■くらり、スペイン~移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻

湯川カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく!
著書『カナ式ラテン生活』。


第1回: はじめまして。
第2回: 愛の人。(前編)
第3回: 愛の人。(後編)
第4回:自らを助くるもの(前編)
第5回:自らを助くるもの(後編)
第6回:ヒマワリの姉御(前編)
第7回:ヒマワリの姉御(後編)
第8回:素晴らしき哉、芳醇な日々(前編)
第9回:素晴らしき哉、芳醇な日々(後編)
第10回:半分のオレンジ(前編)

■更新予定日:毎週木曜日




第11回: 半分のオレンジ(後編)

更新日2002/07/04 

アミーガ・データ
HN:Reiko
恋しい日本のもの:『湿気』『親と友達』
『店員の専門的な商品知識』

「君なら3ヶ月でペラペラだ!」 日本で習っていた語学学校の先生がそう太鼓判を押したので、留学はひと夏だけの予定だった。ところが、まったく授業についていけないままに期間終了。このまま帰国しても意味がないと、大学の1年コースに入学を決める。留学を応援してくれた彼とも、別れた。そして大学終了後は、公立語学学校へ。結局300万の資金で、約3年間の留学生活を乗り切った。

留学生活は、楽しかった。アパートをシェアーしていた酒飲みの心理カウンセラー、ひょんなことで知り合ったクロスワードパズル作家、楽しい仲間もできた。だが、スペイン生活2年目に、突然の鬱が彼女を襲う。いまでもその理由はわからないというが、とにかく毎日がどん底の気分。出口を模索していたときに出会ったのが、アントニオだった。


アントニオは縁なし眼鏡をかけていて、その奥の目はいつも優しい色をたたえている。フワッとして温かく、でも強い意志も感じさせる……、そう、ジョン・レノンのような雰囲気の男性。ただし柔らかい髪の毛は短く揃えられているのだけれど。

同級生の夫の兄であった彼に初めて会ったとき、しかしReikoは、そうは思わなかったという。「『腹の出たにいちゃんだなー』って。ちょっとひどいよね?」 でもやがて、趣味のサルサや欝時代に興味を持ったスピリチュアルな話題などを重ねるうち、互いにかけがえのない存在となっていく。ちょうどスペインを訪れた母親も、柔和でまじめな雰囲気の彼と会って、言葉は通じなくとも安心し、今度は交際を認めてくれた。

やがて語学学校の最終コースが終わり、日本へ帰国するときが近づいた。行きつけのイタリアン・レストランで、ふたりで泣きながら話し合った。そしてアントニオが言った。「帰ったらもう会えなくなる。それなら結婚しよう」 あっさりハイ、と返事した。「なんだかわからないんだけどね」と笑うが、ふたりはもう、互いをオレンジの半分"media naranja"と認め合っていたのだろう。これはスペイン語で、とくに愛情面において最高のパートナーを意味する言葉だ。


カトリック教徒が国民の90%を超えると言われるスペイン。Reikoは、非カトリック教徒が教会で式を挙げるには洗礼を受けなければならないと聞いていた。もちろん役所で届けだけをすることもできるのだが、せっかくの結婚式である。ふたりとも、スピリチュアルなものにしたいと考えていた。

悩むふたりに、知人がある神父を紹介する。彼は中南米の貧困層とともに闘う「解放の神学」派に属し、スペイン教会からは破門されているという。直接会って話をし、その人柄に惹かれた。ぜひ自分たちの式をお願いしたいと頼むと、「無理に洗礼などしなくとも、信仰心さえあればみんな仲間だ」と快諾してくれた。こうしてふたりは、彼の知人が働く学校の礼拝堂で、小さな式を挙げた。自分たちで選んだ音楽が流れる中、親戚や親しい友人に見守られて、永遠の愛を誓う。まさにふたりが望んだ、スピリチュアルな、心から良かったと思える式だった。


スタートは良かったが、今日まで6年間の結婚生活はずっと平穏だったわけではない。いつしかReikoは「スペイン大嫌い病」になってしまった。いまだから笑って話せるが、当時は身体に不調をきたすほど追い込まれていた。

外国に住んでいると、銀行や買い物、ちょっとした用事ひとつをするにも「構えて」いなければならない。どれだけ語学に堪能でも、それとは別の問題だ。結婚を通じてスペインの社会に強制的に組み入れられてみて、はじめて感じた思い。「逃げ場がないー!」 毎週末を両親と実家で過ごすスペインの習慣も辛かった。イベントのたびに、大家族の総勢16人が集まることも。気がつくと、スペインが嫌いで嫌いでたまらなくなっていた。

ふたりは出口を探して、話し合い続けてきた。「自分を責めることはないよ。しんどい思いまでして他人に合わせる必要はない」 アントニオは、彼女に繰り返しそう言った。やがて3年ぶりに日本へ一時帰国した時期を境に、身体の不調は徐々に収まった。インターネットを通じて、しょうもない話なんかができる日本人の友人ができたことも良かったのかもしれない。私も、そんな茶飲み友達のひとりだ。


Reikoにとってのスペインは今、「ちょっと嫌いだけど、好き」「でもやっぱり疲れる」場所。長男だからと過剰な責任を負わされたり、他人に干渉されたりすることが少ないのは良いと思う。なんだかんだ言っても、暮らしやすくはある。でも、それでも、もしアントニオの故郷でなかったならば、ここに住むことはないだろう。

もし日本に帰ったら? 想像してみる。言葉の面では完璧だ。その点ではラク。ただし、日本は社会的にストレスの大きい社会。それは充分にわかっている。ひょっとしたら、ふたりとも擦り切れてしまうかもしれない。なにより、いまの自分と同じ外国人の立場になるアントニオは……。


彼はいま、日本語を勉強中だ。日本に引っ越しても良い、そう思っている。それが、ふたりの出した結論ならば。いや、他の国でもどこでも良いのだ。ふたりが幸せに暮らせるのならばどこだって。


正面から向かい合ってふたりでひとつの人生を生きる、Reikoとアントニオは、やはりヨーコとジョンに似ている。"Love is you, you and me." そんな言葉だって、まじめに交わせる仲。そしておざなりでない対話を通じて模索するのだ。ふたりの、愛の、姿をね。だって愛はふたりの人生そのものなのだから。"Love is knowing we can be." ()

ところで結婚しないと言い張っていた私は、同級生でいちばん早く、20代前半で結婚した。パートナーはたまたま、丸っこい眼鏡をかけた柔和な雰囲気。そういえばちょうど腹も出てきた。だからなおさら、Reikoとアントニオが作るオレンジ色の愛のかたちは、いつでも私の最高のお手本である。

()ジョン・レノン『ジョンの魂』収録曲"Love"の歌詞

 

 

第12回:20歳。(前編)