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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第182回:十三本、三絃、五孔ー邦楽器に寄せて
更新日2011/02/10


昨年の11月のこと、私の店の近くで営業されている店のマスターから、「Kさん(私のこと)、尺八に興味ある? 店のお客さんの演奏発表会の無料券があるんだけれど、良かったら行ってみない?」というお誘いを受けた。

私は日頃から邦楽に親しんでいる方ではないが、小さい頃に少しばかり縁があったため、たまにはその音に触れてみたいという思いもあり、その券をいただくことにした。

生で邦楽を聴くのは、おそらく40年以上ぶりだろうと思いながら、11月の最後の日曜日、都心にあるとあるビルのホールに、その方(40歳後半の男性)の所属する会の演奏会を聴きに伺った。

彼が演奏されたのは、邦楽の世界では大音楽家とされる吉沢検校の箏曲「春の曲」。三人の尺八演奏者の中のお一人だった。不思議なことに、彼の吹く一音一音がはっきりと私の耳に伝わってきた。20分以上に及ぶ大曲で、その美しいメロディーに魅せられた私は、途中から身体をスイングするようにしながら聴き惚れていた。

それからひと月経ったクリスマスの日、彼は私の店でお客さんたちの前で、尺八で2、3曲のクリスマスソングを披露してくださった。突然聴くことができる荘厳な音色に、お客さんたちはとても感激していらした。素敵なクリスマス・プレゼントだった。

尺八と言えば、私も始めようと思ったことがある。私がまだ長野県の岡谷市に住んでいた小学校時代のことだった。父親が妹に琴を習わせていた関係で、私も尺八を習いたいと思い父も快諾していたのだが、その父親の転勤によりその話はご破算になってしまった。

妹は小学校に上がる前から琴を習っていた。お師匠さんは、私の母の伯母に当たる人で、私たちの隣の市である上諏訪に住んでいた。私も何回もその家にお邪魔したことがある。

上諏訪の駅前通りから一本山の方に入った道を通って行くのだが、そこは温泉街で、子供心にも、その色気のある風情のようなものを感じたものである。その家に近づくと、大伯母が稽古をつけている三味線の音色が少しずつ聞こえてきて、なかなか乙なものであった。

妹が小学校に上がった頃、彼女は発表会に出してもらった。同じ年ぐらいの女の子たち7、8人くらいで、確か「さくらさくら」を合奏したのだが、聴いている兄としては、最後まで間違いないだろうかと、ハラハラしたものである。

何とかミスなく演奏は終了したが、緞帳が下りるとき、他の子どもたちは深々と頭を下げていたのだが、妹だけボーッと頭を上げたままで、客席から手真似で、「お辞儀、お辞儀」とサインを送ったが、効果がなかった。

妹は最初それほど熱心に取り組んでいるようには見えなかったが、だんだんと箏曲の魅力に惹かれていったのだろう。その後、父親の転勤で引っ越しをしたが、その地域でも師匠を見つけて稽古を続け、人に教えられるほどの腕前になっているようだ。「あの、ボーッとした奴が」と信じられない思いである。

中目黒に住んでいた頃、まだ20歳半ばだったが、駅のそばの目黒川沿いの居酒屋さんによく顔を出していた。そこの私より一回り年長のマスターはお店の二階に養父の方と一緒に住んでいらした。その養父の方のご職業が三味線のお師匠さんだったのである。

そのお住まいにはお風呂がなかったため、お二人とも銭湯通いをされていた。マスターの方は店を開ける前に一風呂浴びてくるのだが、お師匠さんの方は、私たちが飲んでいるときに、洗面器を抱えた風呂帰りの姿で店に入って来られて、一杯飲んでから二階に上がられた。

時々、キッチリと背広を着こなし、よく似合うソフトを被って店に現れることもあったし、和服をきりりと着こなして、少しお酒を召された様子でカウンターに座られることもあった。

お話しは、いつも流暢な江戸言葉、私のような若者にも丁寧語を使ってくださった。実にお洒落で、大変色気のあるご老人だった。

ある時、何人かのお客さんとともに三味線の話題になり、張られている皮のことに話が及んだ。あるお客さんの「単純な質問だけれど、猫の皮が張ってあるのは怖いとか、気持ち悪いって思ったことはないですか?」の問いかけに「いやあ、そんなことは考えたこともございませんねえ」と答えられた後、こんな話をしてくださった。

「ところで、あの猫の皮なんですが、面白いもんでございましてね。あんまり若い猫じゃあいけません。何というか、やはり音色に艶というものがありませんでしてね。そこそこの年増の猫が良いようですね。しなやかな張りがあって、それは色気のある音を出してくれますよ」

件のお客さんが、「人間の年で言えば32、3歳というところでしょうか?」と混ぜっ返すと、「私は、もう少し上の方がようございますね」と悪戯っぽくお笑いになった。

お店を閉められてしばらくしてからはお会いできなくなり、もう30年近くになる。もしご存命ならば90歳は優に超えていらっしゃると思うが、ぜひもう一度お会いしたい人なのである。

-…つづく

 

 

第183回:流行り歌に寄せて ~序章~

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice


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