甘木駅は2度目の訪問になるけれど、実は甘木の町を初めて歩く。22年前を少しずつ思い出した。あのとき私は国鉄甘木線のディーゼルカーで甘木駅に着いた。甘木に着いたときは真っ暗だった。電球ひとつの暗いホームに立つと、数人の客が駅舎に消えていく。しかし私は駅舎に行かなかった。到着した列車で折り返し、特急で小倉に行き、夜行急行の西鹿児島行きに乗る必要があった。宿代を節約するために、夜汽車で夜を明かしたからだ。もしかしたら博多で泊まるつもりだったかもしれない。甘木駅のホームも構内も真っ暗だったけれど、駅舎の向こうは明るくて、おそらくそこが西鉄甘木駅だろう、と当時は思った。
だから西鉄甘木駅と旧国鉄の甘木駅は隣接していると勘違いしていた。西鉄甘木駅を出ても周囲に他の駅は見当たらない。私は車窓から見えた線路の方向へ歩いてみた。交差点を左へ曲がると、青い道路標識に甘木駅と大書されており、向こうに駅舎が見えた。西鉄の甘木駅舎は簡素なつくりだが、第三セクターの甘木鉄道の駅舎は立派で、駅前にはロータリーもある。これが旧国鉄駅の貫禄というものだろう。
交差点を曲がると甘木鉄道の甘木駅が見えた。
さっそく駅に入った。出札窓口らしきものはなく、それがあっただろう部分の壁は化粧板で塞がれていた。ワンマン運転だから車内で清算するのだ。正面にはホームとディーゼルカーが見える。私は駅舎を通り抜けてホームに上がった。ホームには屋根があり、その屋根は駅舎への通路へ続いていた。22年前はホームに屋根など無かったような気がする。構内には大きな車両洗浄機が鎮座している。国鉄時代はどこかの車両基地で車体を磨けたけれど、独立したらこんな設備も自前でそろえなくてはいけない。レールバスが新調されたことは予想できたけれど、ここまで様変わりするとは予想外だ。
西鉄甘木線も甘木鉄道も、日中は1時間に2本の便がある。発車まで時間があるので駅舎を見物してみた。国鉄甘木線時代のレールや、祇園山笠の山車人形が飾られている。かつて待合室だったと思わしき場所には、『E-SHOPあさくら』という店がある。今は閉まっていて、学校の時刻表のようなポスターに開店時間が示されていた。基本的に月曜と木曜が開店日で、来週は休み。店員が高校生のため、考査前と考査期間中は休むと書いてあった。商業高校の実習店舗だと思われる。
甘木駅には第三セクター甘木鉄道の本社があり、職員の姿を見かける。ぼんやり立ち尽くしていると、女性の事務員さんがきっぷの販売機を教えてくれた。列車に乗りなれない人だと思われたらしい。しかし、きっぷの販売機は気付かなかったので助かった。なるほど確かに券売機だ。壁にきれいに収まっているから、ポスターと見まちがえたようだ。
22年前の面影は少ない。
発車の時刻が近づいたのでホームに上がる。屋根がつき、ホームには植え込みや藤棚も作られているので、22年前の殺風景な景色と重ならない。昼と夜の違いもあるだろう。それでも線路の終端方向を眺めれば、なんとなくあの頃の名残がある。実は私は少し期待していた。22年前と同じ場所に立てば、22年前の気持ちが取り戻せるだろう、と。旅の冒険心と、将来への不安と期待。あの頃の私はどんな大人になりたかったか。それがいま期待通りになっているか……。しかし、22年前には戻れなかった。景色が変わってしまうように、私も歳を取った。
レールバスは私を含めて8人のお客を乗せて発車した。午後のローカル線としては乗っているほうだ。しかもこの日の甘木線は途中の松崎と大板井の間が普通でバス代行運転となっていた。夏の大雨で鉄橋の一部が傾いてしまったからだ。普段はJRで博多へ出る人も、西鉄で西鉄福岡(天神)へ出るほうが楽なはずである。それでもこれだけ客があるということは、途中の駅に用があるのかもしれない。
西鉄甘木線の線路と離合する。
