第81回:近頃のユニフォームをぼやく 更新日2006/09/21
私の店の壁の一画には、スコットランドのナショナル・チームのラグビー・ジャージのレプリカが額に入れて掛けられている。これは、10年前に私が練習用ジャージとして購入したものだが、かなり使い込んでいるため適当に色も落ちて、額装してみるとなかなか渋い感じになる。
レプリカと言っても、当時のナショナル・ジャージと同じUMBRO製で、胸の薊(あざみ)のエンブレムの下には「SCOTTISH
RUGBY UNION」の文字が刺繍されていて、これはオリジナルメーカーにのみ許可されたロゴらしい。色は濃紺、素材は綿とポリエステルが半々ぐらいのざっくりした肌合いで、衿は伝統の、上前の打ち合わせを二重にし、隠しボタンにした(由緒正しき!?)比翼仕立てになっている。
店の5周年記念にお客さんと一緒に作ったジャージはGILBERT製だが、胸のエンブレムが店のマークとなり「LISMORE
RUGBY F.C.」と刺繍している他は、色、素材、比翼仕立ての衿ともに、このジャージとまったく同じものにした。
古い奴だとお思いでしょうが(まだ硬派歌謡の世界に浸っている)、私は最近のラグビー・ジャージがどうも馴染めない。汗をよく吸い込むためにそうしているのだろうが、テラテラの「光り物」素材を使ったものや、相手に掴みづらくするために妙に身体にピッタリくっついたものなどがあり、これらが主流になっている。(件の店のジャージを作った時、どうしても「光り物」希望の方がいらっしゃったので、渋々セカンド・ジャージを2着だけ作った)。
前回のラグビーW杯での、イングランド(フランスもそうだったが)のジャージはマッチョを強調するようなピッタリ・ジャージ、しかも衿までなくしてしまっていた。ラグビー・ジャージの衿には試合後のアフター・ファンクションで、着替えなくてもそのままネクタイが締められるように、という意味もあると聞いたことがある。
母国イングランドは、試合で相手に衿を掴まれないためという理由で、あっさりと伝統の衿を外してしまったことになる。比翼仕立ての衿のことを、ラグビー界では「イングランド衿」と呼んできた。イングランドにもフランスにも、かつてのあの美しいジャージの復帰を願うファンはいないのだろうか。
無論、これは我がスコットランドにも言えることで、この国の10年前のラグビー・ジャージ姿は、シャツ、パンツ、ソックス、シューズのトータルで、あらゆるスポーツ・ユニフォームの中で最も美しいものだと私は確信していた。
ああ、人生幸朗のように(これも古すぎるかも知れない)ぼやきは続いてしまうのだが。早稲田大学の今のジャージは何とかならないだろうか。従来、伝統の赤黒の段柄ジャージで、あの色合いが好きなファンも夥しい数いると思う。ところが、数年前からついたスポンサーのトレードマークの3本線を肩に入れてから、とんでもなくカッコ悪い代物になってしまった。
秩父宮に行ったり、テレビで観戦したりするたびにがっかりしてしまう。あの3本線をパンツのスリットの上に入れるとか、ジャージの横腹の部分にさりげなく入れるという芸当は考えつかないのだろうか。ニュージーランドのオールブラックスも同じスポンサーだが、3本線のデザインをずっとスマートに取り入れている。
ここまで来ると止まらなくなってしまうが、日頃から感じていることを書いてしまいたい。話はラグビーのみに留まらない。
先日、久し振りにナイター中継を観て驚いてしまった。読売巨人軍の黒いユニフォームとロゴ、一体どうしてしまったのだろう。以前も胸に「YOMIURI」と書かれているのを見て当惑したことがあるが、今度のは呆れ返ってしまった。
巨人のユニフォームはV9時代のものが秀逸だった。ラインはオレンジ色を目立たせないもので、胸には、ホームは「GIANTS」そしてアウェイでは「TOKYO」の文字。シンプルでかつ威厳があったものだ。例えば、母国アメリカのヤンキーズのように、少なくとも基調のデザインだけは守り続けて欲しいと思うのだが。
最後に書きたいのは柔道着のことである。今まで書いたものとはニュアンスが違うのだが、大きな括りでユニフォームとして考えることができると思う。
「後生だから、一生のお願いだから、あの作務衣のような青い柔道着はやめてください!」
私の悲痛な叫びである。
青畳に映える白い柔道着に黒帯をキリリと締めた二人の柔道家が相対する。これが柔道の様式美なのだ。白と墨の色以外の色彩は一切いらない。百歩譲って赤白の紐をつける、これがギリギリの妥協点だと思う。
柔道着は白い故にはじめて柔道着。その柔道着には白帯も茶帯もみっともなくてまったく似合わないから、早く黒帯を締めたくて稽古を重ね、段位を取りに行ったものだ。
国際化のために青い柔道着が必要だったという意見があるが、「笑止!」である。国際化とは、世界に広めていくために伝統をなし崩しにしていくことでは決してなく、母国で育まれた様式文化を大切に正しく、世界に伝えていくことではないのだろうか。
でも、どう願っても白い柔道着同士には戻らないだろうなとあきらめて、それならいっそのこと、相撲のまわしのように緑だの金色だの煌びやかな柔道着にしてしまえば、と半ばふてくされた気持ちになるのである。
第82回:復活、吉野家の牛丼