第86回:紀ノ川を3回渡って -南海加太支線-
更新日2005/02/24
みさき公園駅からさらに南下。南海本線はここから海を離れて丘陵地帯をゆく。山の緑は夏の盛りを過ぎて色褪せている。しかし、色づき始めた木々もあって、山肌にちらほらと黄色が見える。とりたてて言うほどのこともない、地味な風景のようでいて、緑色の明暗や日なたと日陰の光の差が風景に変化を与えている。海や空がいつも同じ青色ではないように、山の緑も同じ色はひとつもない。私は長良川鉄道で見た春の山肌を思い出した。
秋の色褪せた緑もいいものだ。
正午を過ぎて陽射しがやや傾く。車窓の上辺に太陽がかかり、その光線がふいに下から射し込む。ため池に反射してキラキラと輝いている。目を上げるとノーリツという大きな看板が見えた。自然に抱かれた工場の姿は好ましい。切り開かれてしまった山には申し訳ないけれど、なにか美しいものを作っているような気がする。
電車は紀ノ川駅を出ると大きな川を渡った。やはり川面が輝いている。山ばかりの景色から、ふいに大きな川が出てきたのではっとする。海と山ばかり眺めていたので、川の存在を忘れていた。橋を渡り、ちょっと間をおいて、川か、と気付く。陽射しに温められて眠気が増し、反応が鈍くなっている。写真を撮ろうかと思ったときには渡り終えていた。
寄り道を続けながら、やっと南海本線の終点、和歌山市駅に到着した。それでも時刻は13時を過ぎたばかり。今朝7時に大阪について、まだ6時間しか経っていない。今日はこの地で投宿する予定だが、その前に和歌山周辺の南海の支線を乗り潰す。加太線、和歌山港線、貴志川線だ。改札を出ず、駅舎から最も遠い位置にある加太線のホームに行く。長い本線用ホームが前後に分けられ、大阪寄りが加太線、残りが和歌山港線だ。加太線を往復した後、同じホームで乗り換えられるようだ。
加太線は地元の生活に根付いている。
加太線は2両編成のワンマン運転だった。大手私鉄の末端にあるローカル線だから、その様子には驚かない。しかし、乗客は多い。発車時刻が近づくほど、学生や家族連れが集まってシートは満席、立ち客もいる。もっと閑散としていると思ったけれど、乗客が多いことはいいことだ。私は運転席の後ろに立った。終点の加太までは23分。いままで座りっぱなしだったので腰を伸ばしている。
南海本線を戻り、再び紀ノ川を渡る。加太線の電車はすべて和歌山市から出発するけれど、路線の起点は紀ノ川駅だ。電車は紀ノ川を出ると左方向に分かれていく。沿線は住宅が多い。和歌山への通勤路線になっているようだ。住宅群の向こうに高い煙突と巨大なタンクがいくつか見える。地図を見ると近くに住友金属工場の大きな敷地があり、通勤路線でもあるらしい。地図には工場内の線路も描かれているが、それが加太線に繋がっている様子はなかった。後で調べると、加太線は住友金属からの貨物輸送も担っていたが、20年前に貨物列車は廃止されている。
陽射しが暖かく、さっき食べた団子が効いて眠くなってきた。駅に着くとドアから冷たい風が入って心地よい。駅をひとつ過ぎるごとに乗客が減っていき、シートが空いているけれど、座ったら眠ってしまいそうだから立ったままで居る。座っている人と時々目を合わせる。空いているのに立っているなんて不自然だと思われているかもしれない。痔が痛いのかと思われたら嫌だな、と思う。私はなるべく車内を振り返らず、窓の外を見る。磯ノ浦でやっと海が見えて、そこから陸の奥に入り、山裾をくねくねと走る。
磯ノ浦。一瞬の海。
加太駅前の広場は狭い。線路と道路に挟まれた格好で、クルマが数台とめられる程度だ。名所案内によると、1kmほどの距離に淡島神社がある。名前からして海が見えそうで景色にも期待できる。しかし私は次の電車で折り返す。未乗路線に乗る予定が詰まっているからだ。鉄道が目的の旅とはいえ、こういう仕儀はどうかと思う。多奈川からここまでの海岸沿いを、バスで乗り継ぐ、という手だてもあったはずだ。それも鉄道のほうが早い、と諦めてしまった。
加太は山裾の小さな駅。
和歌山市駅に戻る。また紀ノ川を渡る。何度見ても大きさ、川の広さ、橋と水面の美しさに圧倒される。初めて橋を架けたとき、人々はどんな思いだったのだろう。人は川岸に立ち、対岸が見えれば、船を造って渡ろうとし、なんとかしてそこに橋を架けようとする。目標が見えれば近づこうとする。人はそういう生き物だ。
橋を渡り終えるとき、なんとなく達成感を感じる。それは、向こう岸へ行きたいという本能が満たされるからかもしれない。
-…つづく