第384回:薄暮の生活路線 - 阪急今津線2 -
19時前。薄暮の時刻。今津線の宝塚行きホームに電車が着くと、大勢のお客さんが降りてきて、ほぼ同数のお客さんが乗り込む。誰もが家路へ急ぐ時間帯である。いや、到着した人々は夜の遊びに出かけるところかもしれない。車内はほどほどの混雑であった。私は扉のそばに立った。このままだと、宝塚に着く頃には暗くなってしまいそうだ。5月17日。国立天文台のサイトによると、日没は18時56分である。だいたい日没から30分くらいは景色が見える。ただし、ガラス越しの写真は照明が映り込む。
西宮北口駅 宝塚方面ホーム
今津線の沿線は住宅街である。この路線も小林一三が住宅開発に力を入れたという。歴史をひも解くと、この路線は阪神急行電鉄が1921(大正10)年に西宝線として宝塚と西宮北口駅の間を開業した。沿線に誘客できる施設は何もない。しいて言えば武庫川の水運から移動する需要はあったかもしれない。しかし、宝塚でさえ何もなかったという。
それでも小林には勝算があっただろう。10年前に宝塚線が開業すると、小林は沿線の開発を推し進めて成果を上げた。次に着手した路線は神戸本線で、こちらは1920年に開通している。西宝線はその1年後の開業だ。小林は西宝線に、宝塚線と神戸線を結ぶ横糸としての役割を持たせた。同時に、宝塚から神戸方面への需要を開拓したかったと思われる。ようするに、当時の小林はイケイケだったわけである。
甲東園駅手前 山陽新幹線の高架
小林は西宝線で新しい計画を実行した。学校の誘致であった。住宅開発ももちろん実施したけれど、住宅が生み出す需要は通勤客であり、朝はターミナルへ、夜は郊外へという一方通行だった。しかし、沿線の住宅街に私立学校を誘致すれば、その逆向きの通学需要が生まれる。費用版のよい学校が近くにあれば、住宅地の価値も上がる。これも後に続く大手私鉄の多くが実践した手法であり、日本の鉄道開発の定番となっている。
西宮西口から北方面の電車に乗ると、次の門戸厄神、甲東園の両駅の西側に関西学院大、神戸女学院の広大な敷地がある。どちらもルーツは神戸市街地にあった学校で、拡張のために当地に移転したという。甲東園というように「園」がつく地名は高級住宅地のブランド名だという。高校野球の甲子園もそうで、他の昭和園、甲風園、甲陽園、苦楽園、香櫨園と合わせて西宮七園というそうだ。大都会から程よく離れて、交通の便が良い。東京でいう成城や田園調布のような地域だろうか。
これが仁川?
小さな川を渡って仁川駅に停まった。さっきの川が仁川だろうか。韓国の国際空港と同じ文字だなと思う。今までと同じ住宅街の風景で、駅前にビルがある。上りホームを見ると、改札機がズラリと並んでいる。そんなに通勤客が多いのかと思ったけれど、地図を見ると阪神競馬場の最寄り駅である。阪神競馬場は小林一三の誘致ではなく、戦後に移転してきた。用地はもともと川西航空機の工場で、紫電改や二式飛行艇を作ったところだという。
競馬場客に対応する改札口
川西航空機の社名は武庫川の西ではなく、創業者の苗字であった。GHQにより航空産業から撤退した後、新明和興業となって再興。現在は新明和工業となって、自衛隊向けの飛行艇や旅客機の部品を作っている。私たちに身近なところでは機械式駐車場のメーカーだ。私のクルマが収まっている月極め駐車場も『ShinMaywa』のロゴが付いている。ほぉ、こんなところで私の暮らしにつながるのか、と思う。景色が見えないし住宅街ばかりだから、つい携帯端末で調べてしまった。
阪神競馬場観客席のドーム屋根が見えた
だんだん暗くなってきて、景色が藍色に染まってきた。住宅は多いけれど窓の明かりは少ない。この時間帯は二階建ての家屋だと1階の今や台所しか灯らない。もう少し遅い時間になって、21時くらいになると、家族それぞれが個の時間を過ごすようになる。住宅街の夜景が賑わう時間は、ほんの少しの間だけだ。アパートやマンションがあればもう少し明るいと思うから、このあたりは戸建て住宅が多いのだろう。街灯の明かりも少ない。
武庫川を渡る
カメラの設定を変えて、写真がもっと明るく映るようにした。宝塚南口駅を出ると武庫川を渡る。今津線の車窓は住宅街ばかりで、大きな変化は武庫川くらいだろう。その瞬間を何とか撮ってみた。明るくなるけれどシャッタースピードは遅くなるから、景色は流れてしまう。それでも武庫川は見えたから満足した。この川を渡ったところに宝塚大劇場と宝塚ガーデンフィールズがある。小林一三が観光開発したという、いわゆるタカラヅカがこのあたりだ。
宝塚駅付近
カーブを行く列車の車窓から交差点が見える。その交差点名は手塚治虫記念館前。歌劇団にも遊園地にもさほど興味はないけれど、手塚治虫記念館には行ってみたい。また訪れる機会はあるだろうか。
右手から宝塚線の線路が合流して、宝塚駅に到着した。ビルの中にある立派な駅で、行き止まり式の2面4線。窓から見える風景は光がきらめいている。ここがかつては何もなかったところだとは信じがたい。しかし、あの小林一三が開発に力を入れたにしてはギラギラとした街ではなかった。ここから宝塚線が目指したという有馬温泉まではほんの数キロ。やはり小林一三の野心は有馬温泉にあったようだ。
宝塚駅は2面4線のターミナル
-…つづく
|