のらり 大好評連載中   
 
■ビバ・エスパーニャ!~南京虫の唄
 

第30回:モロッコの南京虫とシラミ その1

更新日2021/10/14

 

Morroco-01
モロッコ地図 タンジェからマラケシュへ

tanger-01
タンジールの野菜市場(1970年代)

スペインですでに南京虫の洗礼を済ませていた私は、モロッコの虫どもを甘く見ていた。バックパッカーの先達から、虫害を散々聞かされていたのに無防備のままイベリア半島南端のアルヘシラスからジブラルタル海峡を渡ってタンジールに入ったのだった。

タンジールの波止場を出るなり、スワッとばかり物売り、数ヵ国語を操る自称ガイドの少年や大人、ホテルの客引きに囲まれ、彼らを掻き分けるようにバスターミナル…と言っても広っぱに数十台のバスが駐車し、大勢の人がタムロしているところのことだが、そこからカサブランカを経由してマラケシュに行くバスをようやく見つけ、乗り込む。涼しい時に走るためなのか、交通事情が夜の方がいいからだけなのか、長距離バスの出発は普通、夜の10時、11時だった。

バスと呼んできたが、元バスの原型と言った方が当たっているかもしれない。1970年代のモロッコのバスは酷かった。その後、インドやネパール、中近東を旅してそれがバスの標準であることを知ったが、タンジールからのバスに乗った時には驚いた。エアコンなどは問題外で、第一に、半数以上の窓が閉まらないか、最初からないのだ。超満員なのは日本でラッシュアワーを縫うように電車を使ってメッセンジャーボーイのアルバイトをしていたので、マアー、言ってみれば人擦れしていた。人混みにショックは受けなかった。

真ん中の通路も予備の席を設けギッシリ詰め込むのは営業上やむを得ないが、乗客各自持ち込む手荷物の量が半端でないのだ。中には足を束ねて縛ったニワトリを5、6羽持ち込む御仁もいる。ハナから車内に持ち込めない大型の梱包は屋根に載せる。それがうず高く積まれているので、頭デッカチで不安定な様相を呈することになる。私のバックパックも天井に積まれた。モロッコのバスは貨物トラックも兼用しているのだ。

大騒動の末、バスは走り出した。私はなんとか窓際の席を確保した。存外涼しい空気が顔を打ち、それから12時間ほどのバスの旅は案外快適なものになるだろうと楽観した。しかし、快適だと思ったのは道路が舗装されていた出だしの短い距離だけで、バスが砂利道に入るや否や、猛烈なホコリが車内に入り込み、乗客はジュラバと呼ばれているフード付のアラブのムームーの胸元を口まで引き上げたり、西部劇の銀行強盗よろしくスカーフで口元を覆い始めた。

そして、ベニア板をかすかにカーブさせただけの座席から突き上げるように尻を連続的に叩かれるのだ。おまけに前の座席との間隔が極端に狭く、膝を深く曲げて前の座席の背もたれに当て、体のバランスを取ろうとするのだが、そんな態勢で長時間膝と尻を痛めつけることになるのだった。

隣の席に陣取ったのは厚手のジュラバを被った老人で、5ヵ国語を話すと言い、しきりにフランス語で話しかけてくるのだが、わたしのフランス語はメルシー、セコ・コンビアン、ボンジュールぐらいのクラスだからまるで会話が成り立たない。私はどうにか意志の疎通が成り立つようになったスペイン語の単語を並べ、私は日本人であり、海のことを勉強している学生である…と言い、彼が自称貿易商、カツギ屋的な職業で、メガネのフレームをフランス、スペインの問屋から買い、それをマラケシュのメガネ屋に売り歩くようなショーバイをしていると知った。 

