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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

第322回:流行り歌に寄せて No.127 「高原のお嬢さん」~昭和40年(1965年)

更新日2017/03/02

田舎の小学校の4年生の短い夏休みを終えた頃、私たちに当時そしてその地にとってはビッグ・ニュースが舞い込んできた。それは同級生の一人の女の子がもたらした話題だったが、その夏に人気歌手の舟木一夫が、可憐な女優さんの和泉雅子と映画の撮影のために、近所の蓼科高原にやって来て、同級生の親戚の叔父さんが撮影場面を見たというものだった。

芸能人が自分の身近な場所に姿を現したというだけで、もうそれはたいへんな出来事だった。しかもそれを見ることができた幸運な人が同級生の親戚とは。私たちは、まずその叔父さんという人に会いたかった。そして舟木一夫とか和泉雅子という人は一体どういう感じだったのかを聞き出したかったのである。

撮影されていたのは、日活映画『高原のお嬢さん』であることは、当時間もなく判明した。蓼科高原の散策や、蓼科湖でのボート遊びなど、歌の中に出てくるように高原の風景をふんだんに使った映画になっていた。

レコードの方は昭和40年10月のリリース、歌詞の季節感とぴったり合っている。映画はその2ヵ月後の12月の公開であった。

もう一つこの曲を聴くと思い出すのは、私の従兄弟の幼い時の姿である。私の父方の叔母の息子で、私とは6歳近く年の離れた男の子だった。赤ちゃんの頃から頭部に腫れ物ができやすかったのか、いつも頭を包帯でクルクル巻きにしていて、それが可愛らしく、当時流行っていた人形劇『チロリン村とくるみの木』のツボミのリップちゃんに似ていたので、私は密かに彼をリップちゃんと呼んでいた。

そのリップちゃんは、当時まだ3歳そこそこに過ぎなかったのだが、歌の大好きだった叔母の影響からか、歌謡曲をよく口ずさんでいた。中でもこの『高原のお嬢さん』は十八番(おはこ)で、「リ?フ、リ?イフ」と一丁前の小節を効かせて歌うのである。それがなかなかに良い調子なのであって、さすがに歌謡曲が大好きだった小学4年生の私も降参させられていた。

現在彼は、映画のロケ地だった蓼科高原のある茅野を始め、地元の高校の教師になっている。音楽科ではなく、英語科の教師とのことである。

「高原のお嬢さん」 関沢新一:作詞  松尾健司:作曲  舟木一夫:歌
1.
あの人に逢いたい たまらなく逢いたい

高原に風はわたり 白樺はゆれていた

夏がゆけば 恋も終わると

あの人はいつも言ってた

リーフ・リーフ・・・

君にぼくの 恋を語ろう

2.
つぶらなる瞳よ つぶらなる瞳よ

高原の夏はすぎて 別れゆく夜はきた

一人よせる 夢ははてなく

残り火は 赤く燃えてた

リーフ・リーフ・・・

ぼくの恋は 消えてしまった

3.
あの人に逢いたい たまらなく逢いたい

東京の空のどこか あの人は住んでいる

せめていちど 逢ってききたい

夏の日の 恋は嘘かと

リーフ・リーフ・・・

東京の 秋は淋しい


作詞の関沢新一は、前回に続いて2回連続(前回はペンネームを変えていたが)の登場である。

作曲の松尾健司はコロムビア専属で、主に編曲家として舟木一夫の他にも美空ひばり、島倉千代子を始め数多くの名曲を世に送り出している。作曲家としての業績については詳しく載っている資料が見つからなかった。

編曲も含め、日本の歌謡界にたいへん貢献された方なので、関係者がまだご健在であれば松尾氏の仕事について系統だった資料を編んで欲しいと願っている。

さて、舟木一夫は日活の、いわゆる青春歌謡映画に多数出演しているが、今回の『高原のお嬢さん』を始め和泉雅子と共演した作品が多い。『北国の街』『哀愁の夜』『友を送る歌』『絶唱』などである。このうち『高原のお嬢さん』と『絶唱』は舟木を代表する曲で、発表年の暮のNHK紅白歌合戦で披露している。

その和泉雅子、この歌と映画の公開当時はまだ18歳、歌詞の通りのつぶらなる瞳の可憐な少女だった。吉永小百合、松原智恵子とともに『日活三人娘』として数多くの作品で、清楚なイメージの役柄を演じ、多くのファンをつかんだ。

彼女はその後たいへん行動的な人となり、女性の北極点到達者としては日本初、世界では二番目(徒歩としては初)という偉業を成し遂げているのは有名な話である。また、今回初めて知ったが、現在は真言宗の僧侶となっているとのこと。いつも自分の思いに素直であろうとしている人という印象を受ける。

-…つづく

 

 

第323回:流行り歌に寄せて No.128 「赤坂の夜は更けて」「女の意地」~昭和40年(1965年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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