西鉄甘木線と甘木鉄道は平行しておらず、かなり離れた場所を経由する。だから甘木鉄道は存続できたと言える。甘木線は国鉄の赤字ローカル線廃止の第一次候補だった。しかし、住民と地元自治体、地元に工場を持つ民間企業が出資して第三セクターとして存続させた。もはや国が作った鉄道ではなく、自分たちが維持している鉄道である。利用客には愛着もあるのだろう。甘木駅の高校生ショップもその現れだ。
築堤区間を走った。車窓はのどかな田園風景を映し出している。次の高田駅は田んぼの一軒屋みたいなさびしい駅だ。西鉄甘木線に比べてローカル色が強い景色が続く。車窓左手に工場群が現れると太刀洗駅だ。2人降りて、4人乗った。代行バス区間があるほかは、いつもと変わらない状態のようだ。線路脇に白いコンクリート製枕木が積み上げられている。普通区間の復旧工事用だと思われた。復旧工事は順調のようだ。甘木鉄道の出資には地元の土木事業組合も参加している。かかわった手前、いちはやく復旧させなければ面目丸つぶれである。
松崎から代行バス。
太刀洗駅付近にはかつて陸軍の太刀洗飛行場があった。だから国が鉄道を敷いたわけだが、当時ここにはすでに軽便鉄道があった。国はその鉄道会社に保証金を渡して退かせ、国内標準規格の線路を通した。国力増強時代を伺わせるエピソードだ。しかしすでに太刀洗飛行場は廃止されている。太刀洗駅には歴史資料館が併設されており、九七式戦闘機が保存されている。それは甘木駅に掲示された写真で見た。日本が世界に誇る名戦闘機だそうだが、私は写真で満足したので降りない。
大板井は新駅。
畑と工場が混じった景色を往く。なにしろ22年前は夕刻から夜にかけての乗車なので、今回、初めて甘木鉄道の車窓を眺めることになる。西鉄甘木線を引き返せば乗り継ぎの効率は良いのだが、甘木鉄道を再訪してよかった。しかし、鉄道の眺めは松崎駅で中断する。この先の宝満川を渡る鉄橋の橋げたが傾いているため、次の大板井まではバスが代走しているのだ。10人ほどのお客とバスに乗り込んだ。10月になったけれど、日差しが強く暖かいせいで冷房が入っていた。
バスは片側1車線の国道を走り、やがて右に曲がって高速道路を潜ろうとした。しかしそこが甘木鉄道の大板井駅であった。線路はどこか、駅舎はどれかと思ったら、大板井駅は高架駅だった。階段を上がってホームに着けば、さっきと同じ形のレールバスが私たちを待っていた。線路の真横に高速道路が並んでいる。ホームから不通になった方向を眺めたが、白い高架路盤が伸びているだけだった。
不通区間を望む。
それにしても立派な高架路盤である。隣の高速道路も合わせてまったく見覚えが無い。22年前に来たときは夜だったとはいえ、これだけ立派な線路なら覚えていそうなものだ。経由地の変更があったのだろうか。初めて乗る路線のような新鮮味を感じつつ、小郡に着いた。ここで西鉄に乗り換える。私以外の客もほとんどここで降りた。運転士さんに切符を渡しつつ、昔とは印象が違うと話し掛けた。
「線路は変わってないけど、新しい駅はできましたから」という。
後に調べたところ、甘木鉄道は第三セクターになってからかなり改良を重ねたようだ。始めに着手した部分は小郡駅だ。西鉄との交差部分に移設して乗換えを便利にした。その次に大板井を含む4つの駅を新設した。小郡と立野の間にすれ違い設備を作って、日中30分間隔、ラッシュ時15分間隔で運行を行っている。こうした努力の結果として、廃止復活組の第三セクターとしては珍しい黒字経営となっている。
レールバスは小郡を目指す。
かつては見捨てられたローカル線として、朝夕だけ、あわせて数往復の運行だったらしい。なるほど、22年前の私が夕方から夜にかけて国鉄甘木線に乗った理由は、おそらく日中に列車が走らなかったからだ。昔に乗った路線も乗りなおした方が良いような気がしてきた。少なくとも、夜間に乗った路線はもう一度乗って、車窓を眺めなおしたい。
小郡駅。
-…つづく
第175回からの行程図
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