第147回:ハイチの誘拐事件
更新日2010/02/18
誘拐事件は常にセンセーショナルです。
知能の限りを尽くし、計算しつくした誘拐犯が絶望のどん底にある当事者と交渉を進め、最後にちょっとした手違いとか、予想外のことで、犯人が捕まるパターンはこれでもかと言うほど、繰り返し推理小説の題材になっています。
黒澤明の「天国と地獄」(原作、エド・マックベイン)をはじめ、ハリウッドでも誘拐がらみのミステリーは数えきれないないほどつくられています。
実際に起こったリンドバーグ(大西洋を始めて飛行機で横断した飛行士)の息子誘拐殺害は、アメリカ人なら誰でも知っている悲惨な事件ですし、日本でも、1960年に起きた雅樹ちゃん、1963年の吉展ちゃん誘拐殺害事件(これは、ウチのだんなさんの奇妙に昔のことを覚えている記憶力に頼っています)は、戦後の犯罪史に残る出来事でしょう。
成功しているケースが、例外的にあることはあります。フランスの自動車メーカー、プジョーの持ち主の孫エリック君が誘拐され、2日後にパリ市内で見つかりましたが、プジョー会長さんは莫大な身代金を払った…とみられています。
現実でも、小説の中でも、誘拐は成功率が極めて低く、割に合わない犯罪のはずですが、このところ、カリブの海賊たちが幼稚園の演劇に見えるような活躍をし、
大変な成功率を誇り、しかも巨万の身代金をせしめているのがソマリアの海賊たちです。誘拐のイメージを変えなくてはなりません。
誘拐は僅かですが政治取引に利用されたり、拘留中テロリストの釈放を交換条件に行われることがありますが、ほとんどがお金が目的です。それ以外の目的はまずないと思っていたところ、今回、ハイチの事件で善意の誘拐というのもあることを知りました。
ハイチの西部を襲った大地震は、2月9日までで24万人を超す死者を出しています。1月12日に地震が起こると同時に、ヨーロッパやアメリカから政府、民間NPOの膨大な援助が始まりました(日本はなんとほぼ1ヵ月も遅れた2月6日にやっと援助第一便を送りましたが…)。このような災害が起こると、一番早く対応し、すぐに物資を集め、ボランティアを送るのはアメリカの宗教団体です。
その中でアイダホ州のバプテスト教会の伝道師たちが、「ハイチの子供たちを救おうS.O.Sグループ」を組織し、まず手始めにハイチの子供たち33人を陸続きのドミニカ共和国へ陸路移動させようとしたところ、パスポートはもとよりなんの公的書類も持っていない子供たちの出国を国境警備員に拒否され、付き添っていた伝道師10人が国境で捕まったのです。
今回の大地震以前、これまでユニセフを通じてハイチから38万人の子供たちが養子としてハイチ国外に出ているという背景があるにはあります。ユニセフの大きなパイプとはまったく別に、いわば闇で養子縁組を斡旋する業者もたくさんあり、その中には人身売買に近いような手数料を取るところがあるのも事実です。また、臓器移植のための生身の人間売買の噂もハイチには絶えません。
アイダホ州の伝道師たちは、ドミニカ共和国に身寄りのない子供たちの施設を作ろうという意図だったようです。ハイチに孤児をそのまま残せば、飢えと病で死ぬ可能性が高く、政府は何もしないのだから、私たちがそんな子供たちを施設に収容し、食べ物を与え養育もしてあげますと、あくまで善意からの行為のように見受けられます。
自分が正しいことをしていると信じきって、その信念を他人に押し付けるほど恐ろしいことはありません。今、ハイチの牢屋にいる10人のバプテスト協会の伝道師たちも、自分が法的に間違ったことをしたとは想像もせず、自分たちはハイチの子供たちを救うために行動を起こしただけで、悪いことをしたとは全く思っていないのでしょう。
いかに貧しくても、多少汚れた身なりをしていても、自分の国でガキになって走り回っている方が、お仕着せの制服を着せられ、教会で洗脳されるより幸せな場合もあるという思考は伝道師たちの頭にないのでしょう。
彼らの行いは立派な誘拐であり、児童人身密輸であり、それがいかに善意から出たものであるにしろ、国際法でも厳罰に処される犯罪です。
ハイチには"ブードー"という土着の宗教があります。もしブードーの伝道師たちが大挙してアメリカに行き、アメリカのテレビ、ビデオゲームばかりしている子供たちを見て、そんな電子機械に遊ばれているアメリカの子供は脳が腐ってしまう、もっと原始に帰り、自然と神が近くにいる生活をさせなければ可哀想だと、30人のアメリカの子供をハイチに連れ帰るとしたらどんな大事件になるか想像してみてください。アイダホのバプテスト教会伝道師たちは、それと同次元ことをしているのです。もちろんブードーの伝道者は、そんな破廉恥なことはしませんが。
ハイチの誘拐事件もまた、アメリカ人の善意、独善性の恐ろしさを知らせてくれました。
第148回:「鬼は外、福は内」