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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第110回:イビサ上下水道事情 その1

更新日2020/03/26

 

ヨーロッパ全体と言っても言い過ぎではないと思うが、水道の水はとても飲めたのものではない。ロンドン、パリ、ローマなどの大都会の水は言うに及ばず、地中海沿岸の大中小の都市、町、どこへ行っても硬水、それもガチガチの硬水で、庭に撒いてしばらくすると、蒸発した水道水の残りカスの石灰が白く地表に残るほどだ。

ヨーロッパの国々はくまなく旅したと思うが、町から雪を被った山々、緑の大木が鬱蒼と茂っている山が見えるなら、まずそこの水道水は飲めると判断していた。最近、東京、大阪の水道水も酷いことになってきたとはいえ、日本のように、どの町に行っても、水道水をなんら不安なく飲める国は他にないと思う。

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Garaffa de aqua(交換式の水用大型ビン)

フランスの「エヴィアン」など、ビン詰めの水が昔から広く売られていた所以だ。今でこそ、ペットボトル入りのミネラルウォーターは当たり前になっているが、当時のスペイン、イビサではペットボトルなど存在せず、すべてガラスのビン詰めで、空ビンは回収され、詰め直される方式だった。

アンダルシアのシェラネヴァダ山脈の谷間の町ランハロン(Lanjaron)は無尽蔵に泉が湧き出ていて、ほとんど独占的にスペインのビン詰めミネラルウォーター界を牛耳っていた。問題はその価格で、当時、ガラッファ(Garaffa;空き瓶)を持って量り売りで買うヴァルデペーニャ(Valdepeñas;ラ・マンチャ州の町)の安いワインの方が、ビン詰めのミネラルウォーターより安かった。自然、ビン詰めの水に金を払うのは外国人観光客だけだ、ワインを知らないバカモンだけだという図式ができ上がっていた。

それにしてもイビサの水道水は酷かった。仰々しくも、アグア・ポタブレ・デ・イビサ(Agua Potable de IBIZA;イビサ飲料水)と銘うった水道局が司ってはいたが、喉が渇ききった馬や牛でさえ顔をそむける、豚に呑ませたところ、その豚は下痢をしたという話がチマタに広がっていた。せいぜい水洗便所を流すための水だと言われていた。

イビサの水道水は一応、地下水を汲み上げ、処理した上で前世紀的な配管システムを通して送られてくる。強烈な塩素の臭いが残っている薄めの海水と言えば当たっているだろうか。蛇口から流れている水を口に含んだ100%の人は、ゲッと吐き出すこと請け合いだ。

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アパートの屋上には貯水槽が設置されている

そんな水でもトイレを流す、風呂、シャワー、食器類を洗うのに必要だ。『カサ・デ・バンブー』のあるゴメスアパートの水道水はゴメスさんが住む4階の更に上、屋上に直径1.2メートルくらい、高さ2メートルくらいの円筒形の貯水タンクが四つばかりあり、そこに一度水道局の水を蓄え、各アパートに配管して供給していた。落差で水圧を保つという、一見理に適ったやり方で、夏場に四六時中起こる断水にも多少は対処できる…つもりだったのだろう。

ある年、春先にゴメスさんのお声掛かりで、その貯水槽を掃除する羽目に陥ったのだ。シーズン前で店を開く前だったし、ゴメスさんの「チョット、手を貸してくれ…」という呼びかけに喜んで応じたのが運の尽きだった。

四つ並んだ貯水槽は高さ50~60センチほどのコンクリートブロックの上に据えられていた。そのために用意された不安定な木製のハシゴで、貯水槽の上まで登り、重い蓋を持ち上げ、外し、ゴメスさんから手渡された長い柄の付いたブラシで水槽内を洗う算段だった。

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屋上に設置されている貯水槽(参考イメージ)

ところが、一番目のタンクの上蓋を開けてギョッとした。緑の藻のようなものが漂い、タンクの底は全く見えず、表面に薄っすらと張った油が嫌な色をみせて反射し、そこにゴミ、ホコリ、ありとあらゆる浮遊物が漂っているではないか。いくらトイレ、シャワー用の水にしてもよくぞ集団食中毒などにならなったものだとあきれ返ったことだ。

こんな貯水槽は、タダでさえ酷いイビサの水道水をさらに悪化させる、まさに病原菌の温床になるのではないかと、ゴメスさんに伝えたところ、「イヤ、俺はこうして80過ぎまでピンピンしているし、むやみに繊細なドイツ人どもが2、3人腹を壊したって、問題にするにはあたらないさ…」と言うのだった。

水を足首の深さまで抜き、水槽に入り、ハンドブラシと“レヒア”(Regia;家庭用の漂白剤)でゴシゴシ洗う作業をやったのだ。ゴメスさんは、「中はそんなに居心地が良いのか? もう上がって来い!」とか勝手なことばかり怒鳴り、鼓舞したつもりになっていた。掛け声だけは良い軍曹の指揮下で、無能な二等兵が必要のない塹壕堀りをやらされているようなものだ。

私は特に閉所恐怖症というわけではないのだが、いざ円筒形のタンクから出ようした時、力の入れようがなく、足掛かりもなく、自分自身をタンクの上に持ち上げることができず、往生した。このまま貯水槽の中で死んだとしても、ゴメスさん以外、誰も知らない、完全犯罪が成立するのでは…と脳裏にチラついたほどだった。

長い柄の付いたブラシを円筒形のタンクの上に渡し、柄が折れないよう、タンクに近いヘリのところを掴み、何年もやったことがない鉄棒の逆上がりの要領で、やっとの思いでタンクの縁に尻を乗せることができた時には、心底ホッとしたことだ。

そのようにして四つの貯水槽を洗ったのだった。

私の足は漂白剤のせいで白くフヤケてしまった。ゴメスさんは上機嫌だった。そのようにして、貯水槽清掃が毎年春先の私の仕事になってしまったのだった。その顛末をギュンターに語ったところ、道理でこの頃、シャワーの水がお前の足の臭いがすると思った、と笑っただけだった。

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旧式の水洗便器(参考イメージ)

イビサだけではないが、地中海に面した国々の水洗便所(もしそんなものがあるとすれば…)は白い陶器の水槽が天井にくっつくほどの高いところにあり、それを長く細い鎖の紐で引っ張り、弁を開き、落差攻撃の水鉄砲十字放射でも撃つような勢いで便器の汚物を流すシステムだ。流体力学的な効用、試行錯誤はなされておらず、タダひたすら“水は高きから低きに流れる”という定理だけに基づいている。

日本や他の西欧の国々のように、便座の背もたれのところに水槽を置くだけで十分な勢いで流すことができる…とは思いつかなかったようなのだ。便器に入った水の流れ方がキーポイントで、現代的な水洗は水が渦巻くように、便器を洗い流すように水と汚物を流すが、イビサ、地中海方式は、天井近くにある貯水槽から太目のパイプでドッバッとばかり便器の後ろの方から真っ直ぐ前方に放射される。従って、便器の中央に大きな大便があると勢いの付いた水はそれにぶつかり、シブキを飛ばすことになる。

すべてを終え、十分な距離を置いてから長い鎖の紐を引くべしと知るのは、何度か尻を濡らした後で学んだことだ。

 

 

第111回:イビサ上下水道事情 その2

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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