ふたつのケーブルカーに乗り、旅の目的は果たした。再びバスに揺られて熱海駅に着く。東海道線に乗れば帰れるけれど、日も高いし晴れてきた。まだ家路につくにはもったいない。そこで私は敢えて逆方向の電車に乗った。目指すは三島。伊豆箱根鉄道駿豆線である。昨年10月に訪れたとき、奇しくも台風の影響で土砂が流入し、伊豆長岡と修善寺の間が不通になっていた。今回はそのリベンジというわけだ。
箱根の山を貫く丹那トンネルを通り抜けて三島へ。たった2駅の区間が16kmもあり、所要時間は13分。しかもトンネルばかりで景色は退屈だ。三島駅は10ヶ月ぶりに訪れたが、あの時は夜だったので印象が違う。しかも今回の駿豆線は前回とは逆方向の乗車になるから、初めて乗るような気分でもある。駿豆線のホームには青と白に塗り分けられた電車が居る。再会のうれしさに早足でホームに向かった。
伊豆箱根鉄道駿豆線にリベンジ。
先頭車の一番前に立ち、発車時刻を待っている。正面から特急踊り子号がやってきた。伊豆箱根鉄道駿豆線には、東京からJRの特急踊り子号が乗り入れている。あれは修善寺発東京行きである。白い車体に緑とオレンジの東海道カラーを塗装した電車は、ポイントをいくつも渡ってJRのホームに入った。伊豆箱根鉄道駿豆線は単線である。上り電車が到着したから、次はこちらが発車する番だろう。
しかし私が乗った電車はなかなか動き出さない。となりのJRの案内放送を聞くと、どうやらこの電車の前に、東京から来る特急踊り子号を先に通すようだ。発車まで間が空いたので、駿豆線の車内は混み始めた。私のそばにいた男の子が、白い電車を指さして、あっちに乗りたいと父親にねだっている。あれは特急だからだめだよ、と父親が答えた。
駿豆線は三島から修善寺まで約20キロの路線だ。特急料金を払う距離ではないので、私も各駅停車に乗っている。しかし後で調べると、踊り子号は伊豆箱根鉄道内は特急料金は不要であった。それはJR時刻表の伊豆箱根鉄道の項に明記されていた。あっちに乗れば良かったと思ったが、各駅停車の乗客の多さを見ると、地元の人も知らないのではないか。
ようやく動き出した電車から三島の町を眺める。都内の私鉄沿線のように建物が密集している。そういえば前に来たとき、車窓の街の灯が明るかった。かなり人が多い地域である。三島市の人口は11万人で増加傾向にあるようだ。三島駅のそばには東レの大きな工場があるし、駿豆線の沿線にも東芝テックや横浜ゴムの工場がある。駿豆線は東京から離れ、静岡県の東端にあるけれど、駿豆線は立派な通勤路線だ。東海道新幹線の三島駅ができてからは、東京へ通勤する人も多いらしい。三島から東京駅までは約1時間。三島始発の通勤列車も設定されている。1ヶ月の定期代は約9万円だが、自宅がある人なら都内でワンルームを借りるよりずっといい。
田園風景に変わった。
伊豆仁田あたりから町並みが途切はじめる。韮山駅を過ぎると車窓の両側に山が近づき、通勤路線から観光路線へと踏み込んでいく。右手にある山がひときわ大きく、地図によると葛城山でロープウェイがある。標高は高すぎず低すぎずで、頂上からの三島の夜景はきれいだろうな、と思う。
伊豆長岡駅はホームが長い。各駅停車の他にJRから乗り入れる特急も停まるからだ。ホームよりも線路が長い駅は他にもいくつかあって、鉄道好きならこの様子を見ただけで観光地のローカル線だとわかる。さて、ここからが本当の未乗区間である。嬉しいことに空はますます晴れてきた。
三島からほぼまっすぐ南下した線路は、大仁駅あたりから東へ曲がる。狩野川に沿っているのだ。線路と川の間に県道がある。きっと私が代行バスで乗った道だ。だから風景には少しだけ既視感がある。電車からは川が見えないので、代行バスのほうが景色が良かったかもしれない。どうせJRから特急が乗り入れるなら、もっと座席位置の高いハイデッカー車を作ればいいと思った。海が見えないと言っても、景色が悪いというわけではない。もうすこし高い位置に窓があれば、川や山の景色が見えるのに。
土砂流入復旧地点?
