第122回:先生、先生、それは先生
更新日2008/06/19
先日、私が所属している飲食業組合の総会に出席し、その後催された懇親会での話である。総会は、毎年この時期に、新宿の高層ビルの中では最も古参のホテルで行なわれている。
始めに、いつもながら国会議員、都議会議員などの「先生」方を始め、夥しい数の来賓の挨拶がある。列席の組合員一同、上を見たり下を見たり、また目を閉じたり開けたりを繰り返し、何回かあくびをかみ殺したその後に、ようやくのことで乾杯となる。
段々と料理も運ばれてきて、30を超すテーブルのあちらこちらで笑い声が起こり出し、そのうちに名刺交換などが始まって、場が和らいだものになってくる。
頃合い良く、司会者がアトラクションの始まるのを告げ、舞台には芸人さんが登場してきた。彼は、ダボシャツに腹巻、ダブルの背広を引っかけて帽子に雪駄という出で立ち。国民的人気映画の主人公を始め、いくつかの物真似を披露してくれる、芸歴40年という芸人さんだった。
十八番の寅さんネタを始め、いくつか楽しい笑い話と歌で席は盛り上がっていく。彼が淡谷のり子の歌まねをして、次の芸に入ろうとした時、動きがあった。司会者からストップがかかったらしい。
芸人さんは、「ここで事務連絡か何かがあるらしいです。ここで終われと言うことですね。じゃあ、終わります。ありがとうございました、ハイ」と言って、身の回り品をまとめて下手に下がってしまった。
みな様子が分からず、キョトンとしていると、司会者が、「途中ですが、ただいま国会議員の○○先生においで頂いたので、一言ご挨拶を頂きたいと存じます。先生どうぞ」とアナウンスした。
芸の途中である。中断させるとは無粋なことだと非難されることを承知で、司会者は「先生」のスケジュールの都合を鑑みて紹介せざるを得なかったのだろう。汗をぬぐいながらの紹介だった。
しばらくして登壇した国会議員は、「私は強く言ったんだ、司会の人に。芸の途中だから後にしてくれと。芸人さんを途中で止めさせるのは失礼ですよね、みなさん」と切り出し、それでも当たり前のように、朗々と挨拶を始めた。
「こいつは最低の男だな」と私は思った。この「先生」がこの時しなくてはならないこと。それは、定時に入っていれば何のトラブルも起きなかったのだから、まず遅刻してきた事を詫び、そのことにより芸を中断する決断をさせてしまった司会者をフォローすることだろう。しかし、彼は自分を一切省みず、立場が弱い人間のせいにした。もちろん、こういう輩は、すぐに挨拶させなければ機嫌を損ねるに決まっているのだ。
そして、挨拶が終わると、「淡谷のり子さん、淡谷のり子さん(彼は芸人の名前を当然知らないので、直近の物真似していた歌手の名を連呼する)、さあ芸を続けてください。こうして、淡谷のり子さんの歌を、会場のみなさんが聴いていても、聴いていなかろうが、たんたんと芸を披露していく。いやあ、芸人さんというのは実に立派なものだと思いますね、僕は」…。
無神経の極みである。こんな男に票を入れる人がいるのかと思っただけで気分が悪くなった。それでも、芸歴40年の芸人さんは、「はい、はい」と言って、芸を再開した。こんな失礼な人々を、今まで何百人と見てきているのかもわからない。
ところで、何だか「先生」方は、その感覚において、私たちと大きなズレがあるような気がしてならない。あんな大時代的な物言いが、私たちに響くものだと本気で思っているのだろうか。そうは思っていないのだろうが、あの普通の人では恥ずかしくなるような物言いの形式が、結局のところ効果があることを知っているのだろう。
「粛々と」という言葉を彼らはよく使いたがり、この日もよく耳にしたが、はっきり言って私は、今日こんな言葉を使っている人を全く信用できない。しきりにテーブルをまわっては「頑張ります、頑張ります」と握手を求める。この人たちはきっと「頑張る」のだろうが、正直それは私たちのために頑張ってくれているとは到底思えないのだ。
別の総会での話。これは地元の区での食品衛生協会での出来事だった。
こちらも何人かの国会議員が列席したが、この日は、今回は岐阜で二人立てるわけにはいかずこちらで立候補することになった「何とかチルドレン」の女性衆議院議員候補も来ることになっていた。
ところが本人主催ではない会合が長引き、その会には出席が叶わなくなったらしい。彼女の女性秘書が、列席者にはらはらと涙を流しながら謝った。「本人もみなさんにお会いできるのを心から待ち望んでいたのですが、どうしても会議の席を外すことができずに『誠に、誠に申し訳ございません』とのことでございました。本当に申し訳ございません」。
私には、涙の意味が理解できなかった。実際のところ、こんな小規模の総会に出席できなかったとしても、彼女の陣営にとってはたいしたことではない。第一秘書として、そんなによく泣く女性を雇っているとも考えにくい。
穿った見方をすれば、列席者の感情に訴えたひとつのパフォーマンスと言えなくもない。そうであれば、その秘書にはどこかにスイッチが付いていて、「ON」にすれば、必要量の涙が出てくるとか。そんなふうにも考えたくないなと思いながら、釈然としない思いでその会を終えたのである。
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