前作『きまぐれ』で版画家として、また表現者としての力量を遺憾なく発揮したカロは、同じ時期1618年に、それとは全く異なる、トスカーナの田舎の風景と庶民の暮らしを描いた作品を、ジョバンニ・ディ・メディチ王子に捧げる形で制作します。これはそれまでのくっきりとしたペン画のような線による動的な版画ではなく、柔らかなタッチの、まるで水彩画のような静かな印象を備えた作品でした。どうしてこのような作品を敢えて制作したのかはわかりませんが、おそらくカロは版画表現の可能性をさらに広げたかったのでしょう。
カロは版画の下絵、あるいは構図のヒントや画の着想を得るために実に多くのデッサンをしています。それにはかのレオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンがそうであったように、ガチョウの羽根のペンで茶褐色の烏賊墨《セピア》を用いて描いたり、赤い色のチョークを用いたりしていますけれども、その柔らかな感じを版画にも取り入れたかったのかもしれません。ともあれカロはこの時期に銅版画のあらゆる技法を開発し極めていて、それはその後の版画表現の重要な技術的基盤となりました。
ちなみにこの一連の風景版画は、前作と同じく、大公から依頼されたものではなく、カロ自身が発想し、自らの新たな試みの成果として王宮に献上したものです。その際の王子の後見人にあてた手紙が二通、1875年にウフィツィ宮の資料室で発見されていて、そこには「ちょっと未熟なところもあるので気に入ってもらえるかどうかはわかりませんけれども、至らない点については、これからできる限り改良に努力しますし、これからもお仕えすることをお許しいただきたいので、その旨をあなたから王子に伝えていただければ幸いです」というようなことが記されています。幸い王子には気に入ってもらえたようで、二通目の後見人への手紙には、「殿下にお仕えするということが私の一番の願いなので、気に入っていただけたことは何より嬉しいことです」と書きつつも、同時に、「自分が費やした時間や努力の対価として150タラーを払っていただくことを、あなた様からおっしゃっていただきますようお願いすることをお許し下さい」と続けているあたり、なかなかしっかりしています。
ただ、大公お抱えの版画紙が、頼まれてもいない版画を作成するというのは、カロにそれだけ向上心と独立心があったことの表れのようにも思います。つまり版画は同じものを何枚でも刷ることが可能ですから、もし大公や王子が気に入ったというお墨付きがあれば、そしてもしそれを欲しいという人が現れれば、その人のために新たに刷って売る事も可能です。
このころからカロは、のちにゴヤが試みたように、必ずしも王侯に使える身分としての版画家ではなく、自らの作品によって生きていく自立した表現者になることを模索していたように思われます。また意欲的な作品を敢えて王子に献上している事も含めて、コジモ二世が病弱だったということも、このころのカロの行動に関係しているようにも思われます。
作品の中から四点を紹介します。タイトルは上から順に『庭(8.45×21.7)』『小さな港(8.5×22.1)』『水浴び(11.7×25.3)』『水車小屋(11.7×25.2)』です。
どれも長閑《のどか》なトスカーナの田舎の風景です。しかし風景が絵画のメイン画題《テーマ》の一つとなるのは、基本的にターナーや19世紀の印象派以降です。もちろん古くから風景は描かれてきましたけれども、必ずしも自然や街の美を主題としたものではなく、基本的に背景としての風景でした。
絵画を発注できるのはヨーロッパでは王侯貴族や教会や富豪などでしたから、自ずと画題《テーマ》は肖像画や戦争における勝利などの歴史的事件や聖書の重要な場面や聖人などで、ルネサンス以降はそれにギリシャやローマの神話などが加わりました。また現在のオランダを中心としたフランドルでは商業が盛んになって商人が力を持ち始めたため、画題も拡大し、庶民の暮らしや、さらには果物や花などの静物画や狩の獲物などといった暮らしに身近なものも室内を飾るものとして描かれるようになりました。ブリューゲル(1525頃-1569)などが盛んに庶民の暮らしや冬景色などを描いていましたから、フランドルとの交流が盛んだったナンシー生まれのカロはそのような画題《テーマ》に親しみを持っていたのかもしれません。
しかしいわゆる自然や普通の街並みを描いた風景画がもてはやされるのは19世紀の写真の登場以降で、そのころ写真にはまだカラーがなかったので、印象派などは自然の光や色や形が織りなす美を盛んに描くようになりましたけれども、それまでは風景画は絵画の二義的なテーマにすぎませんでした。ですからカロがこの時代に普通の人々の普通の営みを配した風景画を版画として描いたということに私などは新鮮な驚きを覚えます。
たとえば『庭』という作品にはトスカーナの田舎の農家ののどかな日常の風景が描かれています。家の庭先には子どもを抱っこしている母親と、その兄弟の姿が見えます。井戸の右手の畑には畑を耕す人の姿も見えます。家も納屋も質素なごく普通の佇まいで、おそらくは一家は長い間この場所で暮らしてきたのでしょう。大きな木が家を護っているかのようです。
カロはここでは得意の誇張やダイナミックな構成を行なっておらず、まるで彼らの暮らしをそっと見守っているかのようです。しかし画の構図は、母屋と納屋や井戸の配置や畑とのバランスなどを含めて実に安定していて美しく、この場所での日々が、こうして穏やかにゆっくりと営まれていることに対する慈しみのようなものが感じられます。つまりカロはこの場所に、自然と人の暮らしが織りなす何気ないけれど確かな美を見出したからこそ、それをスケッチし、それにほんの少しの演出、たとえば手前の家畜などをさりげなく配し、そこから画の中心に向かって人を連続させて配するなどのカロならではの工夫をして版画にしたのでしょう。
それにしても、銅版画でこのような表現をしたということが、もう一つの驚きです。ビュランで彫ったり、鋭い先端を持つ道具で蝋やニスを削り取って酸で腐食させる銅版画は一般的にクッキリした線による表現が適しています。しかしここではカロは鉛筆画のような自然なタッチを実現しています。とりわけ明暗の表現が見事です。よほど工夫を凝らしたのでしょう。そしてだからこそ手紙に、さらなる改良に努めるとも書いたのでしょう。これは逆に、カロの自信の裏返しの表現のようにも思われます。

