第277回:流行り歌に寄せて No.87 「いつでも夢を」~昭和37年(1962年)
今回、この歌を取り上げようと考えたとき、どういうわけか、私の中の昭和37年の風景が次々と蘇ってきた。
当時は、長野県の上諏訪駅から歩いて15分ほどの「鍵の手」という地域に、父母と妹の4人で住んでいた。平屋建て、縁側で繋がっていた二軒続きの長屋の、向かって左側の狭い方の部屋だった。
六畳一間の部屋の奥には、これも実にこぢんまりとしたお勝手が付いていて、今で言えば「1K」に家族4人が寄り添うようにして生活していた。もちろん、友達の多くも同じような暮らしぶりだったので、特に貧乏だと思ったことは一度もなかった。
その狭い部屋で、確かこの年のことだったと思う。父親が奮発してヤシカのカメラを買ってきて、最初の撮影と言うことで家族3人を写してくれた。今でもその写真は残っているが、ものの見事に縦にぶれている。
当時から、ずっと父は、「お前たちが動いたからいけないんだ」と説明を繰り返していたが、何回見ても、それは明らかに手ぶれによる失敗写真だった。その写真には写っていないが、壁にはザ・ピーナッツが燕尾服を着てポーズを取っている「1962年」と金文字で書かれた日めくりカレンダーがかかっていたのを思い出す。
この年、私は諏訪市立高島小学校に入学した。学生服、学帽、半ズボン姿で、母や妹、長屋の隣屋に住む3歳年上のお姉さんなどと、緊張しながら父親のカメラに収まったが、その写真はさすがにきれいに撮れていた。
『いつでも夢を』は、私の1年生の2学期が始まったばかりの9月20日に発売された曲である。
父はいつまでも家族を長屋住まいさせておくのは忍びなかったのか、一念発起して近隣の岡谷市に一戸建てを建てた。そして、翌年の年始めに引っ越しをしたので、私は短い期間だったが、想い出の多かった高島小学校から転校し、3学期は新しい小学校で迎えることになった。
「いつでも夢を」 佐伯孝夫:作詞 吉田正:作曲 橋幸夫・吉永小百合:歌
1.
(橋さん)
星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも 歌ってる
声がきこえる 淋しい胸に
涙に濡れた この胸に
(一緒)
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも 歌ってる
2.
(小百合さん)
歩いて歩いて 悲しい夜更けも
あの娘の声は 流れくる
すすり泣いてる この顔上げて
きいてる歌の 懐かしさ
(一緒)
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
歩いて歩いて 悲しい夜更けも
あの娘の声は 流れくる
(一緒)
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
はかない涙を うれしい涙に
あの娘はかえる 歌声で
発売から53年を経た今でも多くの人に知られる名曲であり、平成19年には文化庁と日本PTA全国協議会による、"親子で長く歌い継いで欲しい童謡・唱歌・歌謡曲といった抒情歌や愛唱歌の歌101曲"を選定した『日本の歌百選』の中の一曲に選ばれている。
最近では、一昨年大ブームを起したNHKの朝ドラ『あまちゃん』で、宮本信子、渡辺えり、木野花、美保純、片桐はいり、そして能年玲奈が演じる海女さんたちが、海へ向かう、いわば通勤時にこの歌を歌ったことでまた脚光を浴びた。
あまりにも健全な歌のイメージがあるため、昨今では夜のカラオケスナックなどではあまり聴かれないが、カラオケのデュエットの定番曲であることも間違いない。
なお、いつもこのコーナーでは、デュエット曲のご紹介の際、(男)(女)という表記をするが、小百合さんにはどうもそれがそぐわないのではないかという筆者の勝手な思い込みにより、今回は(橋さん)(小百合さん)と記させていただいた。ご容赦のほど。
『黒い花びら』『誰よりも君を愛す』『君恋し』に続く、栄えある第4回(昭和37年)日本レコード大賞受賞曲であり、当然、この年のNHK紅白歌合戦でも歌われている。ところが、紅組で初出場の吉永小百合の歌った曲は、このコラム3回前にご紹介した『寒い朝』であった。白組の橋幸夫は、小百合さんの歌った二対戦後に、ソロで『いつでも夢を』を歌ったのである。「紅白」での二人のデュエットは実現しなかった。
私たちがYouTubeなどで観ることのできる、二人のデュエットの映像は、それから6年後の『日本レコード大賞10周年記念音楽会』のものである(昭和43年12月28日放映)。
6年後とは言え、橋さん25歳、小百合さん23歳のまだ初々しい姿が映し出されている。緊張のためか小百合さんの声がかなり上ずっているのが、実に可憐である。
-…つづく
第278回:流行り歌に寄せて
No.88 「下町の太陽」~昭和37年(1962年)
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