第80回:ど硬派歌謡の恋の部分 更新日2006/08/24
人の趣味趣向というのは、やはり年齢とともに変わるものなのだろう。店を始める前まではほとんど耳にしなかった、昭和10年代から40年代初めくらいの昭和歌謡を、50歳を越えた最近は、お客さんがいらっしゃらない時に、有線のチャンネルを合わせて毎日のように聴いている。
ときどきは、このお客さんであれば一緒に聴いてくださるかも知れないと、いらっしゃっても甘えてチャンネルを変えないときもあって、「マスター、ウイスキーと言うより熱燗に塩辛という風情だね」と言われることもある。調子に乗って私も、「いいでしょう、コロンビア・ローズはやっぱり初代に限りますよ」と脂下がったりするのだ。これでいいのかな。
私は人間が軟らかくできているので、歌謡曲でも圧倒的に軟派な方のものを好んでいたのだが、団塊の世代以前の日本人というのは硬派な歌が好きな方が多いようで、有線でもそちら方面がよくかかっているのである。
初めのうちは、「ちょっと僕には勘弁だなあ」と思って聴いていたが、最近、面白いことに気付いた。硬派の最たるものと思っていた歌の中に、実に軟派な歌詞が出てくるのだ。これには少なからず驚いた。今回は、その中からいくつかを紹介してみようと思う。
まずは、昭和40年にヒットした、美空ひばりの「柔」(作詞:関沢新一、作曲:古賀政男)。柔道家の心意気を歌い上げた曲である。
勝つと思うな思えば負けよ
負けてもともとこの胸の
奥に生きてる柔の夢が
一生一度を
一生一度を
待っている
一番はこう始まる。威風堂々、気持ちの引き締まる歌詞である。ところが二番になると、
人は人なりのぞみもあるが
捨てて立つ瀬を越えもする
せめて今宵は人間らしく
恋の涙を
恋の涙を
噛みしめる
いきなり、恋の涙を噛みしめてしまうのだ。唐突だが、恋の登場である。ああ、そういう心情もあるのかと聴いていると、
口で言うより手の方が早い
馬鹿を相手の時じゃない
行くもとまるも座るも臥すも
柔ひとすじ
柔ひとすじ
夜が明ける
もうきっぱりと柔道家の心意気に戻っている。一挙手一投足が柔一筋に集中されるのだ。
次に、尾崎士郎の同名の小説を歌にした、昭和34年の村田英雄の「人生劇場」(作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男)。こちらも、一番と三番が硬派そのものなのに対し、二番ではメソメソ泣いてしまい、女になんか男の気持ちは分からない、と駄々を捏ねている感さえある。どうも、全体的なイメージが揺らいでしまうのだ。
やると思えばどこまでやるさ
それが男の魂じゃないか
義理がすたればこの世はやみだ
なまじとめるな夜の雨
あんな女に未練はないが
なぜか涙が流れてならぬ
男ごころは男でなけりゃ
わかるものかとあきらめた
時世時節は変わろとままよ
吉良の仁吉は男じゃないか
おれも生きたや仁吉のように
義理と人情の この世界
ところが、三番の吉良の仁吉について、尾崎士郎は「人生劇場望郷編」の中で、
「仁吉が男になるかならぬかの境目は、荒神山の勇ましい働きぶりぢやなくつて、あの女房が、だまつて三下り半をおしいただき、長いあひだお世話になりました、と言って帰ってゆくうしろ姿を心で伏し拝みながら、さア行かうと立ちあがつたときの切ない気持ちの中にあるんだよ」と言っている。
軟派的心情、言い換えれば「恋心」の中にも、男らしい姿勢というものがあるのではないか。そんな仁吉にあやかりたいというのは、この歌は、むしろ単に硬派というよりも、実は恋のあり方も含めた人の生き方を歌った歌なのではないかという解釈ができると思う。
最後は硬派の中の硬派、任侠を歌った昭和40年北島三郎の「兄弟仁義」(作詞:星野哲朗、作曲;北原じゅん)を見てみる。
親の血をひく兄弟よりも
かたいちぎりの義兄弟
こんな小さな盃だけど
男いのちを かけて飲む
義理だ恩だと並べてみたら
恋の出てくるすきがない
あとはたのむとかけ出す露地に
降るはあの娘の なみだ雨
俺の目をみろ何にも言うな
男同士の腹のうち
ひとりぐらいはこういう馬鹿が
いなきゃ世間の 目はさめぬ
一番、三番と、二番の歌詞の流れが、前の二曲とまったく同じパターンである。「男の心意気→恋の涙→再び男の心意気」というライン。ただ前の二曲については、涙を流すのは男の方だが、こちらは女が泣いている。
こう見てくると、硬派の象徴だと思い込んでいた歌が、男も女も恋に落ちて、実によく泣くのである。軟派な生き方をし続けてきた私には、なぜかとてもホッとする事実を発見したような気がした。
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