庭 (8.45×21.7)

小さな港 (8.5×22.1)
『小さな港』でも、おそらくは大きな街から少し離れたさびれた港町の日常の風景を描いています。大きな船で運んできたものを小舟で街に運び入れている、あるいは街で採れた農作物などを大きな船に積み込んでいるのでしょう。荷物を運んでいる人たちの姿や、釣りをしている人、右隅には鍋を火にかけている人もいます。この画も自然で穏やかで、そしてどこか温かな気配が漂っています。なおカロの画の全般に言えることですけれども、やはり構図が見事です。中央部を空けて遠近感と広大な空間性を創りだしてもいます。

水浴び (11.7×25.3)

水車小屋 (11.7×25.2)
『水浴び』では大勢の人たちが川での水浴びを楽しんでいます。アルノ川なのでしょうか、かなり大きな街の近郊なのでしょう。今まさに服を脱いで飛び込もうとしている人もいます。名もない人たちのありふれた夏の一日。それを画にし得る面白い対象として捉えたカロの目。
『水車小屋』の画も古びた水車小屋と、その周りで魚を取ったりする人々の日常が静かな、そして人間的な雰囲気を漂わせて描かれています。水車小屋の建物で影になった部分と明るい部分との対比が画に臨場感をもたらしています。立派な建築でも高名な人物でもないものを対象にしたこのような作品を見せられたフィレンツェの宮殿の人々は、はたしてどんな感想を持ったのでしょう。自分たちの領民の穏やかな暮らしと、トスカーナの自然の豊かさがにじみ出ているような作品に、意外に素直な喜びのようなものをもしかしたら感じたかもしれません。何しろここはルネサンス以降、領民を楽しませ、ヨーロッパの美と文化を牽引し続けてきたトスカーナなのですから。
ともあれ、カロがこのような画を遺してくれなければ、私たちが今、当時のトスカーナの郊外の風景や普通の人々の暮らしの一端をうかがい知ることはできませんでした。
-…つづく