第534回:石工の伝統 - 肥薩線 人吉駅 -
くまがわ鉄道の人吉温泉駅、JR九州の人吉駅に戻った。12時半になろうとしていた。いったん駅の外に出ようと跨線橋を上ると汽笛が聞こえた。窓から覗けば、蒸気機関車に引かれた列車が逆向きで遠ざかっている。熊本からやってきたSL人吉号が、ホームでお客さんを降ろした後、留置線に下がっていくところだ。
SL列車は大きな古い車庫に隠れた。これから機関車を切り離し、転車台で反転して、石炭と水を蓄えて戻ってくる。転車台付近は見学可能と聞いている。私たちは駅の正面入り口に向かっていたけれど、踵を返して裏口に出た。私たち同じ目的の人々が、同じ方向に歩いていた。岩壁に大きな横穴が空いていて、なにかの遺跡のようだけど、それは後回しだ。
石積みの車庫
登録文化財・近代化産業遺産・九州遺産など
雨がぽつぽつと降ったり止んだりしている。帽子を被って傘は差さず、早足で250メートルほど歩くと転車台があった。機関車はまだ来ない。先に給炭と給水だろうか。それとも往路の煤払いだろうか。転車台のそばの道路脇に詰め所のような建物があって、SL館と書いてある。見学施設のようだ。肥薩線の歴史やSLの写真を展示している。投炭練習機や構内信号機の操作盤もあって興味深い。ここは蒸気機関車の乗組員の待機所だったようだ。
SL館の投炭練習機
表側に道具の洗い場があって、水道の蛇口が洗眼用になっていた。小学校のプールの裏手にあった奴だ。
「これは、煤が入った眼を洗うようになっているんだよ」
制服を着たおじさんが教えてくれた。さっき、展示物の前で家族連れに説明していた人だ。元は蒸気機関車の運転士で、現在はボランティアでSL館を管理しているそうだ。
「肥薩線のルートが山沿いの理由は、軍部からの要請でした。でも、ここは日本の産業の要でもあったんです」
人吉で伐採された木材は、肥薩線の貨物列車で運び出され、北九州で坑木になったそうだ。
「コウボク、わかりますか? 炭坑のトンネルの中で柱や梁に使います」
筑豊の石炭は、日本の産業近代化の動力源だった。その石炭を掘り出すために、人吉の林業が関わっていた。
「つまり間接的とはいえ、日本の近代化を支えた路線だったんですね」と言うと、「その通りです」と頷いた。
日本を支えた石炭、その炭鉱を支えた坑木、その坑木を運ぶ列車の運転士である。彼自身も日本を支えた。その誇りが柔らかい言葉遣いと優しい眼の奥にある。いま、国を支える、盛り上げるためと自覚して働く人はどれほどいるだろう。私も少々恥ずかしくなる。
外側の水道栓は眼を洗う設備つき
私は元運転士さんの話を聞きながら、正面の機関庫を見ていた。1911年の建築。国内唯一、現役最古の石造建築の鉄道車庫だという。なぜ石造りかと言えば、熊本には石工の伝統技術があったからだ。長崎の下級武士だった藤原林七が眼鏡橋に興味を持ち、出島のオランダ人に技術を学んだ。しかし、これは御法度であり、林七は熊本藩八代に移り住む。
当地では阿蘇の噴石を使った石積み技術があり、林七はそれと蘭学の構造計算、宮大工の千絵を組み合わせて巨大アーチ橋の技術を確立。その弟子集団は種山石工と呼ばれ、肥後の石工として各地で活躍したという。石造のアーチ橋は頑丈だが、要の石を抜くと崩壊するという仕掛けもできる。この技術は戦術的にも重要で、携わった石工が秘密を守るために暗殺された話も残っている。
構内の信号制御装置
スマホゲーム『掌内鉄道』の画面とそっくり
短い汽笛が何度か鳴って、蒸気機関車が石造車庫から現れた。1922(大正11)年製の8620形。通称ハチロク。九州各地で働き、炭田の筑豊から坑木の人吉へ転属して活躍の後引退。矢岳駅で見かけたSL展示館で保存されていたところ、1988年に九州鉄道100年の記念プロジェクトとして復活。豊肥本線のSLあそBOY号、SL人吉号として人気だった。しかし古い機関車である。2005年に台枠のゆがみによる故障がきっかけで運行を終了した。
それでもJR九州はSLをあきらめなかった。九州新幹線の開業に連動した観光資源にしたいと、4億円もかけて機関車と客車を修復し、2009年からSL人吉として復活させた。日本最古の現役機関車。不死鳥のようである。その存在だけでも受験や起業のお守りになりそうだ。転車台の周りにお客さんが集まって、テレビの取材クルーも合流している。風ちゃんはタレントさんが気になるようだ。
折り返し整備が終わったハチロクが出庫
いったん左側に移動したハチロクが、逆向き運転で戻ってきた。転車台に乗り停止。係員が転車台の作業室に入ってしばらくすると回転が始まる。ウォーンというモーター音は、昔の電車の吊り掛け式モーター音に似ている。同じ仕組みかもしれない。転車台の下にはレールが1本、円周上に敷いてあって、そこに車輪が乗って動く仕組みだ。
転車台で勇姿を披露する
反転した機関車が、そのまま右へ進む。機関車は熊本を向いている。向こうに客車が停まっているはずだから、連結してホームに戻ってくる段取りである。発車まであと40分くらい。駅に戻る途中で、気になっていた横穴群を見物した。大村横穴群といって、住居かと思ったらお墓だった。6世紀から7世紀ごろに作られたと説明書きにあった。崖の岩盤をくりぬいて墓を作るとは、当時としてはずいぶん手間をかけたと思う。装飾品も多くみつかり、権力のある人の墓だったらしい。岩に穴を開ける作業は石工に通じる。やはり石に縁の深い土地柄である。
方向転換済みの機関車が客車を迎えに行く
跨線橋を渡って人吉駅の表側に出た。駅前広場に天守閣が鎮座している。これが人吉駅名物のからくり時計だ。この時期は09時から18時までの正時と、熊本からのSL人吉の到着に合わせて作動する。時計を見ると14時10分。終わったばかりである。この時計の存在を忘れて、横穴群を見物していた。これはうっかりしていた。
人吉駅裏の大村横穴群
もっとも、名物と言うからには、きっと動画サイトで紹介されているだろう。実物は見られなかったけれど、旅先で見逃したイベントや風景を自宅で再生できるとは、良い世の中になったものだ。
人吉駅前の天守閣はからくり時計になっている
-…つづく
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