第711回:取り壊される銅像
日本をJR外人パスを使って駆け足で回った時、ちょとした景勝地や岬、丘の上にその地を訪れた文学者、詩人、俳人の詩、和歌、俳句を刻んだ石碑が多いのに感動しました。それが自然の風景に溶け合うように立てられていて、眺めの邪魔にならず、逆に郷愁を誘うのです。サスガ…小さな庭に小宇宙を生み出す日本人だと感心したことです。
ところが、汽車の窓から見える巨大な観音像、あれは一体何なのと言いたくなるほど、周囲の山々の美しさをぶち壊しているのに呆れ果ててしまいます。自分の醜い巨大な像があちらこちらに建てれているのを観音様が天から見たら、コッパ恥ずかしくてアナに逃げ込むのじゃないかしら…。
アメリカを代表する銅像といえば、なんと言っても“自由の女神”でしょう。アメリカ独立の記念にフランスがアメリカにプレゼントしたものです。いつも喧嘩し、それでいて仲の良いような悪いようなフランスとイギリスですが、独立戦争でイギリスを破った新興国アメリカさん、よくぞやったお祝いとして“自由の女神”をプレゼントしてくれたのです。
もう一つ、大人気なのは、ラッシュモアの岩山から浮き出るように4人の大統領の巨大な顔を彫ったモニュメントでしょうか。ダイナマイトのコントロール技術が完成しつつあった時でしたから90センチ近くダイナマイトで彫ったそうです。ここは大観光地になり、地下駐車場が完備し、野外の半円形劇場があり、巨大なレリーフに向かうように造られたアベニューは、日曜日の竹下通りのような大混雑です。
そしてもう一つ付け加えれば、シカゴにあるマリリン・モンローの銅像でしょうか。映画の名場面から取った、地下の排気口から吹き上げてくる風に煽られたスカートをマリリン・モンローが手で押さえている、なんとも色っぽい銅像です。これも大人気で、モンローと同じポーズをとり、銅像の横で写真に収まる若いとは言えない、マリリン・モンローと似ても似つかない体型の叔母さんらが、引きも切らず訪れています。そう言えば、ウチのダンナさんの父親も、仲の良い中高の同級生だった旧友も、大のモンローファンです。
日本で訪れる人が多い銅像と言えば、奈良と鎌倉の大仏さんでしょうか。でも、これは人種不明のデッカイ顔の仏さんがデンと座っているだけのことで、タイにあるゴロリと横になり、昼寝をしているのか、瞑想をしているのか分からない金ぴかの仏さんと同類で、とても銅像の範疇に入らない仏像です。リオ・デ・ジャネイロの丘の上に立つ巨大キりスト像と同類と言ってよいかと思います。
大きいだけの仏像、観音像を差し置いて、一番親しまれているのは、上野公園にある西郷隆盛像でしょうか。もう少し先に行けば国立近代美術館前にロダンの大きな“考える人”があるのですか、ゲージツ作品を差し置いて西郷さんがドテラのような着物を着て、血統書とは全く縁のない小犬を引いている銅像が人気ベスト・ワンだと言い切ってよいと思います。ワンで思い出しましたが、渋谷の雑踏の中にチンマリと立っている“忠犬ハチ公”も親しまれている銅像でしょうね。
アメリカで最も多く銅像になり、記念碑が建てらている人物は誰でしょうか? リンカーン、ワシントンと答えるなら、そう遠く外れてはいません。でもダントツに多いのは、ロバート・リー将軍なのです。ロバート・リー将軍は南北戦争の時の南軍の将軍で、いわば敗戦の将です。彼の名前を冠した公園、並木道、通り、学校、オベリスク、記念碑を含めると、南軍万歳のモニュメントは1940個もあるのです。その80%近くは南北戦争が終わってから50~60年後の1900年から1915年の間に建てられ、すべて元奴隷州だった南部にあります。
南部の地方選挙で共和党が勝つと、その町に保守のシンボルとして戦争記念碑的なモニュメントを建てていたのでしょう。もっとも、バート・リー将軍は生粋の軍人で、南北戦争の前には北側に付いたことすらあり、自分の能力を買ってくれるならどっちでも良かったようにさえ見えます。
彼は戦略家として優れていましたが、具体的に確固たる政治思想、奴隷制支持、南部分離国家の建設など理念を持っていなかったように見受けられます。圧倒的に不利だった南軍を指揮し、北軍をあわやというところまで追い詰めたのですから、軍事的能力は相当なものだったのでしょう。そのために、戦争が長引いた、長引かせたがために、何十万人もの死なずに済んだ人たちが死んだとも言えるのですが…。
