第372回:日本で団地暮らしを始めました…
日本で年末まで暮らすことになりました。借りたのは元の日本住宅公団、今はUR都市機構という物々しいタイトルの付いた公の賃貸し団地アパートです。40数年たった古い8階建ての集合住宅、マンションですが、畳もふすまも新しく壁も塗り替えたばかりで、とても清潔で住みやすそうなところです。
ところが、見事なくらいガランドウで、天井の電灯もなければガスコンロも何もないのに驚かされました。面倒な契約を終え、鍵をもらいようやくそのアパートで生活し始めたのですが、初日、電灯がないので日が暮れると同時に良い香りのする新しい畳の上に横になり寝るよりほかありませんでした。
ところが、いったん新居?が決まり、私たちが住み始めたとなると、今まで持ったことない大型のテレビ、ブルーレイのDVDプレイヤー、冷蔵庫、ガスコンロ、食堂テーブル、椅子、布団、食器などがまさにアッという間に集まったのです。それはまさに天から降ってきたように、うちのダンナさんのお姉さんたち、甥っ子、友達が必要なものはなんでも持って行って…とばかり運び込んでくれたのです。私たちが住むコロラドの山小屋よりはるかに立派なモノに囲まれてしまいました。私たちがお金を出して買ったものは大根おろしのためのおろし金くらいです。しかも100円ショップで買ったのですが…。
私たちのライフスタイル(生活の仕方とでも言ったらいいでしょうか)には余りあるモノに囲まれ、無事に(無事なのは当たり前ですが)日本の団地で暮らし始めたのです。"住"の方はこれで安泰、"衣"の方は、私たち実用一点張り、ファション性がゼロに近い服装で十分間に合わせています。
さて"食"です。この団地アパートの下に大きなスーパー、パン屋さん、お弁当屋さん、ケーキ屋さんが入っているうえ、すぐ隣に2軒も大型スーパーがあるのです。今まで2ヵ月暮らしたクロアチアの島のモノが少ないうえ、バラエティーのない田舎の村となんという違いでしょう。日本のスーパーは、美味しいモノであふれています。
調理を必要としない簡単、便利で、しかも美味しいモノだらけです。お寿司やお刺身から揚げ物、サラダまであり、ウチは階下に大きな調理室を料理人付きで借りているようなものです。こんなに美味しいモノが豊富なところで、いったいどうやって日本人はあんなに痩せていられるのか不思議です。魚をはじめ野菜も果物も肉も、どれをとっても美味しいものばかりです。ただ一つ美味しくないのは値段だけです。もやしとキャベツ以外はやはりとても高く感じます。
わたくし事ですが、日本に住むのはこれで3度目になります。
初めての時、かれこれ40年も前のことになりますが、日本で暮らし始めたときは、見るもの聞くもの食べるものすべてが珍しく、新鮮な驚きの連続でした。大阪の郊外に古い日本的な二軒長屋を借り、初めて畳、押し入れの生活をしました。これが前世期の遺物のような畳で大量のノミの棲家でした。隣のおばあさんに教えられ、畳を剥がし(こんなことができる構造になっているとは知りませんでしたが)お天とうさんの下で良く干し、むき出しになった床板に新聞紙を敷き、DDTだか、殺虫剤の白い粉を撒き、なんとか先住していたノミとの戦いに勝ったのです。 また、ピーナツバターだと思って喜び勇んで買ってきたら、お味噌だったというな失敗もたくさんありました。
2度目は日本の大学で客員教授の仕事を得て、東京のど真ん中に1年間住みました。その時は日本人らしき面影を留めたダンナさんと一緒でしたし、何度もダンナさんの実家を訪れていましたから、日本の新鮮な印象はありませんでした。少しは日本通になっていたのでしょう。アパートは大学が用意してくれましたから、着の身着のままで生活を始めることができました。その時の問題は"食"で、東京のドがつく中心地にはスーパーマーケットなどないのです。義理のお姉さんに教えられ、生協の宅配ショッピングを利用し始めて、やっとコンビニ食生活にさようならできたのです。
今回は毎日のようにスーパーマーケットに行く生活をしています。そして、夕方6~7時頃行くと、魚、お弁当、揚げ物など20~30パーセント引き、多いときですと半額なることを発見し、もっぱらその時間に下に降りています。欲しいものを買うのではなく、割引で売っているものを買う習性がついてしまいました。毎日のように閉店前セールのお刺身、鮮魚を食べていておなかを壊したことがありませんから、かなり安全基準、期間にゆとりがあるのでしょうね。
それにしても、閉店までに売れなかった期限切れの大量の食品をどう処理しているのかしらと、余計な心配をしたくなります。深夜セールとか、深夜にホームレス無料プレゼントをしてはどうでしょうか。
そんなこんなで、快適な北海道の団地の生活を始めました。
第372回:日本女性の顔と声の話
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