寝台特急出雲号。7号車5番6番寝台の乗客たちは盛り上がり、景色を眺める暇もない。話はかつてのブルートレインブームの隆盛から、各地の鉄道に及んでいた。相席の他人と意気投合するなんて、開放型B寝台の旅としては最上級の幸運である。もし愛想の悪い相手だったら、M氏と二人で休業中の食堂車へ行こうと思っていたけれど、すでにそこは満員だった。しかし今回は上出来だ。自分の席で楽しい時間が過ぎていく。寝台車の、こんな出会いは久しぶりだ。
会話の合間に窓を眺めていると、だんだん街の明かりが落ち着いてくる。東海道線の車窓は、東京駅を出て品川までがオフィスや歓楽街。品川を出ると少し落ち着いて住宅街や商店街になる。多摩川を越えると川崎でちょっと明るくなるけれど、そこから西へ向かうほど夜景が落ち着いてくる。横浜は大都会だが、駅の構内が広いので、街の明かりが車窓に届きにくい。
鉄道好きにとっては、田町から品川までの区間が最初の見所だ。東海道線は上下線の間に機関車や電車の車庫があり、下り列車に乗ると車庫の裏側を眺められる。その後、京浜東北線と併走し、通勤客が並ぶ駅を横目に快走しつつ、京浜急行や横須賀線と併走する。そんな景色が続くから、鉄道好きが乗り合わせれば話題に欠くことはない。星祭りに行くというオジサンも、実はかなり鉄道に詳しい。知らない振りをして私たちの話を促そうとするフシがある。便利だから、という理由だけで出雲号に乗り続けたわけではなさそうだ。
大船を過ぎるとさらに車窓が暗くなる。過ぎていく明かりは線路に沿った道の街灯くらいだ。このあたりになると住宅よりも工場など企業の敷地が増えていく。暗い建物の屋根に看板だけが光っている。そうかと思えば、大きなマンションがのっそり現れることがある。不況で企業が手放した土地がマンションに変わっている。そんなマンションのひとつに、パトカーと救急車が群がっていた。白点ばかりの夜景に、とつぜん赤い回転灯が通り過ぎるから、注目してしまう。何があったのかは解らないけれど、この窓の向こうでは人々の数だけドラマがある。出雲号は今夜、いくつのドラマを通り過ぎることだろう。
東海道本線は小田原まで複々線になっている。暗い車窓に微かな変化があって、目を懲らすと、同じ方向に貨物列車が走っている。こちらと仲良く並ぼうというわけではなく、あちらはあちらの都合で走っているから、なんとなく前に行ったり後ろに下がったりしている。かなり長い編成だ。どの貨車もコンテナをたくさん載せている。
「この貨物列車は20両編成だよ」とM氏が言う。鉄道貨物の需要が増えて、今後はあと5両連結し、25両で運転する計画もあるらしい。国鉄末期、コンテナ貨車の台枠だけをつないだ貨物列車をよく見かけたけれど、あの時代がどん底で、現在は上昇傾向なのだろう。
貨物列車はずんずんと加速し、出雲号を追い越そうとしている。しかし、複々線区間は小田原で終わりだ。貨物が先に行くと思ったら、あちらはしょんぼりとスピードを落とした。新幹線の高架が寄り添って、出雲号が貨物列車に先行する形で小田原駅の構内に入った。出雲号がなくなれば、その運行時刻は貨物列車が使うことになるのだろうか。ガラガラの寝台特急よりは、満載の貨物列車を走らたい。出雲号の廃止には、そんな事情もあるのかもしれない。
私たちの声が大きすぎたようで、中年の女性から「静かにしてほしい」と言われてしまった。廊下側の窓に映った女性はふたつほど前の区画に戻った。そこまで聞こえるほどの声だったのか、と申し訳なく思う。こちらの4人に気まずい空気が流れたけれど、私にはそれも懐かしい。ブルートレイン全盛期、こんな事件は毎夜、各車両で起こっていたはずだ。しかし、最近の出雲ではなかっただろう。
今日の出雲号は鉄道ファンだけではなく、家族連れもたくさん乗っている。普段は飛行機だけど、廃止と聞いて記念に乗っておこう、という気分になったのかもしれない。ご婦人だけではなく、こどもたちの姿も見かける。本当に、古き良き時代の寝台列車に戻っていた。
丹那トンネルに入ると私たちの会話は次第に収束し、なんとなく個々の寝台に散開した。M氏は静岡まで起きているつもりだという。私はなるべくたくさん眠っていたい。時計はそろそろ23時。出雲号の旅は残り12時間である。眠気を誘うため、寝転がりながら取材メモを書いたり、本を読んだりしていた。狭いベッドだが、不思議と落ち着く空間でもある。下のほうからM氏と5番上段氏の声が聞こえる。京都で機関車の交換を見ようとしているらしい。私はただ眠りたい。
読書や物書きには十分な狭さ。
……深い眠りと浅い眠りを繰り返し、なにやらざわついた感覚があって目を開ける。列車は停まっているようだ。カーテンを開けるとオジサンが荷物をまとめている。なるほど、京都に着いたようだ。オジサンが、起こしちゃったか、すまんな、と小声で言う。私も小さな声でさようなら、お気をつけて、と言った。
さらに見渡すと、M氏と5番上段氏が厚着をしていた。これから機関車のほうに向かうらしい。私もなんとなく起き出した。機関車を見ようとは思わないけれど、のどが渇いている。ホームのどこかに自販機はないかと探すけれど、この車両のそばにはないようだ。外に出て探そうかと思ったけれど、寝起きで億劫になってしまい、オジサンがいたベッドに座ってぼーっと夜の京都駅を眺めていた。
しばらくすると、M氏と5番上段氏が満足そうな顔で戻ってきた。すると、列車がゆっくり、静かに、すべるように動き出した。そう、これが本当の客車列車の運転というものだ。こんな腕を持った人が、まだこちらには残っていたのかと嬉しくなる。
満足してベッドに戻ろうとしたとき、M氏が
「こっちの窓から梅小路蒸気機関車館が見えるよ」
というので、上りかけた階段を下りて窓に並んだ。列車は山陰本線に入り、東海道本線と分かれる。その分岐点付近に梅小路蒸気機関車館がある。出雲号は眠る機関車たちのそばを通り過ぎた。扇形機関庫の中に明かりが灯っていて、黒い機関車の影が見えた。
そのまま窓の外を見下ろしていたら、倉庫の駐車場のようなところで数人の暴走バイクがグルグル回っていた。彼らは出雲号の乗客に見られているなどと気がつかないだろうし、出雲号がもう走らなくなることも知らない。短い距離なのに、寝台車の中と外は別世界である。
-…つづく