第391回:山の中の東海道 - 関西本線 亀山-柘植 -
亀山着08時19分。柘植へ向かう関西本線の列車は09時08分発だ。約40分の待ち時間がある。ちょっと散歩してみようと観光案内板を見たら、亀山城跡が近い。約1km。徒歩15分くらいだろう。駅前商店の「亀山みそ焼きうどん」という幟も気になったけれど、店は準備中のようだった。その店の角を曲がって歩いていく。懐かしい木造建物を眺め、青葉の繁る短い並木道を通り抜けた。ずっと緩い坂道で、湿気が多く汗ばむ。けれど、帰り道はすべて下りだと思えば苦にならない。
亀山駅前。大きな鳥居は亀山城跡近くの亀山神社に通じる
亀山市は人口約5万人で増加傾向にあるという。伊勢湾に注ぐ川が集まるところで住みやすく、京都と伊勢、さらに東国へと結ぶ宿場町という歴史がある。最近は液晶テレビの『亀山モデル』として地名が知られるようになった。もっとも、そのシャープの亀山工場は隣の宿場町、関の近くであり、交通は東名阪自動車道の亀山インターが主であろう。
鈴鹿山脈、鈴鹿峠を控えた亀山は戦国時代の重要拠点でもあった。亀山城は安土桃山時代に造られ、織田信長の伊勢侵攻の重要地点だったという。しかし、天下泰平な江戸時代に丹波の亀山城と間違えて天守を解体させられてしまい、その後は幕府の定宿となったとのこと。明治時代にも解体は進められ、現存する建物は石垣と多聞櫓のみ。多聞櫓とは長屋と城壁を兼ねた建物という意味らしい。
亀山城跡の多聞櫓
説明書きによると、亀山城は城跡よりもずっと大きな広さであって、ここに来るまでに通りかかった溜池は外堀の一部であったらしい。城跡の住所は「本丸町」、民家の立つ場所も住所は「西丸町」「東丸町」だった。多聞櫓のそばには明治天皇御在所などが移設されている。そして亀山神社にお参りする。亀山駅前広場の大鳥居は、この神社の所在を示すものだった。そして帰りがけ、路を隔てた公園に、蒸気機関車が保存されていた。C58
359号機。亀山機関区を最後に引退した車両だという。設置は1972年10月14日。国鉄創業100年の記念日だった。
亀山城跡の公園に蒸気機関車があった
下り坂の勢いで早歩き。亀山駅に戻った。関西本線の加茂行きはディーゼルカーだった。ステンレスの銀色ボディで、顔を紫色に塗られていた。2両編成の……いや違った。後ろの1両は切り離されて、1両単行の出発である。通勤時間帯が終わったようだ。前方を見やれば広大な車両基地がある。転車台もあった。なるほど、峠の宿場は今も鉄道の要衝であった。
1両に減車されたとはいえ、車内はほどほどに混んでいる。立ち客もいる。鈴鹿峠を往来する人々は多い。その峠へ向かって単行ディーゼルカーは走り始めた。最近のディーゼルカーは軽快で、これだけ性能がいいと、電化する必要はないと思わせる。蓄電池の省エネ電車が開発されていると聞くから、もうローカル線に架線を張る時代は終わるかもしれない。
キハ120形。柘植へ向かって出発
まっすぐな線路を進むと、前方に大きな構造物が見えてくる。東名阪自動車道のインターチェンジだ。このあたりが工業地帯で、シャープを始めハイテク産業が集まる。新しい工業地帯だから、貨物用線路が取り付けられていない。関西本線はその工場地帯に背を向けるかのように左へ逸れて、宿場町の駅、関に着いた。東海道五十三次の第四七番目の宿場である。大きなもの、最上級のものを言う「関の山」は、この地名に由来する。
東名阪自動車道のジャンクションが見えた
東海道というと、関東に住む人は静岡の海沿いを想像するけれど、鉄道路線でたどれば関西本線側が東海道である。ただし、関の先で東海道は北西に向かい琵琶湖を目指す。線路は真西の奈良へ進む。蒸気機関車が鈴鹿峠を超えられないため、線路は南へ迂回したのであった。ただし、こちらも山道ではあるから、車窓風景は緑に包まれ、険しくなってくる。ディーゼルカーのエンジン音も大きくなってきた。
鈴鹿山脈への路。シェードの連続が険しさを物語る
長いトンネルをいくつか超えると加太駅。この駅周辺も含めて、ときどき見える集落はほとんど瓦屋根で、日本の由緒正しい風景である。緑が濃く、緩やかなカーブがあり、ときどき川や道路が寄り添う。毒々しい色の看板もなく、深呼吸したくなるような良い景色だ。亀山に転車台もあることだし、蒸気機関車を走らせたら似合いそうである。
近畿から伊勢参りのルートの一部に観光列車やSL列車を組み込むと良さそうだ。JR九州なら観光列車を走らせただろう。「こんな良い線路を放っておくなんてもったいない、使わないなら貸してくれ」と言いそうだ。JR西日本の偉い人は、この車窓の価値に気づいていないのか。あるいは「蒸気機関車に乗るなら新幹線に乗って山口線に行ってくれ」と思っているだろうか。
分水嶺を越えて近畿へ
分水嶺を超えたようで、エンジン音が消えた。ディーゼルカーはコトンコトンとレールの音だけを発して勾配を降りていく。水面穏やかな池があって、しばらく進むと街が見えてくる。そして線路が枝分かれして柘植駅の広い構内に入った。私にとって柘植駅は28年ぶりの訪問である。当時の風景は薄れているけれど、記録では北側から草津線で到着し、関西本線で西へ向かった。
柘植駅に到着
さらに西へ、あるいは北へという誘惑もある。草津線に乗れば、ここから琵琶湖畔まで45分。関西本線なら奈良まで1時間ちょっと。しかし私はここで折り返す。青春18きっぷの旅では、この先へ踏み入れたら今日中には帰れない。戻りの列車は10時20分。あと50分くらいある。
草津線の113系電車。なぜか湘南色が交じる
柘植駅は山の中の小駅であり、駅前もマンションが2棟見えるくらいだ。ただし右手のマンションは工場の社員寮で、森に隠れて見えないけれど、その向こうには広大な建築材料の工場がある。それほど田舎というわけでもない。ただし駅は町の外れにあるから、50分の使い道に困った。しかたなく、自動販売機でお茶を買い、小さな待合室で過ごした。
柘植駅舎。庭木がよく手入れされている
駅員が常駐する駅である。初老の駅員が窓口越しに私をちらりと見て、事務仕事を続けた。腰の曲がった爺さんがやってきて、駅員と何か言葉を交わしていたと思ったら、唐突に「出てけよ、もう行きな」と片方が声を荒らげた。出てけという声は駅員ではなく、訪問者が発したような気がする。仲が良いのか悪いのか。爺さんはニヤニヤしながら出ていった。ただの冷やかしか、暇つぶしらしい。
その後、同じ年くらいの、今度はよそ行きの身なりをした老紳士が現れて「大阪、一枚」と言った。駅員がなにか言葉をかけて対応する。自動販売機で切符が買える時代を経て、ICカードで改札を通れるご時世である。老人の「大阪、一枚」は、どこか懐かしい響きであった。
-…つづく
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