秩父鉄道は懐かしい車両を走らせている。その筆頭は蒸気機関車のC58型が牽引する『パレオエクスプレス』だ。しかし残念ながら今日は走らない。御花畑駅の掲示には、検査が長引き、4月、5月は運転できないとあった。検査自体が長期にわたるわけがなく、故障に違いない。全国各地で蒸気機関車が運転されているけれど、老体をだましだまし使っている。交換部品はなさそうだし、修理できる熟練工がいるかどうか。先行きが心配だ。
三峰口駅の構内には車両公園があった。帰りの列車まで間がないので、ホームから目をこらして眺める。古い電気機関車や黒い有蓋貨車、電車が並んでいた。秩父鉄道は秩父のセメントや石灰石を輸送する目的で建設された。創業は明治32年。日本が洋風建築による近代化を進めた時期であった。そして秩父鉄道では、現在も貨物輸送が経営の大黒柱になっている。ここに並んでいる車両たちは昭和初期、日本が国力を急速に高めた時期を担っていた。
三峰口駅構内に、懐かしい車両たちが並んでいた。
ホームには急行電車『さくら』号が停まっている。旧国鉄時代に活躍した車両で、内装も外装も新車のようにリフォームされている。昭和の後期に生まれ、電車に親しんだ私にとって、SLは珍しいけれど懐かしくはない。しかしこの急行電車は懐かしい。高校時代、上野から北へ向かう急行列車のほとんどがこの車両だった。
空いているので4人がけの席を独り占めし、靴を脱いで足を投げ出す。これもかつてこの車両で旅するときの定番の姿勢だ。ようやく列車の旅らしくなってきた。しかも嬉しいことに窓が開く。ガラス窓の下段を全開にしてみる。意外にも風は冷たく、慌ててガラスをおろし、少しだけ開けておく。陽射しが暖かいけれど風は冷たい。快適な温度の維持は難しく、多少の温度差は我慢しよう。自分がいかにエアコンに慣れきっているかを思い知らされた。
発車を待つ『さくら』号。
旧国鉄の165系電車を改造した電車だ。
秩父鉄道は三峰口から秩父、長瀞、寄居を経由して熊谷を結び、さらに東武伊勢崎線と接続する羽生駅に至る。全長は52.8キロ。このうち、三峰口から熊谷までは荒川に沿っている。この区間の開業は明治から大正にかけて、関東の鉄道としては歴史のある路線だ。荒川を水源とした地域は住みやすく、海運の便も良かったのだろう。南側が開けているから日当たりも良く、車窓から見ても住みやすそうなところだと思われる。
私が乗っている急行『さくら』号は、ふだんは『秩父路』号として運転されている列車だ。桜の開花時期は臨時急行を増発し、さらにすべての急行電車をさくら号に改称する。秩父全体で春の到来を喜んでいるようだ。さくら号は秩父路号が通過する武州中川駅に臨時停車する。この駅の近くにはしだれ桜で知られる清雲寺がある。
御花畑はお客さんがたくさん居て、たちまち席が埋まった。私も足をおろして靴に入れた。この時期はやはり桜を楽しむべきで、芝桜を愛でたあとは、長瀞の桜を巡る旅が順当だろう。三峰口で余分な時間を使わず、長瀞で途中下車する日程にすべきだったか。馬鹿と煙は高いところが好き、とはよく言ったものだ。
車窓を野生の桜が通り過ぎる。
秩父の中心地秩父駅を過ぎ、次の大野原駅を通過してしばらく走ると、線路がいくつも分岐して大工場と貨物ヤードが現れる。太平洋セメント株式会社の工場だ。かつての秩父セメントは、小野田セメントと合併し、さらに日本セメントとも合併して太平洋セメントになった。セメントは都市の建物にかけかせない建材で、都市が大きくなるために、大量に供給、輸送する必要がある。鉄道貨物はカラフルなコンテナ貨車ばかりになったけれど、ここは黒い貨車がたくさん並び、鉄道の貨物輸送が健在だと証明している。
青い電気機関車が、黒い貨車たちを率いて走る姿を見たい。しかし今日は日曜日だ。秩父鉄道は臨時列車を大増発して、サクラ観光に全力を注いでいる。貨物列車の入る隙はないだろう。
荒川と並行して走っているわりには川の姿は見えないけれど、親鼻駅を過ぎると唐突に荒川を渡る。ここからが長瀞である。川と直角に交わるから、車窓からの長瀞の眺めは一瞬だ。まだ明るいけれど午後4時を過ぎ、帰りのお客さんが乗ってくる。降りるお客さんもいる。どこかの旅館に泊まって夜桜を楽しむのだろうか。
長瀞駅を過ぎると谷間を走り、荒川が近くなる。川と線路が同じカーブを描いて蛇行する。長瀞を眺められなかった悔しさもあり、視線は川面を追っている。桜もちらほら見えている。
東武東上線と接続する寄居駅で、御花畑や長瀞で乗ってきたお客さんが降りていく。東京方面に戻るなら、熊谷に出るよりも早いからである。東京の鉄道は都心から放射状に延びており、秩父鉄道はその北側を横に結んでいる。全線を通して乗るお客は少ないだろうと思う。現在は西武鉄道が乗り入れているが、かつては東武鉄道や国鉄時代の高崎線も乗り入れていた。セメントを積んだ貨車も西武、東武、国鉄へと振り向けられていたけれど、西武と東武は貨物の取り扱いを廃止し、現在はJR経由だけになっている。
現在も貨物輸送が主力。
秩父鉄道が扱う貨車はセメントだけではない。電車も輸送する。東武鉄道は東上線系統と伊勢崎線系統の線路がつながっていない。しかし、羽生と寄居で秩父鉄道が接続しているから、車両を転属させる場合は秩父鉄道を経由して回送するのだ。
寄居から先の風景は開けている。田畑が広がり、住宅地域も散見する。熊谷への通勤圏なのだろう。武川の先で進行方向左がわに線路が分岐した。線路は視界の先に消えていく。これは貨物線用の線路で、JRの熊谷貨物ターミナルへ向かっている。
住宅がますます増えて、新幹線の線路をくぐる。高崎線と新幹線の間をすり抜けるように走って熊谷に着く。ここがさくら号の終点だ。羽生行きの電車がホームの反対側で乗り継ぎ客を待つ。私が乗っていた急行型電車は引き上げ線に収まり、ヘッドマークが『秩父路』に戻った。休日気分はもう終わり、とでも言いたげであった。
■第51回~54回の行程図
(GIFファイル)
2004年4月12日の新規乗車線区
JR:0.0Km 私鉄:105.5km
累計乗車線区
JR:15,616.7Km 私鉄:2,785.3km
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