発車の時刻が迫っている。私たちは7号車に向かいつつ、手近な車両に乗って車内を歩いた。5号車は食堂車だが現在は営業しておらず、フリースペースとして開放されている。そこはすでに満席で、グループ客がお菓子や駅弁を並べて盛り上がっていた。寝台はくつろぎにくいところなので、私たちも眠くなるまでここに居ようと思っていたけれど、席はひとつも空いていない。残念だが、その光景は30年前の食堂車の賑わいが再現されたようで、こちらも楽しくなってきた。
さらに7号車へ向かって歩くと、折り戸式の自動ドアが閉まった。そのドアの向こうに若い男性がいて、困ったような仕草をしている。乗り遅れかな、どうなるだろう、と思ったら、再びドアが開いて乗車できたようだ。よかった。いよいよ発車だ。私たちが席にたどり着く前にガクンという揺れがあって、列車がゆっくり動き出した。
「いいよなぁ、これが客車の発車だよ」と満足げだ。しかし私は、30年前に乗った"さくら"や"はやぶさ"で、気づかぬほど静かに発車したことを覚えている。一昨年に大阪行きの急行寝台"銀河"に乗ったときでさえ、もうすこしマシだったような気がした。
いよいよ発車だ。
7号車6番上下段が私たちの席だ。座ると進行方向を向く席でよかった。向かい側の5番の下段には中年の男性がいて、私たちを珍しそうに見ている。私はひとまず上段寝台に上がり、荷物置き場に二人分の鞄を載せた。夜食やカメラなどの取材道具は寝台におき、いつでも出せるようにする。簡単な支度を調えて、二人並んで下段に座る。相席の男性と、どんな挨拶をしようかと思案する。開放型B寝台は、相客との相性で楽しさが天地ほど違う。優しい人だと良いけれど、すぐに寝入ったり、黙り込んでしまうタイプだと少し気まずい。
しかし、心配は無用だった。「今日はどうしてこんなに乗っているんだい?」と向かいのオジサンに声をかけられた。オジサン、といっても私たちよりひとまわり上くらいだろうか。30代後半の私たちが中年のビギナーなら、オジサンは中年のベテランという印象だ。この騒ぎの理由を知らない様子なので、私たちのような鉄道ファンではなさそうだ。ちゃんと用事があって乗る人もいるのだな、と思う。
「もうすぐこの列車が廃止になるんですよ」
「えっ、なくなっちゃうの、それは困るなあ」
「どちらに行かれるンですか」
「京都で降りるんだけど」
「き、京都ですか」
今度は私たちが驚いた。出雲の京都到着は3時39分だ。出雲は京都駅で機関車を交代させる。だから停車する必要があるのだが、なぜこんな時間に旅客扱いをするのだろう、と思っていた。ちゃんと乗降客がいらっしゃるとは思わなかった。どんな事情かと聞けば、"星祭り"に行くという。京都駅に4時頃着いて、のんびり歩いていくと、開始時刻に祭りの会場に着くそうだ。
このときは詳しく聞かなかったけれど、後に調べるとこの祭りはどうやら『阿含の星祭り』という催しらしい。巨大なキャンプファイヤー状のやぐらを組み、それを燃やして炎を竜神や仏様に見立て、不幸や不運を焼き尽くせと祈願するそうだ。星祭りというより火祭りである。
寝台車は廊下が窓側に寄っている。
廊下側の引き出し式の椅子に若い男性が座っている。彼が向かい側、5番の上段の主らしい。鉄道ファンのようで
「みなさんもお別れ乗車ですか」と話しかけてきた。
「私たちはそうだけど、彼は用事で京都まで乗るそうですよ」
というと、私たちと同じように驚いていた。
オジサンは毎年、出雲で京都参りをしているという。去年まではガラガラで、自分だけしか乗っていない時もあったそうだ。それが今年は満席だから驚いた。来年からどうしよう、新幹線とホテルじゃお金がかかる。東京発は他にも富士やはやぶさがあるけれど、京都着が早すぎる。姉妹列車のサンライズ出雲は京都に停まらず、急行銀河の6時43分では祭りの開始に間に合わない。出雲廃止のダイヤ改正で、サンライズ出雲の京都停車を期待するしかないな、などと話していた。
オジサンに促され、5番上段の男性が隣に座った。島根県庁の職員で、中央官庁に出向して単身赴任中。地元と中央のパイプ役だろうか。今回は県庁への逆出張と帰省を兼ねた。若いのに二児のパパである。男の子は父親の列車の旅をうらやましがり、奥様はなぜ飛行機で早く帰らないのかと機嫌を悪くされてしまったらしい。
「もう乗れないと思うと、どうしても乗りたくなって」と笑う。
「その気持ち、解りますよ」とM氏。彼も愛娘がいる。
「そうかなあ、オレなら飛行機にしますが」と私。銀河で眠れなかった日以来、どうも旧来の寝台特急は高すぎると思っている。今回の出雲号も、片道11時間半も乗れるから、その分楽しめるな、という気持ちがなければ乗らなかったかもしれない。
夕食は東京駅の鳥めし弁当。
「本当はA寝台の個室に乗りたかったんですよ」とM氏。
「あの狭さで1万3,000円以上もするなんて高すぎますよ。IT長者のH氏が拘留中の部屋だって3畳あるって話らしいですよ。1万円以上払って拘置所の部屋より狭いなんて……」と屁理屈を言う私。
「君は本当に鉄道が好きなのか」とM氏が言う。3人の眼がこちらに向いている。そこを突かれると弱い。しかし本音だから仕方ない。
そんな会話の中、出雲号は京浜東北線と併走し、新橋、品川を通過した。私が住む街が見える。見慣れた街も、長距離夜行列車の窓から見ると異国に見える。寝台車の車窓には旅情というフィルターがかかっているのかもしれない。多摩川を渡って川崎駅を通過。さらに快走して横浜駅に着いた。東海道線の各駅停車と同じホームだ。ホームに立つ人が、珍しい列車が来たな、という顔をしている。ブルートレインブームの頃、寝台列車から通勤する人々を見ると、ちょっとした優越感があった。しかし、いまの私がホームに立つ側だったら、行き先表示を見て、「物好きがいるな」としか思わないかもしれない。
いくつか空いていた寝台は、横浜駅からの乗客でほぼ埋まった。発車すると相変わらずガクンと揺れる。鉄道好きが3人もいるから、私たちの話題は尽きない。景色を見るどころではなくなってきた。オジサンも言葉の端々に鉄道の知識が現れており、どうやらかなりの鉄道好きのようだ。馬脚を露わしたな、と思うとなんだか可笑しい。
「上司に鉄道好きがいましてね」と5番上段氏が話を続ける。もっとも出雲と縁の深い人だから、話を聞いて飽きない。
「出雲によく乗っていたはずなのに、今日は発車時刻を勘違いしてしまいました」
「ア、それじゃあさっきの」私とM氏が思わず指さす。
東京駅を発車するとき、閉まった折り戸の向こうで慌てていた人がいた。その人がここに座っている5番上段氏なのであった。
廊下の天井側に小さな鏡がある.。
旅人へのちょっとした気配りだ。
-…つづく