夜行バスは3、4時間おきにオアシスのような場所に止まった。トイレストップと水や食べ物を仕入れるためだが、そんな夜中でも物売りがまじめに活躍していて、メチャクチャに甘い駄菓子類、ハッカのお茶、大きな丸いパンを厚切りにしたもの、水などを首から下げた箱に入れた子供がバスの窓際に売りにくるのだった。なんだか私の少年時代を思い起こさせた。というのは、私も高校の時、札幌の中島スポーツセンターで中売りというのだろうか、ゆで卵、アイスクリーム、サンドイッチ、駄菓子などを売り歩いた経験があるからだ。

問題はトイレだった。そんなオアシス・ストップに公衆便所があるわけでなく、乗客は思い思いのところで放出する。それが人類考えることは皆同じなのか、バスや屋台から10メートルほど離れた暗がりに、それこそ申し合わせたように並んで用を足しているのだ。当然、私もその仲間に加わった。

イカツイ、強面の老カツギ屋貿易商は、見かけによらず親切で、窓越しに買った甘ったるいココナツ菓子や、彼が持参したあまり清潔感の漂わないプラスチックのコップに入ったミントティーを勧めるのだった。

やがて夜が明け、窓からの景色が見え始め、車内も見渡せるようになってきた。ここで乗客に女性が一人もいないことに気がついた。一般的に、モロッコはイスラムの教義が中近東ほど厳しくない…と言われているし、長いフランス支配の間に女性も活躍し出し、外に出るようになったと言われているが、このスシ詰めバスに一人の女性もいなかったのだ。乗客の80%はジュラバや貫頭衣を着込んだ中年以降の男たちで、若者は西欧化されたジーパンにカッターシャツ、ティーシャツ姿だった。

shirami-01
アタマジラミ(クリックで拡大写真)

前の座席に座っている御仁の首筋に何か蠢くものを見た。それも数匹モゾモゾと頭髪の中に、あるいはジュラバの襟元へと移動しているのだ。それが、私が“シラミ(虱)”を見た最初だった。しかも目の前50センチほどのところでオンパレードしているのだった。この超満員に詰め込まれた乗客で、私一人だけシラミの侵略が避けられると考えるほど私は楽観主義者ではない。いくらシラミの移動速度が時速何センチだとしても、まず確実に私に取り付いているだろうし、お隣のカツギ屋貿易商もシラミの宿主である可能性は高い。それどころか、このバス全体がシラミを満載し、各地に配送、バラ撒いている…と思えてくるのだった。かと言って、途中でシラミから逃れるためにバスを降りるわけにもいかず、ママヨ、と達観し終着までシラミと旅を続けたのだった。

 

 

第31回:モロッコの南京虫とシラミ その2

このコラムの感想を書く

 


佐野 草介
(さの そうすけ)
著者にメールを送る

海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

■イビサ物語
~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
[全158回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 5
[全28回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 4
[全7回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 3
[全7回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 2
[全39回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 1
[全39回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝 Part5
[全146回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝 Part4
[全82回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝 Part3
[全43回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝 Part2
[全18回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝
[全151回]

■貿易風の吹く島から
~カリブ海のヨットマンからの電子メール
[全157回]


バックナンバー

第1回:フランコ万歳! その1
第2回:フランコ万歳! その2
第3回:フランコ万歳! その3
第4回:フランコ万歳! その4
第5回:フランコ万歳! その5
第6回:フランコ万歳! その6
第7回:フランコ万歳! その7
第8回:フランコ万歳! その8
第9回:フランコ万歳! その9
第10回:フランコ万歳! その10
第11回:フランコ万歳! その11
第12回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 1
第13回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 2
第14回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 3
第15回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 4
第16回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 5
第17回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 6
第18回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 7
第19回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 8
第20回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 9
第21回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 10
第22回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 11
第23回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 12
第24回:堀田善衛とテキ屋稼業
第25回:バルセローナの南京虫 その1
第26回:バルセローナの南京虫 その2
第27回:バルセローナの南京虫 その3
第28回:南京虫の考察
第29回:南京虫の考察~いかに絶滅を図り、身を守るか


■更新予定日:毎週木曜日