第48回:ライオット・ショック2 ~GUNショップろう城
更新日2003/02/13
ベイブリッジ事件が終わり、パシフィックGUNショップに帰ると、そこには弾を買い求める人たちが行列をつくっていた。1991年1月の対イラク戦争の時と同じだった。危機管理でGUNを持っている一般市民が、こぞって自衛のための弾を買い求めるのである。
今回は、無差別に略奪を繰り返すデモ隊がその対象であることは明白だった。山下社長は、LAに出張中で不在だった。彼は大丈夫なのだろうか? ちょっと心配になった。
ショップでは、アレンとマイクが弾を求めるお客の対応に追われていた。
「早くカウンターに入ってくれ!」
私が、ベイブリッジで遭遇したことなど知る由もないマイクが叫ぶ。私は、素直にマイクに従うと、彼らと一緒にお客の対応に追われた。中には、女性のお客も多く、非力な女性は、GUNの力を借りなければならないのは仕方ないようだ。
特にダウンタウンで自分の店舗を経営している人たちは、今夜は自分の店舗を暴徒から守らなければならないため、武装してろう城する人が多いのだ。このように異常な自己防衛の習慣は、安全は無料だと思い込んでいる日本人には理解し難いものだろう。
今日のGUNショップの売上げは凄まじく、数万ドルの在庫が、夕方には殆ど売り切れてしまった。湾岸戦争時を遥かに上回った。夕方6時、店を閉めたマイクは、
「今夜は、ココに残るぞ。」
と、いきり立っている。今夜この辺りで、大規模な黒人デモがあるとの情報が入ったのである。つまり、この時期にGUNショップが襲われると、正に火に油を注ぐような状態にになるのは明白だった。警報アラームを付けて帰宅しても、今の状況では何の役にも立たない。当然、私も今夜は帰れないと思っていた。
そして、二人のスタッフに、私が先ほどベイブリッジで遭遇した事件を説明すると、カッとなりやすいマイクは、
「シェット! 野郎ども、上等だ!」
と言いながら、金庫の中から、マグナム銃、ショットガンから軍用の自動小銃までを出してきてカウンターに並べ始めた。
「戦争でもする気なのか?」
私は彼に尋ねた。
「オフコース。これは戦争だ!」
と弾を込めながらマイクは叫んだ。彼の黒人嫌いも半端ではなかった。この時私は、今回の事件の根本的な原因は、白人と黒人の両人種による感情的対立に始まったことを思い出した。表面上は、公民権法で黒人差別が25年以上前に完全になくなり、互いに共存しているように見える米国で、未だ肌の色の違いは大きいようだ。
その内、アレンも外部からの防弾のために、事務所にあった机やイスを店の中に山積みし始めた。しょうがなく、私も二人の“戦争準備”を手伝うことにした。用意した銃器は約20丁、安全装置を外せばすぐにでも撃てる状態である。弾薬は5,000発以上、店の弾は殆ど売り切れたので、私の判断でGUNツアー用の予備弾薬を工面したのだ。
しかし、これらの装備はあまりにも過剰で、一個中隊の軍隊と対等以上に戦える装備だった。ここまでしなければ、その時は精神的に落ち着かない状況だったのだ。
強力なバリケードと、銃器の準備が終わった我々は、気分的にも少し落ち着いた。外はまだ明るく静かなので、マイクとアレンは、ろう城が長引くといけないので、私を残して食料の調達に出かけた。事務所のTVを付けると、LAの火事や略奪などの惨事が、次々に映し出されていた。
不意に外から、GUNショップをノックする音が聞こえた。外を見ると三人の黒人が、店内の様子を見ていた。私は、一応GUNをホルスターに装備して、ロックされたドア越しに、
「今日はもう閉店ですよ。」
と、彼らに告げた。しかし、彼らは引き下がらず。黒人訛の英語で、
「弾が、欲しいんだ、弾が…」
と、店内の棚を指差した。閉店後に、しかも私一人なので、三人も店内に入れることはできない。再度断ると、彼らは、
「開けろ!」
と、ドアを叩き始めた。私が無視して奥に入ると、さらに何か硬い物でドアを叩く音に驚いた。それは、自分たちの拳銃をジャケットから取り出し、その鉄のグリップ(握りの部分)でドアをガンガンと叩いていたのだ。しかも、ドアのガラスを今にも割りそうな勢いであった。
私は、自分のGUNを抜かず、マイクが準備したレミントン870ショットガンを手にした。ショットガンは散弾銃なので、50m以内の接近戦では拳銃やライフルより強力なのだ。それが見えているのに、彼らは立ち去ろうとしない。その異常な緊張で、口の中が乾いた。そして、私は威嚇のため、ショットガンを腰の高さに構え、英語で叫んだ。
「GET OUT!」
しかし、彼らはショップへの進入をやめようとしない。このままドアが壊れて、彼らが店内に侵入すれば、私は彼らを撃たなければならないのだ。日本人の私が、黒人の彼らを射殺すれは、さらにこの後の事態も悪くなるのは明白だった。“頼むから、諦めてくれ”と、心の中で願った。そして、そのグループ中の一人が渾身の一撃で、ついに分厚いドアのガラスにピシッとヒビを入れてしまった瞬間、私は、ショットガンの引き金を引いてしまった。
「ドンッ!」
中に入っていた、ダブル・オー・バック(ショットガン最強の弾の名称)が、GUNショップの天井に直径30cmの大穴を開けた。咄嗟の判断で、彼を撃たずに、銃を少し上に向けて天井を撃ったのだ。ドサッと、内装の壁が落ちてきて周辺に飛び散った。GUNの威力を目の前で見せられたせいか、三人は一目散に退散してしまった。店内が真っ白い煙で覆われた店内で、私はショットガンを抱いたまま座り込んでいた。
30分後、
「何だ、この煙は?」
マイクとアレンが帰ってきて、すぐに叫んだ。
「この通りさ…」
と私は、手短に経緯を説明した。昼間の事件といい、私は何故かその日は運が悪く、危険と遭遇しやすいようだった。
「今夜は、奴らと全面戦争だっ!」
マイクは大声を上げた。
しかし、その夜、TVでは、黒人のロドニー・キング氏に暴行を働いた白人警官に対し、事態を重く見た裁判所が、彼らを急遽、有罪判決にするというニュースが流れた。それを境に、このデモは一気に終焉に向かったのである。
5日間の暴動の死者は55人。1,100軒以上の建物が炎上または崩壊し、被害総額は約10億ドルに上った。90年代に脅威の成長を遂げた経済優先の米国が、国内に抱えていた貧富の差や根強い人種問題を一気に表面化した事件だった。
また、私にとって、たとえ相手が悪人でも、人の命を奪わずに済んだのは唯一のラッキーであった。
第49回:カリフォルニア・ハイウエイ・パトロール