第376回:流行り歌に寄せて No.181 「長い髪の少女」~昭和43年(1968年)
昭和43年4月1日、私の中学校の入学式の日に発売された曲である。当時はザ・ターガースのファンで、正直、ザ・ゴールデンカップスのことはほとんど知らずにいた。むしろ、それから7、8年後に東京に出てきてからは、彼らのことをよく耳にしている。
「GSの中では、最もロックなバンドだった」「みんな恐ろしく目つきが悪かった」「全員がハーフってわけじゃないんだ」など、上京後知り合った人々の中で、彼らのことを語る人はかなりの数いたのだ。
私が20歳の時、スナックで知り合った24歳で元不良の先輩、この人には本当にお世話になったが、彼も当時こんなことを語っていた。「何年か前、新宿をちょっと突っ張って歩いていたら、すげえ目つきでガン飛ばしてくるヤツがいた。なんだこの野郎と睨み返しながら見ると、ヤツはルイズルイス加部だった」
ここまでは覚えているのだが、その後お互いがどういう行動をとり、どういう結末になったのか、その肝心なところがどうしても思い出せない。どうしてなのだろう、先輩にとってよくない結末だったから、記憶から消そうとしているのか。時々こういうことがある。
ただ、最後に先輩が、「俺も結構ワルかったけど、あいつらは半端じゃないワルだったな」と言ったことは覚えている。
このシングル・レコードのジャケットを改めて見ても、「長い髪の少女」という曲のタイトルとは相当の違和感があるほど、5人全員がこちらに向かってまさにガンを飛ばしている、挑発的な写真である。
「長い髪の少女」 橋本淳:作詞 鈴木邦彦:作・編曲 ザ・ゴールデンカップス:歌
長い髪の少女 孤独な瞳
うしろ姿悲し 恋の終り
どうぞ 僕だけに 心を打ち明けて
どうぞ 聞かせてね 愛の物語
雨によごれた町で 貴女は一人
なくした恋なのに 影をさがす
きっと あの人は 忘れたいのさ
甘い 口づけと やさしい言葉
長い髪の少女 涙にぬれた
たそがれの中で 誰をさがす
つらい 恋だから 貴女は祈る
つらい 恋だから 愛の物語
トゥルル トゥルル トゥル
トゥルル トゥルル トゥル
昭和42年6月に『いとしのイザベル』でデビューしたザ・ゴールデンカップスの3枚目のシングルである。当時のメンバーはヴォーカルがデイヴ平尾、ギターがエディ藩とケネス伊東、ベースがルイズルイス加部、ドラムスがマモル・マヌーの5人。キーボードのミッキー吉野はまだ加入していなかった(この曲の発売から3ヵ月後に加入)。
この曲については、ヴォーカルはマモル・マヌーで、「どうぞ」「きっと」「甘い」「つらい」のシャウト部分がデイヴ平尾が担当している。マモル・マヌーの甘く包み込むような声、そこに割り入るデイヴ平尾のソウルっぽい響きが効果的である。
グループは、何回かのメンバー交代や活動停止を繰り返しながら、今でも音楽活動を続けている。途中時期に在籍したメンバーには、林恵文、アイ高野、柳ジョージ、ジョン山崎と、錚々たる顔ぶれがいる。
すべてのメンバーの中で、ケネス伊東、アイ高野、デイヴ平尾、柳ジョージは、すでに故人である(死去順)。そして現在活躍中のメンバーは、マモル・マヌー、エディ藩、ルイズルイス加部、ミッキー吉野と、亡くなった二人を除く、ほぼオリジナル・メンバーだと言える。
最初のバンド名は『平尾時宗(デイヴの本名)とグループ・アンド・アイ』であったが、本牧にあったメンバーの行きつけのクラブ『ゴールデン・カップ』の出身ということで、当時TBSの『ヤング720』の担当ディレクターで、斬新な企画を次々と打ち出した高樋洋子によってザ・ゴールデンカップスと名付けられたと言う。
彼らは、レコード会社の意向により、「ハーフのグループ」という触れ込みでデビューしたが、両親ともに日本人であったデイヴ平尾は、「これにはかなり困惑した」と後年のインタビュー番組で語っている。
-…つづく
第377回:流行り歌に寄せて No.182 「天使の誘惑」~昭和43年(1968年)
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