nostra』(サ・ノストラ)を選んだのは、ロスモリーノスから降りて、バラ・デ・レイ通りに出る角にあるという、交通の便が良いという理由からだけだった。今、インターネットを覗いてみると、イビサ全島に51の銀行があるが、私が住み着いた時、イビサの町に確か四つしか銀行はなかったと思う。

窓口で私が口座を開きたい旨を告げると、奥の支店長室のようなところに通され、スペインの在留許可証(residencia;レジデンシア)とパスポート、『カサ・デ・バンブー』の営業許可証の提示を求められ、さりげない口調で、毎日幾らくらいの売り上げを見込んでいるか、収益を何かに投資する意向があるか、当面どのくらいの金額を口座に入れるか、などなどを訊かれ、“ようこそ、我が銀行へ!”とばかり握手され、15分ほどで預けた金額が打ち込まれた通帳と、小切手帳を手渡してくれたのだった。

日本のようにティッシュ・ペーパーやボールペン、手帳などはくれなかった。ナーンダ、銀行に口座を持ち、小切手を切れるようになるのはこんな簡単なことなんだ、というのが私の印象だった。その時、相手をしてくれた支店長の名前はどうしても思い出せない。それから『Sa Nostra』との長い付き合いが始まった。

イビサだけでなくスペインで制服を着ているのは、オマワリさんと兵隊だけだ。銀行員にも制服などはなく、私服といえば聞こえは良いが、テンデバラバラ自由な服装で働いている。男でも背広を着ているヤツはいない。朋友ぺぺに言わせれば、「こんな暑い避暑地で背広を着込んでヤツは信用するな」ということになる。男性の銀行員は半そでカッターシャツにコットンパンツ(ズボン)、女性の方は年齢と体型、ファッションセンスにより、それぞれ意匠を凝らした服装、あるいは自分に似合っていると思い込んでいる服装で、半数はパンタロン(ズボン)にブラウス姿だ。中にはヒッピーファッションできめている女性もいれば、そのまま夜のクラブにでも出向できそうなほど、胸元をVの字にグッと開け、オッパイを強調していたりする。

毎日、そうでなければ1日置きに売り上げを持って銀行に行っていた。夜間金庫(営業時間以降に売上を投げ入れる郵便受けのようなもの)は当初なかったので、結果、カウンターの向こうに陣取っている預金係と自然親しくなる。預金受付担当は当時3人いた。

フォアンは小太りの中年男で、鼻からズリ落ちそうなメガネをしきりに右手の人差し指で上げながら、愛想よく丁寧に対応し、週末に売り上げが多かった時には、「オオ、なかなか景気が良いな…」と軽口を叩いたりした。フォアンはでっぷりと太った奥さん、将来確実に母親の体型を継承するであろう、小太りの娘二人を連れて、『カサ・デ・バンブー』に来てくれた。

カテリーナは、すべてが大づくりな妙齢の女性で、頬の膨れた大きな顔、バーンと張り出した腰、絵に描いたような多産系の体つきをしていた。最初はどこか取っ付きにくいところがあったが、ある時、これまた大男のダンナを連れて『カサ・デ・バンブー』に来てくれ、それから急に愛想が良くなり、私が銀行に足を踏み入れるやいなや、にっこり微笑み、「ブエノス・デイアス(こんにちは)!」と真っ先に声を掛けてくれるようになった。

もう一人のビセンテは、若く利発な青年で、シーズンオフに近づくと、残金の幾らかを定期預金に切り替えないか、今、利子がとても高いので、良い投資になるなどと、いろいろな投資商品を紹介してくれたりするのだった。元々カフェテリア商売で大金が残るはずもなく、毎冬、5ヵ月の貧乏旅行で使い果たす程度の預金だから、投資に回すお金などなかったが…。

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番犬としては問題アリの老犬アリスト

私は夜、店を閉め、その日の売り上げを預金通帳、小切手と一緒に赤いビロードの巾着袋に入れ、自室の枕元にあるステレオセットのアンプ、チューナーの後ろへポイと入れていた。まさか泥棒が入るとは思わなかったし、万が一泥棒が私のワンルームアパートに侵入しても、枕元のすぐ脇にあるステレオアンプの後ろの赤い袋を目に留め、それを盗るとは想像もしていなかった。それに、年老いたとは言え、まだ迫力のあるボクサー犬、アリストが一緒にいたのだ。

ところが、ある朝、赤い巾着袋が見事に消えていたのだ。役立たずの番犬アリストは、メス犬の後でも追いかけていたのだろう、その晩帰らず、侵入者は寝ている私の頭から1メートルと離れていないところから、売り上げをかっさらって行ったのだった。

売り上げの方は、まだ諦めがつく。だが、冬場の旅行のためにチマチマと貯め込んでいた預金に手を付けられたら大変だ…と、慌てて銀行に駆けつけた。処理してくれたのはビセンテだった。警察へ盗難届けを出し、その証書を貰って来い…などとは一切言わず、預金を凍結し、引き出されていないのを確認すると、即座に別の口座を開いてくれ、その口座から引き落とせるよう別の小切手帳を作ってくれたのだった。よって被害は1日分の売り上げで済んだのだった。

惰眠をむさぼっていた私の枕元からあっさり盗まれたことで、傷ついたのは私の自尊心だけだった。ぺぺやギュンター、キーカたちから大いに笑われた。同情してくれた者は誰もいなかった。

『Sa Nostra』とは私がイビサにいた間、関係はズーッと続いた。フォアンの娘たちが色気付き、ノビオ(nobio;恋人)を連れて『カサ・デ・バンブー』にやってくるようになったし、カテリーナは予想通り、赤ちゃんをドンドン産み続け、私のイメージにあるカテリーナはいつも大きいお腹を抱えているのだった。いくら優秀だったとはいえ、あの若さで、30歳少しでビセンテは支店長になった。スペインに年功序列など存在しないことは知識として知ってはいたが、万年預金受付カウンターの向こうにいるフォアンが、なんだか可愛そうな気がした。

老犬アリストに「オメー、もう少しマジメに番犬役を果たせ、親切で優秀な『Sa Nostra』の銀行員を見習え!」と言ってみたが、とても分かってくれたとは思えなかった。


 

 

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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