第243回:流行り歌に寄せて No.53 「嵐を呼ぶ男」~昭和33年(1958年)
「裕次郎」と言えば、俳優としてよりも、私にとってはまず、中年男性のカラオケの定番というイメージが先行する。
『赤いハンカチ』『二人の世界』『粋な別れ』『夜霧よ今夜も有り難う』『恋の町札幌』『ブランデーグラス』、デュエット曲の代名詞とも言える『銀座の恋の物語』など。そこに60歳以上の男性が存在すれば、必ず歌いたがる人が出てくるような、有名曲が数多くある。
私もカラオケが好きになりだした頃、よく歌った。但し、上記の歌はほとんど歌うことはなく、お気に入りの曲は『夜霧の慕情』と『青い滑走路』の二曲。
『夜霧の慕情』は、昭和41年、裕次郎が桑野みゆきと共演した同タイトルの日活映画の主題曲である。この年大いにヒットした曲にしては、意外に歌う人が少ないのだが、好きな人は一様にその思いは深く、皆一つひとつの言葉をていねいに歌っている。
『青い滑走路』は、昭和50年、東京ロマンチカのリーダー鶴岡雅義によって書かれた曲。鶴岡自身のレキント・ギターの哀切な響きが強い印象を残しているのだが、こちらは歌う人はさらに少ない。私は中目黒で最初に通っていた居酒屋の板さんが、興が乗ったとき口ずさんでいるのを聞いてこの曲を知り、次に通っていた居酒屋さんのマスターにかけてもらったレコードでこの曲を覚えた。
さて、今回の曲を歌う人もなかなか少ない。なにせ台詞の部分がかなり難しい。歌いこなすというか、語りこなすのには相当練習を重ねなければならないだろう。
「嵐を呼ぶ男」(正式名:俺らはドラマー) 井上梅次:作詞 大森盛太郎:作曲 石原裕次郎:歌
1.
俺らはドラマー やくざなドラマー
俺らが怒れば 嵐を呼ぶぜ
喧嘩代りに ドラムを叩きゃ
恋のうさも ふっとぶぜ
「この野郎、かかって来い! 最初はジャブだ…ホラ右パンチ…
おっと左アッパー… 畜生、やりやがったな、倍にして返すぜ フックだ、ボディだ、ボディだ、チンだ
えゝい面倒だい この辺でノックアウトだい」
2.
俺らはドラマー 浮気なドラマー
俺らが惚れたら 嵐を呼ぶぜ
女抱きよせ ドラムを叩きゃ
金はいらねぇ オンの字さ
「この野郎、かかって来い! 最初はジャブだ…ホラ右パンチ…
おっと左アッパー… 畜生、やりやがったな、倍にして返すぜ フックだ、ボディだ、ボディだ、チンだ
えゝい面倒だ この辺でノックアウトだい」
3.
俺らはドラマー やくざなドラマー
俺らが叩けば 嵐を呼ぶぜ
年がら年中 ドラムを叩きゃ
借金取りも 逃げて行く
映画『嵐を呼ぶ男』の原作者であり、監督、脚本を手掛けた井上梅次が作詞をしている。
映画の中での、あの有名なドラム合戦のシーンの歌が、そのまま主題歌としてレコードにされたと思っていたが、なぜか少しだけレコーディングの際、歌詞をいじっているようである。
赤字部の「ホラ右パンチ…
おっと左アッパー」は、映画では「左アッパーだ… 右フックだ」となっているし、「フックだ」は同じく「チンだ」となっているという。言葉の並びに気を配ったのであろう。
作曲の大森盛太郎は、映画でも音楽を担当しているが、この人は200作近くの映画の音楽を手掛けているプロの中のプロである。前々回、このコラムでご紹介した『有楽町で逢いましょう』の映画も、この人が音楽を担当している。
日本を代表するジャズメンが関わっているのも、この映画の興味深いところである。まず、裕次郎のドラム演奏のアテレコとなったのが、名ドラマー白木秀雄。この時、23歳にして「白木秀雄とオールスターズ」のリーダーであった人だ。
彼はいかにも昔ながらのジャズメンらしい、破天荒な生涯を送ったようだ。女優・水谷良重と結婚したり、アート・ブレーキーとのドラム合戦をしたりという栄光の時代を過ごしていたが、結婚の破局、自分の奔放な性格による相次ぐメンバーの脱退、プロダクションからの解雇という一転して転落の人生を辿る。
最後はアパートで腐乱死体として発見されるという荒れ様、まさにジャジーな生き方と言うべきか。
もう一人は、裕次郎演じる主人公国分正一のライバル、チャーリー・桜田を演じた笈田敏夫。日本のジャズ・ヴォーカリストの第一人者である。
何せ、ジャズ雑誌『スイング・ジャーナル』のミュージシャンの人気投票で通算26年、日本の男性ジャズ・ヴォーカリスト部門で1位に選ばれているのだから、もう圧巻である。
海軍から帰還後、いくつかのバンドを転々としつつ慶應義塾大学で学び、32歳の年で卒業、その翌年にこの映画に出ている。
私はこの映画を断片的にしか観た記憶がない。今度借りてきて、その音楽を中心に、じっくり鑑賞したいと思っている。
-…つづく
第244回:流行り歌に寄せて
No.54 「あいつ」~昭和33年(1958年)
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