第687回:自分の性別を選べる?時代
リズムに乗って体を動かすことが大好きな私は、教職にあった時、時間の許す限り、大学がオファーしている様々なダンスの授業を聴講生として参加しました。タップダンス、バレー、ヒップホップ、モダンダンス、ジャズダンスなど、私の孫のような生徒さんたちと一緒に踊り、とても私には無理な動き、回転、ジャンプなどは、一歩後ろに下がって、若いのはそれだけで素晴らしい、美しいことだな~とため息をつきながら眺めていました。
私がモタモタし、ステップを覚えられないような時に、親切に手助けしてくれる男子生徒がいました。きっと、お婆さんを可愛そうに思ったのでしょうね。彼、コール君は痩せ型、中背の、女性の多いダンス、バレークラスの中でも目立つくらいファッションセンス溢れる服装で、しかも、毎回違うタイツ、細身で筋肉質の上半身をピッタリ張り付くようなスパンデックスで包み、とてもカッコいい存在でした。
彼ならさぞかしモテモテだろう、この20人からいる教室の中でもコール君に熱い視線を送っている娘が何人もいました。ある時、彼が綺麗にマニュキュアをしていることに気がつきました。そして次の学期に入った時、彼、コール君が薄化粧をし、「私、女性になったの。これからジェニファーと呼んでくれる…」と言った時、それほど驚きませんでした。なんとなく女性的な要素が、すでにコール君時代にも見えていたからです。
私の事務所を掃除してくれていたジェネター(janitor)は、もっそりとした毛が生えたたくましい腕をした、完全なマッチョでした。年齢は40代でしょう、仕事柄作業服のようなゆったりとしたツナギを着ていましたから、他の身体の特徴は分かりません。ジェネターは早く言えば掃除夫です。当然、給料の高い仕事ではありません。その彼が毎年大枚をはたいて、カリフォルニアのそれ専門の病院で、性転換の手術を受けていたのです。あの手術は一回で、ハイ、男が女になりましたというようなものではないらしく、何年もかけて何回もの手術を経て、違う性に移行するもののようです。
ジェネターさん、私が退職する時には、「もう女性として登録している」と、ウワサ好きな秘書さんが言っていました。いつも掃除をして貰っていましたから、彼?、彼女と廊下ですれ違った時、長いこと掃除をしてくれてありがとう、晴れて女性になっておめでとうと声を掛けました。彼?、彼女は満面笑みを浮かべ、「良い引退生活を!」と、私を祝福してくれたのです。でも、その声、顔は中年の男そのものでした。彼の場合には化粧をし、人目を引く女性に生まれ変わろうというのではなく、ただ、男性性器を持って生まれてしまったけれど、本来女性のようなのです。
この数年の間、私の授業に男性とも、女性とも判断がつきかねる生徒さんが現れるようになりました。10年前には全く見かけなかった現象です。その上、学期の途中で女性から男性に、男性から女性に変わる生徒さんが出てきて、期末試験の時など、答案に書き入れる名前も変わり、混乱させられます。学生証の写真、姓名も、大学の学生課で再発行して貰っているのでしょう、元男の子は普通の女学生より、グッと女らしい自分の写真を入れていますし、元々女性だった男になった生徒さんも、ボーヤ、ボーヤした写真に取り替えています。
トイレの中で、元男子だった生徒さんに会った時には、一瞬ギョッとしました。コロラド州の公官庁、学校ではユニセックスのトイレを設けることを義務付けています。大学でも、各フロアーにユニセックス(両性?、性不明)のトイレがあります。一万人以上いる学生さん、教職員を合わせると1万5,000人近くになる中にユニセックスのトイレを使わなければならない人は至極少数でしょうけど、そのような人のために専用のトイレを設けることは素晴らしいことです。
絶対数が少ないので、ユニセックストイレはいつもとても綺麗で、しかもどういう理由からか広々しているのです。そこで私は、すっかりユニセックストイレの愛好者になってしまいました。ただ、ユニセックストイレから出てくる時、生徒さんや他の先生と出会うと、皆が皆、“アレッ!” “オヤッ”といった表情で私を見つめるのには参りますが…。
両方の性の特徴を持って生まれた人にとっては、それ自体が悲劇です。こんな人をGender Identity Disorder (性判別困難症とでも訳するのでしょうか…)と呼んでいます。成長の過程で自分は反対の性に生まれるべきだった、その方がより自分自身でいることができると気づき、真剣に悩む人もいるでしょう。また、男とも女とも見当のつけようのない人が増えてきたのは、性を移行できる社会になってきて、それを特異なことではあるにしろ、ともかく認める社会になってきた影響があると思います。
私の授業でも、彼(he), 彼女(she)、そして本来なら複数形のtheyを一人称の単数に使い、両性を呼ぶことにしていました。学期の始めの頃、確か男の子だった生徒さんが、途中で女の子になり、私にボーイフレンドを授業に連れてきても良いかと尋ねてきました。オープンな授業をモットーにしている私は、もちろん授業の邪魔にならない限り、誰でも聴講OKです。ところが、連れてきたボーイフレンドが元女性で、最近男性になったと知り、ジェンダー・アイデンティティー(gender identity)はどこにあるのか混同してしまいます。
一般的に広がってきたこんな現象を目の当たりにして、気になるのは、性を選ぶ自由を乱用というのかしら、簡単に考え、ファッショナブルだから、流行だからと軽くとり、もって生まれた性を取り替えている様子が見え隠れしていることです。自分自身であろうとするのは強い意志の力と継続した内省を必要としますが、ただ人目を引き、故意にユニークであろうとしている傾向があるように見えてしまうのです。持って生まれた性をあまりに軽く考えている傾向があるように思うのです。
人は皆…と、またまた大きく出ましたよ。持って生まれた条件の下で自分を伸ばしていくより他の生き方はできないのです。生まれた場所、人種、肌の色、その時代、どれも自分で選んだ条件ではありません。その条件の一つに性別があるのです。そんな条件を受け入れて、自分を見つけ、自分を伸ばしていくことで、自己独自性(Identity)は自然に内からにじみ出て来るものではないかと思うのです。
-…つづく
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