第20回:夜の昼メロ? テレビドラマにはまる日々
更新日2005/09/15
こんにちは、めだかです。
ブラジルのゴールデンタイムの王様は何と言ってもドラマ(Novela「ノヴェーラ」)。夕方6時頃から10時過ぎまで、途中にニュース番組をはさんで、あとはずらっとドラマが並ぶ。しかも週1回の放映などではなく、月曜から土曜まで毎日1時間、半年以上続くという連続ドラマだ。そんなの見続けるだけでも大変そうだけど、視聴率50%以上なんて番組もザラで、10代の子からおばさん、おじいさんまでみーんな見ている(若い男性はそうでもないが)。
歴史ドラマや青春ものもあるけれど、主流はベタドロの昼メロ路線で、不倫、略奪愛、親子の確執、隠し子、記憶喪失、陰謀、殺人etc.と何でもありの世界。最初の頃は言葉もわからないし、毎日なんてとても無理だわとななめ見状態だったけど、ポルトガル語の勉強のためにはちゃんと見なくちゃね、とだんだんまともに見出したら…。「ふーん、よく聞き取れなくても何となく話はわかるもんだな、ほー、彼と彼女はこういう関係なのね、ふんふん、えー、そんなことになっちゃうのー、信じられないー、うーん、明日はどうなるんだろう…」てな感じではまってきてしまったのだ。
とにかく延々と続くドラマだから、主役とその周辺だけを描いていてはとても話がもたないし、視聴者も飽きてしまうので、登場人物が妙に多く、主役を中心としたメインストーリーAの他に、隣人家庭でのストーリーB、故郷の町でのストーリーC、友人関係でのストーリーD…という風に話が重層的構造になっている。だから、こっちではドロドロの不倫劇、あっちでは仲睦まじい家族の姿、むこうでは少女の淡い初恋、みたいに同時に複数のエピソードが進行し、飽きさせないのだ。
そして話を面白くするためだろうけど、立ち聞き、盗み聞き、盗み見が横行し、期せずして衝撃の事実を知ってしまう!パターンが多い。障子にふすまの日本家屋ならわかるけど、しっかりしたドアのあるブラジルの家でどうしていつもそんなことができるの? それに都合のいい偶然もやたら多く、「あり得ないよ~」と突っ込みを入れたくなること多々あり。でもこうやってテレビに文句言いながら見るのが醍醐味なのかも。
ブラジル人の友だちはノヴェーラは嘘臭いからいやだと言っていた。登場するのはいつもリオデジャネイロ辺りの信じられない程の金持ちばかりで、しかもヨーロッパ系が中心。アマゾンが(もちろんベレンも)舞台になることなんてないし、インヂオやアフリカ系の人やふつうの庶民がメインになることもない…。確かに言われてみればその通りなのだ。とは言え、他に選択肢もなく、何より語学の勉強に必要だし、そういうことは踏まえた上で見ていこうと割り切ることにした。
ところで、ノヴェーラに登場する悪役はどこまでも「ワル」だ。ニホンのドラマだと徹底的な悪人ってあんまり出てこなくて、敵役、悪役でも最後に改心したり、やっぱりそんなに悪い人じゃなかった、みたいにまとまることが多いけど、こっちの悪役はいつまでも徹底してワルイ奴なのでかえって気持ちがいい。
ヒロインを陥れることに情熱を燃やす性悪母娘
この憎々しげな笑顔がたまりません。
面白いのは登場人物によってテーマ音楽が決まっていること。あの髪の長い美人の子が出てきた時はボサノバ風の曲、倦怠期を迎えたこちらの中年夫婦の時はけだるい曲、マッチョな彼が登場するのはこの曲、という具合。このパターン化もなんだかおかしい。
そして何と言ってもノヴェーラに欠かせないのが「Amor(愛)」。恋愛体質とでも呼びたくなるような人々が、あちこちで常にくっついたり離れたりを繰り返している。「あれ? あんた、こないだまであの彼と一緒だったじゃないの! 今度はこの人?」、「おいおい、どうしてそこでくっつくかなぁ」なんて、またまた突っ込みたくなる。
いわゆるラブシーンにはいつまでたっても慣れない。特に過激な描写というわけではないんだけど、キスシーンの多さ、長さ、濃さには辟易する。ロマンチックな音楽が流れ、見つめ合い、抱き合い、そして…。その後がしつこい。まるで食い合っているかのような二人の顔が延々アップで映し出される。キスはポルトガル語でBeijoというが、まさに「べいじょ~」という感じでその音も激しい。目のやり場に困るというか、もう勘弁してよーという気分。こんな場面に濃厚なラテン気質を感じてしまう。
夜這い青年と中年女性の禁断の逢瀬
こんなシーンばっか。
それからみんなよくしゃべる。愛を語るときも、不実をなじるときも、喧嘩するときも、なぐさめるときも、とにかく言葉を尽くして自分の気持ちを伝え、相手の気持ちを知ろうとする。「以心伝心」とか、「言わぬが花」とか、そんなものはここではあり得ない。そういう姿を見るのもブラジル社会を知るいい勉強になっている。何でも口に出して言わなきゃ始まらないんだな、と身に沁みて感じる(実行するのはなかなか大変だけど)。
前に友人がニホンの番組を録画して送ってくれて、久々に母国のドラマを堪能したのだけど、その時に自分の見方が今までと少し違ってるのに気づいた。別れ際に見せた寂しげな笑顔、一瞬そらした視線、何も言わず差し出した右手…。ああ、そんなしぐさや表情が百の言葉よりも想いを伝えているよなぁ、ラブシーンだってすぐぶっちゅうぅぅなんてのじゃなくて、目と目が合い、しばらく見つめ合うだけで、二人の気持ちが通じ合っているのがわかる…。ああ、いいなぁ、こうじゃなくちゃなぁ~と打ち震えつつ見ていたのだ。
ずいぶんラテン世界にも慣れてきたつもりだったけど、根っこの方ではやっぱり小津安二郎的世界の住人のままだったとよくわかった。こうして新たな自己発見をしつつも、熱く、激しく、鬱陶しい(?)ノヴェーラを見るためにいそいそとテレビの前に座る毎日なのです。
第21回:アマゾンの中の日本