第82回:復活、吉野家の牛丼 更新日2006/10/05
先日、久し振りに吉野家の牛丼を食べてきた。吉野家は今まで2日ほど、スポット的に牛丼の販売をすることがあったが、その時はわざわざ並んで食べるというのが気持ちの上で億劫だったので、見送っていた。今月からは月初めの5日間は定期的に牛丼のみを販売するということで、月曜日の日に覗いてみたところ席に空きがあったため、入ってみた。
アメリカ産牛肉の輸入が決まって間もなくの、平成16年(2004年)2月から販売を中止していたそうなので、約2年8ヵ月ぶりの吉野家牛丼だった。開店から途切れなくお客さんが入っているのだろう、牛肉に汁の味が充分に浸みきっていない薄い味わいだったが、「ああ牛丼、戻ってきたか」と、それなりの感慨はあった。
私の吉野家牛丼との付き合いは長い。(偉そうに語ることではまったくないが)吉野家が最初にフランチャイズ店を出したのが昭和48年(1973年)4月とのことで、私が最初にその牛丼を食べたのが、上京後間もなくの昭和49年(1974年)10月だから、比較的早い時期からと言えると思う。
中央線の吉祥寺店だった。確か、当時東京神学大学の学長をされていた竹森満佐一牧師の吉祥寺教会で、礼拝を守った後の昼食だったと思う。「旨い、本当に旨い。こんなに安くて旨い食べ物があるのか」、まさに感激だった。当時は並盛200円。販売中止する前の価格280円とはいろいろな意味で比較できないが、当時の他の外食の価格とくらべても、それはかなり安い値段だった。
あれから、一体どれくらい食べたことだろう。延べて考えて月に2、3食は食べていたから、年平均30食として、販売中止までに約900食近くは食べたことになる。牛何頭、玉葱何個分になるのだろうか。
このところ、牛丼のなかった頃は、主に豚丼や豚肉のあいがけカレーというのを食べていた。(まったくの余談になるが、吉野家のカレーは実に旨い。経営母体会社がカレーハウスやカレーうどんのフランチャイズ店を展開しているほどで、巷にあるカレースタンドにはひけをとらない味だと思う)。
豚丼を食べるときは特盛。これは以前の牛丼の時も同じだったが、復活後しばらくは牛丼には特盛がないようなので少しの我慢が必要である。まだ特盛が普通に食べられていたときを思い出して、そのときの心情を少し書いてみよう。
いつも職場のある自由が丘店に入り、注文は決まって「特盛りに玉子ください」である。ほんのたまに、お新香か、ゴボウサラダなどのサイドオーダーもするが、基本的には、特盛りに玉子。この特盛なのだが、ときどき問題点が発生する。盛られた牛肉が丼全体を覆っていないで、白いご飯が見えるときがよくあるのだ。牛肉が少ない!! 私には、これがどうしても納得できない。
特盛は540円。並盛は280円(当時)だから、あと20円足せば二人前になるという価格を払って一人前を食べている。即ち心意気で食べているのだ。そこのところが、盛りつけの人には全然分かっていない(ことがある)。
「ちょっと、ちょっと、お兄さん。俺はあんたの生まれる前からこの店の牛丼食っているんだ。中途半端な食い手じゃないぜ。その人に向かってなんだ、この盛り方は!」と、一度一喝してみたいのだが、小心者の私にはそういうことはできない。白く見えている御飯の部分を山から崩した牛肉で覆い隠してから、かきまわした玉子をかけて紅生姜を脇に盛り、最後に七味をふって、やおら大口で食べ始める。
もうひとつ、ここ数年の「つゆだく、ねぎだく」などの特殊な業界言葉も、私にはしっくりこない。そもそも「吉牛」という短縮形も好きではない。
高校生の女の子が「並ぃ。つゆだくぅ、ねぎぬきぃ」などと注文しているのを聞くと、「ちょっと、ちょっと、そこの女子高生。俺はあんたの生まれる10何前からこの店の牛丼食っているんだ。牛丼は具のバランスを吟味した完成された食い物だ。それをガタガタ訳の分からぬ注文付けるな。それと、グチャグチャしゃべらず、直向きに食えと言っているんだ」と、言いたいところだが、実際の私は、ニコニコしながらお茶など啜っているのだ。
もうひとつ本音を言うと、〔これはある方面の方々から大非難を浴びるかも知れないが〕、あの場では女性と同席したくない。思い切り油断して、大口開けて食べたいのに、女性がいるとそれが叶わない。私のことなどに誰も関心を示さないのはよく分かっているのだが、自意識過剰なのか、とても恥ずかしい。男子禁制の甘味処があるように、その逆の吉野家があってもいいと思うのだが。
勝手なことを書いたが、最後に最近の話。牛丼のない時だから、豚丼の特盛と玉子、その時は味噌汁も頼んで食べ始めたが、ふと気がつくと財布を自分の店に置いてきてしまったことに気がついた。急いで店員の方に事情を話し、「食べ終わった後(財布を)取りに行かれても結構ですよ」と言われたが、それも悪いと思って、食べている途中で自分の店に一旦戻り財布を持ってきた。
吉野家に帰り続きを食べようとしたとき、「味噌汁冷めてしまいましたね」と言って新しい味噌汁と取り替えてくださった。私は深く頭を下げ、その温かい味噌汁を腹に流し込んだのだった。
第83回:自由が丘の祭