サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵
第 4 歌 魔法の指輪
第 2 話: 魔城の秘密
さて前回は、妖術によって天を駆け、あらゆる人を倒す光を放つ魔法の盾を操る騎士の正体が、あらゆる魔術を無効にする指輪のおかげで、実は一人の弱々しい老人に過ぎないと見破ったブラダマンテが、老人の喉元に剣を突きつけ、怪しげな城や天馬やお前は何者か、と詰め寄ったところ、サラセンの若き騎士ルッジェロが、近いうちにキリスト教徒に改宗し、それを恨んだ異教徒たちに殺される運命にあり、城は老人が妖術の書の力でつくりだした城であり、それはルッジェロの命を救うためであり、そのためにルッジェロをさらったのだと、白状したところまでお話ししたのでした。
それを聞いたブラダマンテは、形相を変えて老人に、ルッジェロはどこにいるのか、ルッジェロが殺されるとなぜ思う、遍歴の騎士や村の娘たちをさらったのはなぜか、その力は何によってもたらされたのか、と矢継ぎ早に聞くと、やがて老人が語り始めた。
私の名はアトランテ、もはや私は老いて、この世に未練もなければ欲もない。ただルッジェロだけは手元に置いて護りたかったのだ。なぜならルッジェロをあのような騎士に育て上げたのは私だからだ。そこで難攻不落の、そしてひとたび中に入ったなら決して出ることのできない城の中に閉じ込めて、ルッジェロと楽しく余生を過ごそうと思ったのだ。
そのためにはと、若く美しい娘や楽士や、気が向いたときに手合わせをして楽しめる騎士もさらって閉じ込めた。そして全員に妖術をかけて過去の記憶を消し去ったのじゃ。老人はさらに続けて言った。
どうやらそなたは清廉な乙女騎士ブラダマンテ。
あのルッジェロが全ての記憶をなくしてもなお
その名をつぶやき続けている乙女であろう。
その乙女がルッジェロを助けに来たとなればそれも運命。
しかも魔力を超えた愛と運命の力のなせる技であろう。
だとすればもう私のような老人の出る幕はない。
かくなるうえはそなたに全てを打ち明けよう。
そなたに全てを与えよう。
そう言うと老人アトランテはブラダマンテを自らが先導して魔城へと向かった。
老人は岩山の上にそびえ立つ魔城の門の前まで来たが、そこには入らず、城を城壁のように取り囲む岩山の小さな裂け目の中に入って行った。なかには石の螺旋階段があり、降りたところの小部屋の奥に怪しげな呪文が彫り込まれた石棺があった。
アトランテが石棺の蓋を開け、中から壺を取り出すと、頭上に高く壺を持ち上げ、そして壺を石の床に叩きつけた。壺が粉々に割れ、その瞬間、幻術によって出現していた全てが、城も門も花咲く庭も何もかも、一瞬にして跡形もなく消えた。
そして岩山に、城に連れてこられていた人間たちだけが残った。ルッジェロ、グラダッソなどの騎士たちや若い娘たち、遠方の騎士サクリパンテもいた。全員に囚われる以前の記憶が戻り、そして城の中での記憶が消えた。
愛しのルッジェロが目の前に突然姿を現したのを見たブラダマンテは放たれた矢のように駆け寄り、そしてルッジェロも彼女の姿を認めてヒッシと乙女を抱き寄せた。
そして天馬。これは幻ではないと老人が言った。この天翔(あまかけ)ける馬の名はイポグリフォ。これは地の果ての荒れ地で見つけて儂が手なずけた天馬。だがこれももはや儂(わし)には無用。乙女よルッジェロよ騎士たちよ、そなたたちのなかで、もしこの天馬を操れるものがいればその者にイポグリフォを差し上げよう。
そう言われて騎士たちは、誰もが我先にと天馬に近寄ったが、手綱を取ろうとすると天馬はフワリと宙に舞い上がって、別の場所に舞い降り、それを何度も繰り返した。

騎士たちは、この天馬を手に入れればもはや無敵と誰もが必死に天馬を追ったが、天馬はそんな騎士たちの思惑をほころぶかのように宙を舞う。やがて凛々しき騎士ルッジェロが、私には天馬など必要ない、この乙女と、これまで苦楽を共にしてきた愛馬バイアルドがいれば、そう言って皆から離れた場所に立った時、不思議なことに天馬が、ルッジェロのそばに舞い降り、寄り添うようにして凛々しき騎士の横に立った。
ならばとルッジェロが、ヒラリと天馬にまたがると、それを待っていたかのようにイポグリフォが翼を広げ、そして勢いよく天に向かって飛び上がった。いくらルッジェロでも天馬を操る術など知るはずもない。振り落とされないよう、しがみ付いているのが精一杯。再会したばかりなのに、愛しのルッジェロが空の彼方に遠のいていくのを見て、清廉な乙女は悲しみと心配のあまり天を仰いだ。嗚呼、凛々しき騎士ルッジェロの命運やいかに……
この続きは第4歌、第3話にて。
-…つづく