関東平野は広いようで狭い。都心から私鉄の郊外行きに乗ると、いつまで経っても町並みが途絶えない。このままずっと都会が続いているように錯覚する。しかし、晴れた日に高層ビルの展望階から見渡すと山脈が近い。富士山があり、その手前に箱根連山と丹沢山渓がある。さらに右に連なる山々は秩父連山である。松本あたりの盆地の風景によく似ている。
私はいま秩父連山のふもとにいる。都心から秩父連山が見えるなら、どこか高いところに上れば関東平野が見渡せるのではないか。秩父鉄道の西側の終点、三峰口駅の先にロープウェイがある。ぜひ上ってみたい。これが秩父鉄道に乗る楽しみのひとつだった。
西武秩父駅から徒歩で秩父鉄道の御花畑駅に向かう。西武鉄道と秩父鉄道は線路がつながっていて、西武鉄道から秩父鉄道に乗り入れる列車もある。しかし線路が交わる部分に駅がない。直通列車は休日に2往復だけしかないから、乗り換えは不便だ。しかも、西武秩父駅の改札と御花畑駅の改札は秩父鉄道の線路を挟んで背中合わせになっている。改札同士の距離は200メートルほどだから、大したことはないけれど、踏切を渡る必要がある。
窮屈そうな御花畑駅。
地図で両駅の位置を見たときから、妙なことになっているな、と思っていた。しかし、御花畑駅を見て納得する。御花畑という駅名から、広々とした場所にある駅だと思っていたが、そこは商店街のど真ん中で、駅は小さな建物たちに囲まれていた。駅前広場すらなく、路地裏になんとか看板を掲げさせてもらっている。
あとからこの地に線路を延ばした西武鉄道としては、電車から観光地へ向かうバスのターミナルなどを整備したかったのだろう。しかし御花畑駅には開発の余地がない。そこで現在の位置に西武秩父駅を作った。一方、秩父鉄道としては、地元に密着した場所を離れて駅を移転するわけにも行かず、そうかといってわずか200メートルの位置に駅を新設するには躊躇したと思われる。
御花畑駅から西武秩父駅を望む。
しかし、これを不便だというのは旅行者のわがままで、御花畑駅は地元の人々にとって便利な位置である。鄙(ひな)びた駅舎も好ましい。普段着の客に混じって観光客も多くにぎわっている。そのにぎわいも駅の狭さのせいだけれど、鉄道に人気があるように見える。
地方の私鉄は楽しい。かつて都会で活躍した懐かしい電車が走っているし、気張って新車をあつらえた場合も独特の雰囲気を持っている。三峰口行きの電車は、国鉄時代に都心で活躍した通勤電車だ。白く塗装されているが外観は当時のままで、天井にはぐるりと回る扇風機がある。冷房もついているが、今日は窓が開いている。涼しい風がバタバタと入り込み、私の顔をあおっている。
秩父鉄道は古いモノを古いまま、上手に残した鉄道会社だ。私たちが "田舎の駅" という言葉からイメージする風景がそのまま残っている。沿線に観光然とした建物がないところもいい。東京から日帰りできるから、秩父鉄道はテレビドラマや映画の田舎の情景によく使われているようだ。昨年話題になった『黄泉がえり』という映画は熊本が舞台だったが、鉄道の風景は秩父鉄道でロケが行われた。鉄道好きの私でも、スタッフロールを見るまで気づかなかった。
国鉄時代に通勤電車として活躍した電車だ。
三峰口駅もそんな"好ましい駅"のひとつだ。平屋で素っ気なく、道路の向かいから見ると、入り口から改札口の向こうまで見通せる。この位置から駅を見ると、駅舎の暗さを通して改札口が明るくなっている。その向こうに列車が停まっている。駅から人々が吐き出されたあとの、こういう風景がなんとなく好きだ。
その風景をバスがふさぐ。私はバスの待合室の前に立っていたのである。このバスでロープウェイの駅がある大輪(おおわ)へ向かう。この沿道、国道140号線の風景もひなびている。数人の客を乗せたバスは、左右にくねりながら谷間を進む。谷底の川は細いけれど、流れが速い。これは荒川で、下っていくと東京湾に注ぐ。悔しいけれど、このバスの車窓は秩父鉄道の車窓より楽しい。不便なところほど自然が残り、景色がよくなる。当たり前のことではある。
荒川の源流を渡る。
バスを降り、小さな荒川を渡る。ロープウェイの駅は300メートル。しかし急な坂道である。霊峰だから道のりは険しいのだ。ロープウェイだけでもありがたいと思うべきだろう。一歩一歩踏みしめて上っていく。その道の終わりの駐車場のようなところにロープウェイの駅があった。土産物屋もなにもない。
ロープウェイやケーブルカーがあるところは、観光地としてそれなりににぎわっているのだろうと思っていた。どうも当てが外れた。箱根ではひっきりなしにゴンドラがやってくる、しかし、ここのロープウェイは30分おきに出発する。しかも待っている客は数人だ。ここは秩父の観光の拠点ではないのだろうか。芝桜の羊山公園は大勢の人がいたのに、なんとも寂しい。
駐車場らしきコンクリートの広場を散歩すると、黄色いペンキの文字がかすれている。判読すると、"ここから30分"だった。すこし離れたところに60分があり、敷地の入り口には90分とある。ロープウェイの乗車待ち時間の目安だ。かつては大勢の人が並んだのだろう。高いところに上れる、というだけで、観光地がにぎわう時代もあったのだろう。いまも高層ビルの展望室は人気があるけれど。
広場から見下ろすと小さな滝があるが、どうも説明がちぐはぐだ。霊峰三峯に向かう参詣者が身を清めたため、大蛇や山の竜が住み着いたという。そんな危ないところで身を清めるのだろうか。大蛇や竜が怖くて釣り人が近づかず、イワナやヤマメの安住の地だそうである。霊峰に向かう釣り人の参詣者はどうするのだろう。
そんなことを考え、時間の経過に耐えて、ようやく大型のゴンドラがやってきた。しかし、空が霞んでいるせいか、上っても遠くまでは見渡せない。関東平野への展望を期待したけれど、どうやら向きが違うようだ。ゴンドラには車掌が乗っていて、観光案内のテープをかけている。それがなぜか左の眺めばかりを宣伝する。右の景色に立て札のある祠(ほこら)を見かけたが、その説明はなかった。
ロープウェイから見えた謎の祠(ほこら)。
説明が続くけれど変わり映えのしない左の景色に飽きた。再び右に目を向けると、白いガードレールが見える。あれは道路だろうか。だとしたら、ロープウェイより高いところをクルマが走っていることになる。なんだか嫌な予感がする。その予感は当たり、山頂駅で案内板を見ると、三峯神社に隣接して巨大な村営駐車場が設けられている。私はわざわざローブウェイに乗って、クルマで行ける場所に来たのである。駅にも丁寧に、神社から三峰口、西武秩父駅へ直行するバスの時刻が掲載されていた。なんだこれは。
三峯神社へは、ロープウェイの駅から山道を歩いて15分。しかし私は行かなかった。次のゴンドラで引き返し、帰りのバスを待っていると、アメリカンバイクの一団が通り過ぎた。レッドアローで併走した人々だと思う。ヘルメットの中の顔は満足げである。
私もそのうちにバイクで走りに来ようと思った。
-…つづく
■第51回~53回の行程図
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