第231回:男女平等とベテア・シロタ・ゴードンさん
男女平等などは、今や空気のようにいつもそこにあると、あたり前のことのように思ってしまいまがちです。私自身、仕事で差別を受けた記憶もありませんし、選んだ職業が割りにリベラルな人たちが多い教職なので、男女の給料の格差や出世するかどうか(大学の中で出世する、しないは意味がありませんが…)で差別を感じないまま、今まで生きてこられたのは幸運だったのかもしれません。
ウーマンリブ、女性の権利と何かと大声で叫び、マスコミでとりあげられる国はやはりアメリカでしょう。それだけ、内在する差別が歴然と残っているともいえますし、女性の社会意識が高いともいえます。
と思っていたところ、地元の小学校の女性の教師が、休憩時間に自分の赤ちゃんにおっぱいを飲ませていた……としてクビなったのです。なにも生徒の目の前でおっぱいを出していたわけでなく、職員室のような休憩室でのことです。
母親が赤ちゃんにおっぱいを飲ませてる光景ほど、和やかで美しいものはありません。これが哺乳瓶なら問題にならなかったことでしょう。この事件をマッチョ的、前近代的な差別と呼ばずに、何と呼べばいいのでしょうか。
そういえば、私の母も、私がお腹の中にいた時、お腹が少し大きく目立つようになると同時に教職を去らなければなりませんでしたし、私の通った田舎の高校でも、妊娠した先生は教壇に立つことができない……という不文律がありました。
日本の憲法で謳っているような"男女同権"は、アメリカの憲法に一行も書かれていないのです。もっとも、憲法は理想を掲げたものですから、フランスの人権宣言やアメリカの独立宣言に書かれている自由平等なんて、その時代にも、今も、未来にも、ありえるはずのない性格のものです。
そんなことは百も承知の上で、やはり国としての理想を謳っておくのは意味がある……と治世者は考えるのでしょうね。イギリスだけは例外で、憲法を持ちませんが……。
日本の憲法は、アメリカ統治軍の押し付けであるとか、ないとかも、ほとんど意味を持ちません。事実として、草稿を書いたのはGHQの憲法草案制定委員会で、それからマッカーサーに回され、チェックを受け、日本の時の政府に行った、というのが事実です。
当時、世界に例のない男女平等、女性の権利、家庭での地位と権利などを憲法に盛り込んだのは、オーストリア生まれのユダヤ系の女性、ベテア・シロタさんでした。シロタと言う名前から日本人、日系人の城田、代田、白田かなとも思いましたが、ベテアさんは5歳の時に日本にきて思春期を過ごしましたが、全くのガイジンでした。
ベテアさんが憲法草案制定委員会に加わった時、彼女はなんとたったの22歳で、法学者、軍のエライサンばかりのメンバー中で、ただ一人の女性で、しかも、圧倒的に一番若かったのです。
ベテアさんのことは、ウチのダンナさんが勧めてくれた"The only woman in the room-A
Memoir"という本で知り、こんな素晴らしい女性がいたのかと、震えるくらい感動しました。
ベテアさんは日本育ちですから、まず日本語に堪能で、両親の母国語であるドイツ語、アメリカに留学していたので英語、そして祖父母言葉ロシア語、そして家庭教師に付いて学んだフランス語、ラテン語も習得していたと言いますから、一種、語学の天才だったのでしょう。それもただ読み書き、おしゃべりができる程度ではなく、それぞれの言語能力がとても高かったのでしょう。
母国語でない英語で、当時のタイム誌の記者、調査員をしていたほどですから、並の言語能力ではなかったことは確実です。そして、日本語です。これほど日本語を操れる外国人は戦後の日本にほとんどいなかった……と言ってよいでしょう。ベテアさんほど社会意識、語学の能力、コモンセンスを持つ人が他にいたなら、GHQは小娘のベテアさんではなく"その人"を雇っていたでしょうから。
ベテアさんを憲法草案制定委員会に加えたことも英断ですが、GHQは小娘のベテアさんの能力を必要としていたのでしょう。彼女は、社会保障と女性の権利の部分を担当し、彼女が作った草稿は19条、20条、21条、24条、25条、26条(原案ですが、彼女が参考にしたのは、ワイマール憲法、アメリカ合衆国憲法、フィンランド憲法、ソビエト社会主義共和国憲法など、広い視野を存分に活かしています)に及び、若く理想に燃えた知的な女性像が浮かび上がってくるようです。
しかし、ベテアさんの草稿は委員会のケーディス大佐が大幅に削り、現行の24条だけになってしまったのですが、またそうでもしなければ、ベテアさんの余りに急進的な憲法草稿を見て、時の日本政府、役人は腰を抜かしたことでしょう。それでも、ベテアさんは世界に類のない偉業を成し遂げたといってよいと思います。
その後、ベテアさんは自分の夢であった舞台芸術の方に進んでいくのですが、戦後の日本に彼女がいなかったら、日本の憲法、特に男女同権のあり方が大きく違っていたことは間違いありません。
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