線路を見れば敷石の白い区間がある。きっとここが台風の被害に遭った場所なのだろう。茶色と白の敷石を確認しつつ前方を見ていると、やがて先行した特急電車が見えた。線路がいくつか分岐して修善寺に着く。不通の日から10ヶ月。ようやく伊豆箱根鉄道を完乗できて満足である。
修善寺駅から修善寺へ行こうと思ったが、歩いて行くには遠く、夏の暑さに負けて断念した。せめて町を歩こうと駅の周囲をひと回りすると、線路の終わりの木でセミが大合唱している。どこにいるのかと探したら、たくさんいるのですぐに見つかった。抜け殻もぶら下がっている。こどもの頃はセミ探しが苦手だったけど、今回はすぐに見つかった。背が高くなったのか、注意力が増したのか。夏休みの宿題を終わらせたような満足感であった。
修善寺駅。セミが居た木陰から。
三島に戻り、また東京に背を向けて沼津に出た。行きと同じ東海道線を戻るのはつまらないので、小田急で帰ろうと思う。新宿から御殿場線に乗り入れて、沼津まで走るロマンスカーがあるのだ。その上り列車に乗るつもりである。切符を入手して駅ビルの喫茶店で時間を潰し、読書に夢中になっているうちに外は雨になった。東海道線が天気の分かれ目なのだろうか。
ホームで待っていると、白と水色に塗り分けられた小田急の特急電車がやってきた。今朝、箱根湯本で見た電車との再会である。中間に2階建ての特別席があり、私はその切符を買っている。行きがグリーン車なら、帰りもグリーン車にしよう、というわけで、今回はかなり贅沢な旅である。席に着いてすぐに、駅ビル内のスーパーで買った特売品の揚げ物の包みを開く。今回の旅で最初の食事である。食べ物に関しては贅沢な気がしない。
小田急のロマンスカーに乗る。
沼津発新宿行きの特急『あさぎり』は、松田までJR東海の御殿場線を走り、松田駅を出ると専用の渡り線を使って小田急線に入る。その短い渡り線は、あさぎり号に乗らないと通過できない。鉄道ファンの間でも松田短絡線として知られており、珍しいのでわざわざ乗りに来るファンも多い。日本の鉄道にすべて乗るなら、けして無視できない線路なのだ。
しかし列車が進むほど空は暗くなり、山間をくねりながら走る頃には雷雨になってしまった。これ以上暗くなっては何も見えないな、と思う頃、ひどく明るい照明に包まれた。御殿場線の松田駅である。この駅は分岐の関係であさぎり号専用のホームがある。特別扱いされているようで気分がいい。
伊豆箱根方面の観光に力を入れた小田急は、小田原からの箱根登山鉄道乗り継ぎに加えて、1955(昭和30)年から国鉄御殿場線に乗り入れた。そのために小田急は国鉄を結ぶ分岐線を造り、非電化だった御殿場線に入るためにディーゼルカーを作った。その関係は今年でちょうど半世紀を迎えたことになる。現在は御殿場線も電化され、小田急は専用のロマンスカーを造り、運転区間は沼津まで延長されている。
すっかり暗くなってしまったが、カーテンと窓ガラスの間に頭を入れると、なんとか景色が見えた。ゆっくりと坂道を降り、眼下に小田急の線路が見える。白地に青帯の電車が下り線を通り過ぎて、小田急線に入るのだなと少し緊張する。しかし何事もなく上り線と合流して、松田連絡線の通過が完了した。珍しい路線のわりにはあっさりと通過してしまう。
小田急の特別席は東海道線のグリーン車とは比較にならないほど居心地がいい。ひとり用の肘掛け付きの椅子に深く座った。景色が見えないので目を閉じれば、たちまち深い眠りに誘われていく。
短絡線を通過!
第114回以降の行程図
(GIFファイル) )
2005年8月13日の新規乗車線区 JR:0.0Km 私鉄:8.4Km 累計乗車線区 JR(JNR):16,016.8Km
(70.42%) 私鉄:3875.9Km(61.482%) |