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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第186回:流行り歌に寄せて No.3 「胸の振子」~昭和22年(1947年)

更新日2011/04/21


私の店のほど近くに、シンプルで着心地のよさそうな、子ども、婦人服のお店がある。私はときどき町会の配り物などを届けにそこにお邪魔することがあるが、店長を始めお店の方々はとても丁寧で気持ちの良い応対をしてくださり、いつしかひとことふたことの会話を交わすぐらいの間柄になることができた。

ある時、お店に置いてあるクラシカルで趣味の良いCDプレーヤーから、女性ヴォーカルの声が流れていた。ヴォーカル名はわからないが、曲そのものは随分昔から耳にしたことがあるものだったので、「これはどなたが歌っているのですか?」と店長に伺ってみた。

「アン・サリーさんという方です。こういう感じの曲、お好きなんですか?」と答えてくださったから、「ええ、とても素敵ですね」とご返事した。まもなくお客さんがいらっしゃり彼女が接客を始められたため、私はCDジャケットのデザインをさっと頭に入れて、お店を辞した。

私は、そのアン・サリーの声もさることながら、かかっていた曲の美しいメロディーがずっと耳に残っていたため、その足で駅の近くにあるCD店に出向いていった。そして、先ほど覚えたジャッケットを探してみた。

CDの名前は "Brand New Orleans"だった。そして、収録曲のタイトルをずっと追ってみる。確かあのお店のディスプレーには「11」と表示されていたはず。・・・あった!!
『胸の振子』という曲だ。

『胸の振子』  サトウハチロー:作詞 服部良一:作曲 霧島昇:唄
1.
柳につばめは あなたに私 胸の振子(ふりこ)がなるなる 朝から今日も

なにも言わずに 二人きりで 空を眺めりゃ なにか燃えて

柳につばめは あなたに私 胸の振子がなるなる 朝から今日も

2.
煙草のけむりも もつれる思い 胸の振子がつぶやく やさしきその名

君のあかるい 笑顔浮かべ 暗いこの世の つらさ忘れ

煙草のけむりも もつれる思い 胸の振子がつぶやく やさしきその名


私は、その後間もなく霧島昇の歌うオリジナル曲を聴く機会に恵まれる。私の店に時々来てくださるお客さんで、映画のカメラマンをされている方がいらっしゃる。ある日、監督が市川準で、その方の撮影による映画『トキワ荘の青春』をCS放送で放映していたので、私は以前からぜひ観たいと思っていたこともあり、すぐに飛びついた。

この映画の冒頭で、本木雅弘演じる、寺さんこと漫画家の寺田ヒロオの、静かな仕事風景のシーンのバックに、この霧島昇の『胸の振子』が抑えめの音量でかかっているのである。

豊島区椎名町のトキワ荘で、後に大家(たいか)となってゆく多くの新進漫画家たちが、生活するのは昭和20年代の終わりから30年代の初めにかけてで、時代的には少しタイムラグがある。しかし、ストイックな本木の演技とこの『胸の振子』は本当によくマッチしていた。

その映画を見てから後、私はいくどとなくこの歌を聴いている。

コロムビア・オーケストラ(だと思われる)の奏でるイントロがかかり始めただけで、私はもうこの歌の世界に「スーッ」と入り込んでしまう。これは、私の知る最も美しいイントロのひとつである。そして、霧島昇のやや鼻にかかったテノールが、実にやわらかく、丁寧に歌い上げる。

スチール・ギターのソロによる間奏から2番への入り方も、私などはうっとりするばかりである。そして、再び穏やかな歌唱の後、短いが印象的なエンディング。聴き終えたときに、何かほっくりとした心持ちになるのだ。

このコラムで、この後も何回か登場するであろう、服部良一。彼の曲作りの素晴らしさは、悔しく情けないことだが、今の段階では、私には言葉では表現できない。ただただ、その才能に圧倒されるのである。

詞のサトウハチローは、3回目のコラムにして「リンゴの唄」に続き2回目の登場となった。ただ、今回の『胸の振子』については、読む限りでは詞の内容がかなり難解だと思う。

例えば「あなたに私」「君」というのが混在していて、しかもそれがどこに掛かっていくのか、その情景がよくつかめない。というふうに真正面から説明的に捉えようとしても、おそらく無駄なことなのだろう。

不思議とも思えるその言葉を、美しいメロディーとともに、素直に心に響かせてやれば良いのではないか。事実、一番初めに聴いたときには、何のこだわりもなく心に詞が入っていった気がする。これは「読む」言葉ではなく「聴く」言葉なのだ。

そう考えて、もう一度歌を聴いてみる。実に素敵な響きを持つ詞であることがはっきりとわかった。サトウハチローは、やはりとんでもない詩人だった。

私はこの歌を聴き始めて3年ほどになるが、年齢を重ねる毎に好きになっていく。大袈裟に言えば、この歌によって年をとることもそんなに悪いことではないな、と言う気持ちにさえなれるのである。

-…つづく

 

 

第187回:流行り歌に寄せて No.4 「港が見える丘」~昭和22年(1947年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice


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