■くらり、スペイン〜イベリア半島ふらりジカタビ、の巻

湯川カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく! 著書『カナ式ラテン生活』。


■移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻(連載完了分)

■イベリア半島ふらりジカタビ、の巻
第1回:旅立ち、0キロメートル地点にて
第2回:移動遊園地で、命を惜しむ
第3回:佐賀的な町でジョン・レノンを探す(1)
第4回:佐賀的な町でジョン・レノンを探す(2)
第5回:佐賀的な町でジョン・レノンを探す(3)
第6回:パエージャ発祥の地、浜名な湖へ(1)
第7回:パエージャ発祥の地、浜名な湖へ(2)
第8回:パエージャ発祥の地、浜名な湖へ(3)
第9回:パエージャ発祥の地、浜名な湖へ(4)
第10回:奇才の故郷に、ごめんくさーい(1)
第11回:奇才の故郷に、ごめんくさーい(2)
第12回:奇才の故郷に、ごめんくさーい(3)
第13回:奇才の故郷に、ごめんくさーい(4)
第14回:たいへん! ムール貝を、重油が覆う(1)
第15回:たいへん! ムール貝を、重油が覆う(2)

■更新予定日:毎週木曜日




第16回:たいへん! ムール貝を、重油が覆う(3)

 

更新日2003/02/14


実は、ガリシアへ行く前の週、自宅に泥棒が入った。4重に施錠する鉄板入り防犯ドアが、枠ごと外された。取材のために用意していた一眼レフカメラ、デジタルカメラ、それにノートブックパソコンなどをはじめ、金目のものは洗いざらい持っていかれた。しかも運悪くその日から工場が冬休みに入るため、ドアの枠は無残に壊された状態で年を越さなければならないという。

ガリシアに行くか、行かないか、直前まで悩んだ。いくらもう金目のものはないとはいえ、留守中にもう一度やられたら、さすがに立ち直れないかもしれない。しかも、自分自身がまだあまり元気ではない。こんな状態で行って、なにかできるのだろうか?

でも結局、思い切って行くことにした。こういう巡りあわせなのだ、たぶん。それに、こんないましか感じられないことも、あるかもしれない。


こうして私は12月28日、朝9時55分の飛行機に乗り込んだ。

ところでガリシア州には北からア・コルニャ、サンティアゴ・デ・コンポステラ、ビゴと3つの空港がある。実は今回はじめて知って、驚いた。それぞれの町の距離は約70kmしかない。3つもの空港は要らないように思われるが、裏を返せば、それぞれの町がそれほど重要であるということなのだろう。

ア・コルニャは人口20万。スペインの歴史上もっとも重要な港のひとつで、イギリス艦隊に負けて「なんだ無敵じゃなかったんじゃん!」と世界中にばれたアルマダ艦隊も、ここから出航した。400年ほど前の、話。

内陸のサンティアゴ・デ・コンポステラは人口10万。キリスト教三大巡礼道のひとつ、「エル・カミーノ」の終点となるカテドラルがある。なんでも9世紀にサンティアゴ(聖ヤコブ)の遺骸が、星(ラテン語ではだいたいステラ)の導きによって野(同じくコンポ)に発見されたのだそうだ。もちろん、キリストの12使徒であるサンティアゴは大昔(一説によると西暦44年)に、悪名高いヘロデ王によって処刑されている。ひとの死体が800年以上も残るかい! と言いたいところだけど、聖人の遺体は腐らない、というか、遺体が腐らないことが聖人の証になるのだという。ふーん。ともかくこうしてこの町には、熱心な信者がいまも、フランスなどから800kmあまりを歩いてやってくる。

ビゴは人口30万で、ガリシア地方最大の町。イベリア半島の西の海岸線をほとんどポルトガルに占められているスペインとしては、とても貴重な大西洋の西の玄関口である。町は、ヨーロッパ最大の魚介類の養殖地であるリアス・バハスに位置する。このあたりには、渡り鳥の重要な飛来地として有名な自然公園もある。今回の目的地は、ここになる。1時間あまりで飛行機は慌しく高度を下げ、曇天のビゴ空港に着陸した。


レンタカーを借り、カーナビならぬカナ・ナビ(かなり正確性に欠ける)で旧市街内のホテルへ向かう。

マドリード近辺、とくに南のラ・マンチャ地方の「不毛」や「荒漠」という言葉しか思いつかせない乾いた大地、あるのは光と影のコントラストだけ、というようなあの光景とは違い、ガリシアは緑また緑で柔らかく美しい。山の斜面を走る海沿いの道は絶え間なくカーブが続き、これまた「おらおら見てみな、地平線まで直線だっせ」という荒々しいラ・マンチャとは大違い。というか、窓の外に広がる景色はまさに、記憶のなかにある日本の田舎そのもの。山の斜面には民家と物置が程よい距離でぽつりぽつりと建ち、あまりバスの来なさそうな鉄錆の浮いたバス停が現れる。ためしに、この風景のどこかに「ボンカレー」とか「マルフク」とかの看板を置いてみても、ちっとも違和感がなさそうだ。

スペインのあらゆる旧市街トラップの例に漏れることなく、ビゴでも一方通行、石畳、工事、案内板不親切の罠にいちいちはまりながら、ようやくホテルへチェックイン。海までぶらぶら歩き、地ビールを飲みながら軽く昼食を取って、というのも「私には崇高な精神でのボランティアはできなさそうだから、ふつうにできる範囲でやろう」と決めていたからなのだけど、コーヒーまで飲んでから、やおら重油汚染の被害を受けている海岸へと車で向かった。


高速道路をしばらく北上したあと、海沿いの県道をゆっくり走る。深い入り江の奥をぐるっとまわりこむかたちで進む車からは、穏やかな海面にムール貝の筏が並んでいるのが見える。こののどかな光景、なんか見覚えあるぞ。そうだ、長崎から福岡に行く特急の車窓から見える有明海、カキの養殖筏や海苔網が点在する様子そのものだ。ちょうど泥棒事件で心細くなっていたせいもあってか、今回、ガリシアの風景には、ふと郷愁を誘われることしきり。わーん、おかーちゃーん。

運良くこの日は晴れていたのだが前日までは1週間以上雨が続いていたということで、そのせいでか、海は緑がかった沈んだ色合いをしている。湾の入り口では砂嘴が長く伸びているところもあり、その手前で松なんかが風情ありげに枝を揺らしていて、「あぁ松島や松島や」などとステロタイプな感想を漏らしてしまうほどに、とにかく美しい。

そうするうち、視界に入る海の様子が次第に荒くなってきて、ということはいよいよ外海に近づいているのだなと思っていると、波がざっぱーんと打ち寄せては引いていく荒々しい岩場が黒ずんでいるのが目についてきた。岬の突端近くまで来たところでしばらく山の中を走り、最初の目的地であるコルベド岬(地図中の1)に出たら、もう、海岸は真っ黒だった。


夕方になって帰り支度をしていたボランティアのひとたちに、話を聞いた。

「僕たちは個人でやってきたんだ。州政府? 冗談じゃない、奴らはなにもしない、なんにも! ……状況は、ひどい、本当にひどいよ。明日? もちろん、ここへ来るよ」

油で真っ黒になった手袋を外しながら答えてくれた彼らに礼を言い、
小走りで浜辺へと降り立った。


アミーガによるレポート
「ガリシア沖重油タンカー沈没事故」

 

第17回:たいへん! ムール貝を、重油が覆う(4)

 
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