第47回:人の目を気にしよう
更新日2002/11/7
ひどく子供を叱って、さらに自分もすっかり怒ってしまって、その気持ちの収集がつかない時がある。子供はあっさりと気を取り直して、一人で機嫌よく遊びはじめているというのに、こちらは憤懣やるかたない、という感じで憮然としている。すると、うちの娘達は必ずこう聞くのだ。「ママ、まだ怒っているの?」そう、私は怒っているのだ。
そして、その後、自己嫌悪に陥る。子供は親をよく見ている。だから、キレない子供に育てたければ自分がキレていてはどうしようもない。どうやったら、子供を叱るついでに自分が怒ってしまうことを防げるのだろう。
アメリカにいた時に、子供絡みの問題で日本ではあまり聞かないのに、頻繁に耳にした言葉でChild Abuseというのがある。悲しいことに最近は日本でもよく耳にするようになってしまった児童虐待のことである。
Child Abuseには大きく分けて3つあって、Physical Abuse(身体的虐待)、 Verbal
Abuse (言葉による虐待)、Neglect(無視)という言葉がよく使われていたようだった。身体的虐待は、字の通り子供を殴ったり蹴ったりという暴力による虐待。言葉による虐待は、子供を罵ったり、子供の自尊心を傷つけることを故意に執拗にくり返し言うこと。無視は、子供の養育を怠ることである。
アメリカでは児童虐待は深刻な社会問題であり、様々な論争や事件を引き起こしている。凄惨としか言い様のない事件も多く、胸が塞がれる思いもしたが、自分自身にも子供がいることもあって、雑誌や新聞で記事になっていると読むように心掛けていた。そのような記事では、事件そのものを扱うものも多いが、また母親が自分の子供を虐待しないように、という予防策を取り上げているものも多かった。
そのような記事の中で、心に残っているものがある。それは定期購読していた「Child」という月刊誌に掲載されていた記事だ。「自分が子供を虐待しそうになった時、あなたがすべきこと」というタイトルで始まるその記事にはこう書いてあった。
「自分が子供を虐待しそうになったら、子供に背を向けて目をつぶって、深呼吸しなさい。そして、ゆっくり10数えなさい。それでだめなら、誰かに電話をかけること。電話をかける相手がいない場合は、時報でも天気予報でもいいからとにかく電話をかけること。感情が爆発しそうになったら、その感情を子供に向けるのではなく、子供から目をそらしなさい」
さすがに、子供に手をあげることはないけれど、そこから私が学んだことはあった。今、反抗期の入り口にいる上の娘と、Terrible
Twoの後の「最悪の」3歳の娘と毎日、家と言う閉鎖空間にいると子供を叱っている時に、自分が心の中で暗い淵を覗き込んでいるような気持ちになる時がある。
そこで、思い付いたことは、「今この家にいるのは自分一人ではない」と思い込む、ということだ。友だちでも、通りがかりの見知らぬ人でも誰でもいい。自分は誰かに見られている、という意識を持つこと。そうすれば、沸点めざして見る間に上昇して行く自分の感情を抑えられることに、今さらながら気がついた。
キリスト教徒なら、「神が見ている」と思うのだろう。でも、キリスト教徒ではない私は、「誰か(子供に同情的な)他人が見ている」と思うことにした。取りあえず今日、子供を叱りつつ自分が怒ってしまうことは防げた。
→ 第48回:自分の子供をどんな大人に育てたいか、ということ