でも引き際、敗戦の将として北軍のグラント将軍と会見し、敗戦を認め、その後スッパリと身を引いたのは、一種鮮やかな身の振り方でした。
ところが、ロバート・リー将軍が亡くなってからも、彼を偶像視するグループが後を絶たず、自分の政治的立場をロバート・リー将軍を担ぎ出すことで有利に導こうというヤカラ、政治家が続々と現れ、ロバート・リー将軍の銅像が乱立することになったのです。
彼にとっては迷惑なことでしょうけど…。本人の意思とは関係なく、むしろ本人の意思とはまったく逆の立場で、彼の名前を政治的に利用しようとした貧しい政治的野心が見え見えなのです。
政治がらみの銅像、レーニンの立像、スターリンの馬鹿デカイ顔の像、サダム・フセインの銅像などはいずれも、政権が移り変わると倒され、ペンキでいたずら書きされ、潰される運命にありました。政治的な意味を持たせようとした塑像なぞ、空しいものです。初めからそんな銅像を建てるべきでないスジのものです。
近年、表立ってきた警察官による黒人虐殺事件に伴い、黒人運動が盛んになり、南部の奴隷制度支持を象徴する銅像が次々を倒されています。そんな運動に右翼の白人至上主義者が殴り込みをかける事件が相次いで起こっています。
南カロライナ州、チャールストンの黒人教会への乱射事件、シャ-ロットブルグでロバート・リー将軍の銅像を取り壊せというデモ行進に、右翼が大型車で突っ込み死者を出した事件など、銅像をめぐっての闘争が続いています。2020年までに242の銅像、モニュメントが取り払われています。
数年前、ジョージア州、アトランタに叔母を訪ねた時、叔母の黒人のダンナさんが市内を案内してくれました。彼、ルーサーは、地元のエリート大学で哲学、神学の教授を引退したばかりでした。その大学で初めての黒人教授でした。超の付くインテリで、古代ギリシャ哲学、カント、ニューチェの西欧哲学、日本の禅から儒教、インドのウパニシャッド哲学、興味の幅も広く、日本映画はクロサワだけでなく溝口健二、小津安二郎、成瀬ミキオについて語り、ジャズピアノを弾くのです。ウチのダンナさん、ルーサー叔父さんのことを「ありゃ、お前んとこの、郎党一族全員集めた以上のインテリだぞ」と、彼に会い話すのを楽しみにしている様子でした。
彼に連れられ、アメリカ黒人の歴史、市民権博物館(National Center for Civil and Human Rights)、そして郊外にある“ストーン・マウンテン”、なんとも芸のない名前ですが、ジョージア州立公園に行きました。そこにラッシュモアに刻まれた4人の大統領の顔の向こうを張るように大きな騎馬像のレリーフがあるのです。
レリーフは南部を象徴する3人ロバート・リー、ジェファーソン・デイヴィス、ジャクソン(トーマス・ジョナサン)です。南部の奴隷州にロバート・リーの銅像だけで215基あり、そのうち46像が取り払われ、ジェファーソン・デイヴィスの147の銅像があったのが、28取り払われ、ジャクソンは107のうち15がすでに取り外されています。
このストーン・マウンテンの前で、KKK(クー・クラクス・クラン=Ku Klux Klan;黒人のリンチをたくさん行った白人至上主義グループ)が、1912年に総決起集会を開き、この山肌に南軍、南部を象徴する大記念碑を掘り込もうと決起したのです。完成したのは1972年になってからのことですが、その間営々と巨大なレリーフが彫り続けられていました。
こんなストーン・マウンテンを訪れた時、普段、とても温和なルーサー叔父さんが、巨大なレリーフを見上げ、「こういうものは削り取らなければならない」と厳しい口調で言ったのには驚いてしまいました。
アメリカの中西部で全く黒人を見ることもなく育った私には想像も付かない過酷な偏見と差別の中から這い上がってきて、マーティン・ルーサー・キングの無抵抗、無暴力主義に共鳴し、運動を共にしてきたルーサー叔父さんの深い思いをほんの一部垣間見ることができただけでした。
-…つづく
第711回:取り壊される銅像
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