第138回:ハイアットさん家族 その1
『カサ・デ・バンブー』のオープニング・パーティーにハイアットさん家族は招待していなかったと思う。開店してから2、3年経ってから、ハイアットさんが家族を引き連れて何度かやって来たと記憶しているが、田舎のオヤジさん風の彼が何者であるか全く知らなかった。きっかけは、彼の方から、日本に行ってきた、そこで食べたプリンス・メロンがあまりに美味しかったので、その種を持ち帰った、多少冗談めかして、今にイビサのプリンス・メロンとしてヨーロッパに知られることになるぞと言った時だった。
陽に焼けた大きな顔、かなり白く、薄くなった頭髪を天辺のほうにポヤポヤと生やしっぱなしにし、身体のどの部分も締め付けない至って緩やかな半袖のカッターシャツで包み、突き出たお腹を隠そうともしなかった。彼の口ぶり、話し方がどこの出身なのか、ピーターとティンカのような生粋の英国英語とは違うし、かといってマンチェスター界隈の労働者英語とも違い、どこの国の人か見当が付かなかった。私は彼の風体と話し方から、小銭を溜め込み、イビサのカンポ(campo;田舎)生活に入った、どこか英語圏の退職組だと想像していた。
彼が服装に構わないのに対し、大柄な奥さんの方は、ブラウスといい、羽織った薄手のカーディガンといい、裾の長い麻のスカートといい、随分お金のかかったであろう中年ファッションに身を固め、セミロングの頭髪も軽くウエーブさせ、肩にかかるかどうかの長さにし、若い頃はさぞかし美形であったであろう面影をふんだんに遺していた。イビサファッションなどのバカンス着ではなく、どこか時代を超えた自分の服飾のパターンを持っているかのようだった。そして、いつもきれいに化粧をしていた。
彼らは通常、大勢の家族でやってきた。フランス人やスペイン人のように、ゆったりと時間をかけて食事をし、和気藹々と団欒するのだった。そのうちに、夫妻だけで、あるいは長女ボニーと彼女の夫、十歳前後の娘エリザベスの3人で、その下の長男マイケルと家族、次女アドリアナ、三女のマンディーも、それぞれ友達を引き連れて別々に来るようになった。しかし、月に一度ほどのペースで定期的に家族全員集合のように、『カサ・デ・バンブー』にやって来るのだった。この大家族はあまりに和やかに明るく、かといってラテン系の家族の集まりのように大声で叫び合うこともなく、地中海を見晴らすブドウ棚の下で過ごす様子は映画の一シーンのようだった。
Puerto de Santa Eulalia(サンタ・エウラリア港)
サンタ・エウラリアに広がるバカンス村
そのうち、ギュンターが、「お前、彼らが誰だか知っているのか? 財閥なんだぞ」と情報をもたらし、世俗に疎い私の耳に、彼らがいかにイビサの観光業に貢献したかを知らせてくれたのだった。ハイアット家族はイギリスに拠点を置く、ニュージーランド人で、手広く観光業全般、旅行代理店、ホテルを営み、イビサのヒッピー観光や激安のサンアントニオのパッケージツアーとは別種の、富裕層を対象にしたサンタ・エウラリア(Santa Eulalia)を拠点にした新しいバカンスタイプを開発したというのだ。
生粋のイビセンコ(イビサ人)であるぺぺとカルメンも、ハイアット家とその家族のことを知っていたから、知らぬは私一人だったのかもしれない。ぺぺによれば、ハイアット家族が来るまで、サンタ・エウラリアはシエスタから目覚めることがないような魚村だったというのだ。
見晴らしが良いというだけが『カサ・デ・バンブー』の取り柄だった。テラスを張り出しただけの小さなカフェテリアのオヤジ(その時はまだアンちゃんだったが…)としては、誰でも来てくれる者は客として差別なく同じように扱うという、ささやかな方針だった。テキヤもヒターノ(ジプシー)も客として来てくれるなら大歓迎だった。だから、ハイアットさん家族が財閥だと知っても、特別に遇するようなことはしなかった。ただ、彼らは食事、ワインを注文する時も、ウエイトレスのアントニアが彼らのテーブルに持っていく時にも、いつも丁寧にお礼を言い、常連になってからも、親しみは篭っているにしろ、むやみに常連風を吹かさず、少し距離を置いた態度を取っていた。
ハイアットさん夫妻がチョットした顔であることは、時折連れてくる人物がヨーロッパでは名の知れた人、と言ってもテレビを持たず、新聞も“デアリオ・デ・イビサ(Diario de IBIZA)”、時々“エル・パイス(EL PAÍS)”を眺める程度だったから、それらの人物が誰であるか知る由もなかった。ハイアットさんは連れてきた客、ゲストを一々私に紹介してくれるのだが、こっちの方がその人物が何者であるか飲み込めず、イギリス、ヨーロッパ文化に対し盲人同然であることを暴露しただけだった。
メニューに献辞と伴にサインをしてもらったモノを他の客が見て、ハイアットさんが連れてきたゲストがユーロビジョンの超有名司会者であったり、演劇、映画の大物であったり、渋いが人気の衰えない歌手であることを知るのだった。何年も後になってから、映画を観ていて、アレッ、この女優さん、ハイアットさんが連れてきた人物だと分かったことも再三あった。イギリスだけでなく、ハリウッドでも活躍している名優もいたのだ。
カリブ海に浮かぶドミニカ共和国のリゾート地、プエルト・プラタ
イビサで黒人を見かけることは珍しい。その少ない黒人も、デイヴィッドのようにディスコで働いている例がほとんどだった。黒人が観光客として島にやってくるのは例外的な存在だった。そんな時代だった。ハイアットさんが黒人の家族(夫妻と子供たち、確か4、5人はいたと思う)を連れてやってきたことがある。黒人が珍しいこともあり、良く覚えている。
彼らは旧英国植民地、現ドミニカ共和国の在英大使一家で、大使夫妻は田舎風のハイアットさんより明確なクイーンズイングリッシュを話し、服装も大使の方は熱帯の島で正装とみなされている胸に縦ギャザーの入ったワイシャツ、ブラウスを着込み、婦人もメリー・ポピンズから抜け出てきたようなイデタチに、花飾りのついた帽子を被っていた。
その後、2、3度、ハイアットさん夫妻とドミニカ共和国大使夫妻だけでやってきた。元気一杯のチャーミングな子供たちは、ボニーの娘エリザベスと一緒にアドリアナとマンディーがどこかのビーチに連れ出し、遊ばせているとのことだった。
ハイアットさんはイビサのサンタ・エウラリアで展開したバカンス村のような、エクゼプティブな休暇村をドミニカ共和国に造ろうと目論んでいたようなのだ。ハイアットさんは私に、「ドミニカ共和国に行ったことがあるか? ない?! あそこは、カリブの島の中でも特別美しいところだ。大小の湾がある海岸、熱帯のジャングル、清流が多く、滝もそこかしこにある。おまけに、素晴らしい人間が住んでいるパラダイスだ」と展開させたのだ。大使夫妻の方は、ニコニコ笑いながら聞いていた。
-…つづく
第139回:ハイアットさん家族 その2
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