第710回:いよいよコロナ明けの兆候・・・
今まで、電話とメールだけで繋がっていた親、兄弟、友達と直接会える状況になってきました。市や大学の図書館でも、入口での検温もなくなり、マスクは義務でなく自発的な着用となり、不安な人はドーゾという緩やかな規制になりました。スーパーでも、入口に使い捨てマスク、消毒ジェルの設置がなくなり、マスクをしていないお客さんにやんわりと注意を促し、マスクを手渡す監視員というのか、門番のオネーさんもいなくなり、半数以上の人はマスクなしで買い物をするようになりました。少し、楽観的かもしれませんが、トンネルの向こうの光が見えてきた感じです。
徐々にですが、コロナウイルスの対応が功を奏してきたように感じられます。
3月半ばにオレゴン州から弟のトムが車でやってきて、私たちの小屋に何泊かし、ここから私も一緒に父のいるミズーリー州まで、途中2泊モーテルに泊まりドライブしました。そんな旅行が許される状況になったのです。父のところでは、久しぶりに叔父、従兄弟、従姉妹、妹たちが8人集まり、楽しい時を過ごすことができました。
昨日、インターネットでアメリカ国内の飛行機での旅行の規制をチェックしたところ、もう全く乗客の制約が取り払われていて、通常の運行に戻ったことを知りました。ソレッとばかり、この夏に旅行者が増えるのでしょう、すでにどの便も満席に近く、しかも運賃が30~40%も高くなっているのです。まだ国際線の方は、相手の国の事情で自由に飛べる状態ではありませんが…。
クルーズシップも乗務員、サービス係も含め、全員ワクチン接種済みで、運行を開始しています。もちろんお客さんにもワクチン接種を義務付けています。これがまた、例年の運賃の倍近くに値上がりし、それでいてすでに予約好調のようなのです。
去年の夏、当分の間は飛行機の旅行ができそうもないから、キャンピングカーを買って、それでアメリカ国内を回ろうと、地元のディーラーを回り、インターネットで探したところ、いつもなら100台以上のキャンピングカーを並べている地元のディーラーは、完売というのでしょうか、売り切れ状態で、メーカーからの入荷を待っていると言うのです。
とても生産が追いつかず、全米のディーラー、販売店で新車の取り合い合戦だと言うのです。道理で中古の値段が異常に高く、品薄になっているはずです。国立公園、州立公園のキャンプ場は軒並み満員御礼で、スキー仲間はせっかく大枚を払って買ったキャンピングトレイラーなのに、どこにも行けないと嘆いていました。
コロナウイルスが地球から消えて亡くなることはあり得ませんから、これからも長い付き合いになることでしょう。どんな基準でコロナ禍の終焉が見えてきたと言うのか、いろんな意見があるようですが、医療関係者は“緊急治療室のベッドが常に3割以上の空きがあり、コロナの患者が重篤な状態に陥っても治療が必ず受けられる”状態、と至って漠然としていますが、彼ら、お医者さん、病院の立場から言えばそういうことになるのでしょう。
彼らにとって、患者さんを受け入れ、的確な治療を施してやれない、というのが一番辛い、身を切られるように苦しいことなのでしょうね。病院でいつでもコロナの患者さんを受け入れることになっても、それで、コロナをコントロールできた、コロナ明けだと宣言できるスジのものではないのでしょう。
私たちにとってのコロナ明けとは、やはり自由に旅行ができて、家族や友達といつでも会うことができ、時々レストランに行け、コンサート、リサイタルを存分に楽しめ、スポーツのファンが満杯の観覧席から声援を上げるのを観ることができるようになることでしょうね。
春の良い季節になり、私たちも先週二つのガーデンパーティーに呼ばれ、出かけてきました。一つはここの高原台地の隣人、といっても5キロほど離れていますが、ジーンとスティーブのところです。彼らは私たちの生き方と共通するものがあり、ハイキング、キャンプ、山登りと経験豊かなアウトドアの先達です。
ウチのダンナさん、謙遜して自分のことをサードクラス(第3級)の便利屋と呼んでいますが、スティーブはトップクラスの職人で(本職は国の野生の動植物監督官です)、豪華ではないけど、太陽熱を取り入れ、その熱を玄武岩の床に吸収させ、夕方から夜には緩やかにその熱を放射する、という自然を上手く利用したアドベ(日干し煉瓦)の家を自分で建てました。
それに15フィートほどのリバーボート、仕上げのとてもきれいな船を自作し、それを引くキャンピングカーは貨物用のバンの内装をこれまた、私たちの顎が下がり、口がポカーンと開いてしまうほど綺麗でしかも使い手が良さそうに仕上げているのです。
ダンナさん、「スティーブは俺より三段階くらいは上を行っているな~」と嘆息していました。彼らととても楽しい一時を過ごしたことです。
もう一組は、大学で教えていた時の同僚で、私と前後して引退したドイツ語の先生のところの会食でした。なんでも、ホントウのフランクフルト・ソーセージが手に入ったので…ということでした。彼女、ガブリエラは、南ドイツのローテンブルグの出身で、ダンナさんのカイルは軍籍を経て、株式の仲買人でした。彼らは庭にサウナ小屋を建て、何度かサウナに招待され、一緒に入りましたから裸の付き合いをしている仲です。
ガブリエラはまた大変な日本ファンで、壁や棚に、もちろん素焼きやガラスのドイツのビールジョッキがところ狭し、これでもかとばかり並べ、その間に日本のモノもたくさん飾られているのです。こんな時、モト日本人であるらしいダンナさんにいろいろ日本のことを尋ねるのが社交上の礼儀と心得ているのか、ホントウに興味を持っている気配もあるのですが、訊いてくるのです。ダンナさんでも読めない掛け軸の句とか、仏教の経典とかを持ち出され、閉口していました。
これから、あまり暑くなる前に、ウチの広大な庭ではなくて、森の一部と読んだ方が当たっている木陰でのパーティーをやることにしました。しばらく会っていないケンとビッキーやご近所さん、同僚の先生たちを呼ぼうかなと思っています。
まだ山のシーズンではありませんが、ダンナさん、地図やらガイドブックを開き、“ヨシ、今年はドコソコ、ナントカ山に登るぞ、頂上を極めるぞ…”とか呟いています。そうは言っても、この4、5年、一つも頂上に到達していないのです。いつも山裾周りか途中棄権で、ちょっと急なタラス(ガレ場)に差し掛かったところで引き返しているのです。「それが、オメー、老人の知恵、引き返す勇気というもんだ…」とか言っていますが、次第に脚力の限度を身に染みて分ってきたのでしょうね。
春になり、まだ日本に飛べないのは辛いけど、山歩き、キャンプ、ガーデンパーティーと2年間のブランクを取り戻しつつあります。まだコロナ明けとまでは言い切れませんが……。
-…つづく
第711回:取り壊される銅像
|