第109回:巨乳のバーバラさんのこと
カジェ・デラ・ヴィルヘン(Calle de la virgen)イビサ旧市街
バーバラさんほど、きれいなスペイン語を話すドイツ人に出会ったことがない。文法的に正確だというだけでなく、発音もこれぞ純カスティリアーノ(castellano*1)と呼びたくなるくらいのものだ。ところが、洗い場のカルメン叔母さんと話す時は見事にアンダルシア弁になり、『カサ・デ・バンブー』にやって来るカタラン人とはカタラン語で話し、ぺぺやカルメンとはイビセンコ語で流暢に話すのだ。私が日本人の友達と話しているのを、耳をそばだてて聴いていたのだろう、「アッ、ソ~」と即真似をするのだ。言語回路が特別に優れていて、耳から口に直結しているのだろう。
バーバラさんは、ハンブルグ市役所のスペイン語セクションで働く、いわば中南米を含めたスペイン語圏全体の情報、市内でのスペイン、中南米からのゲスト・アルバイター(外国人労働者)関連を統率する通訳、翻訳グループの長の職にあった。
彼女が大変なインテリであることは、ギュンターが持ってきたドイツ語新聞に外国人労働者の論評(私に詳しい内容は分からないにしろ)やドイツのニュース週刊誌『デル・シュピーゲル(DER SPIEGEL)』(110万部発行でヨーロッパで最大の発行部数)にも定期的に記事を書いていることからも察することができた。
歳はおそらく40歳前後だったと思う。すでに白髪の混じった髪を思いっきりショートカットにし、小さな愛嬌のある顔にのせていた。愛くるしくよく動く目を持っていた。だが、バーバラさんと対面する時、まず誰でもが真っ先に目が行ってしまうのは、彼女の巨大なオッパイだった。
イビサ二大巨乳はリナとバーバラさんが群を抜いていた。リナの方は若く、ウエストも腰も細かったが、バーバラさんはすでに中年太りが始まっていたのか、お腹が丸く出てきており、ウエストラインなど存在しなくなっていた。
バーバラさんが独身を通しているのは、彼女と対等に話ができる男が存在せず、彼女のインテリジェンスが男どもの腰を引かせているからだ、とはギュンターの解説だ。実際、バーバラさんと話すのはとても楽しく、どんな話題でもユニークな意見を持っていたうえ、それをユーモラスに、ほとんど自分自身を茶化すように語ることができた。また表情が豊かで、クリクリよく動く目は魅力的ですらあった。首から上だけ見るなら、活きいきとした好奇心一杯の少女のようにさえ見えた。
夏場のイビサ旧市街のバーは深夜遅くまで人で満杯
問題は巨大なオッパイだった。
60歳以上になっていた母親と一緒にシーズンに1、2度ディスコに行き、旧市街のバーを徘徊したりしていた。私が『カサ・デ・バンブー』を閉めてから、バーの『タベルナ』や『フィエスタ』を回り、まだ客が居座っているレストランの『サン・テルモ』に顔を出すというお決まりのコースを回っていた時、『サン・テルモ』の路上に張り出したテーブルから、私を大声で呼ぶ声が聞こえた。声の主は肩まである金髪とプラチナブロンドというのだろうか銀色に輝く髪をクルクル縮らせた女性二人が私を呼んでいるのだった。
名前は覚えられないが、顔は一度会ったら記憶に残る、忘れない自信を持っていたのだが、その二人のイビサのディスコファッションに身を固めた圧化粧の女性が誰であるか、咄嗟には分からなかった。彼女、バーバラさんが茶目っ気たっぷりに、大きなオッパイをゆさゆさと振ってくれて、初めて、カツラを被り、リオのカーニバルのような衣装に身を固め、ベットリと化粧を塗りたくった顔の奥底にバーバラさんと彼女の母親がいることに気がついたのだった。
バーバラさんはウエイターにグラスを持ってこさせ、まだ半分は残っていたワインボトルから私に注いでくれたのだった。彼女らはディスコの帰りで、大いに踊り、しかもモテモテにもてた、「お母さんは孫より若いお兄ちゃんに言い寄られ、抱きしめられ、キスまでされた。私? そりゃ凄いモテようで、整理券でも発行しようと思ったくらいだったよ。明日朝一番で婚姻届を出し兼ねないのが何人もいたわよ。中にはイヤらしいのもいて、これ(オッパイのこと)本物かと訊かれたよ。さすがに、自分の手で確かめたらとは言わなかったけどね…」と、ディスコでの武勇談を語るのだった。
その翌年だったか、2、3年後だったか記憶が定かでないのだが、バーバラさんが膝まで届く大きなティーシャツ姿で『カサ・デ・バンブー』に来たことがあった。どこか、ずいぶん痩せたのかいつもと違うな、体型が変わったなと思ってはいた。それが、巨大なオッパイを切り取ったからだとは、内部事情に詳しいギュンターに教えられるまで分からなかった。なんでも、バーバラさんは腰痛がひどくなり、その原因は重く大きなオッパイにある、よってそれを取り去り、腰に掛かる荷重を減らす必要がある…。そこでバーバラさんは、スッパリと彼女のシンボルであった大きなオッパイを切った…ということだった。
バーバラさんもアッケラカンとしていて、「私、グンとスマートになったでしょう。どうして今まであんな役に立たないものを持ち歩いていたのか、自分で分からないくらいよ。でも、それにしても男どもはどうしようもない生き物だわね。今まで熱い視線を送られ、散々悩まされたものだけど、オッパイがなくなると、誰も振り向かず、なんだか一挙に色気の抜けたお婆ちゃんになっちゃった気分だよ…」とノタマウのだった。
*1:カスティーリャノ(castellano):スペイン語(español)と呼ばれる以前は、「カスティーリャノ(castellano)」と呼ばれており、スペイン国内でも「カスティーリャノ」が一般的です。スペイン中央部の地方のことで、「カステラ」はこの地方のパンの意。
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