ビジネスホテルの廊下から岐阜駅前を見下ろす。右手にJR岐阜駅の駅ビルが横たわり、正面の奥が名古屋鉄道の新岐阜駅だ。真下には路面電車、名鉄岐阜市内線の岐阜駅前停留所がある。しかし、その停留所の両端の線路は途切れていた。
ここから新岐阜駅前までの約400メートルは、岐阜駅前の再開発と道路整備事業のため運休している。運休期間は平成15年(2003年)12月1日から平成17年(2005年)3月31日まで。しかし、もう二度と走らないかもしれない。路線全体が廃止対象になったからだ。
駅前のホテルから、廃止された停留所が見えた。
名鉄岐阜市内線は、岐阜駅前からメインストリートを北上し、徹明町で西へ曲がり、国道157号線を走って長良川を越え、忠節に至る道路併用軌道である。岐阜の路面電車はほかに、徹明町から東に向かう『美濃町線』と、途中の競輪場前から田神を結ぶ『田神線』がある。美濃電気軌道として明治44年(1911年)に開業して以来、岐阜の路面電車として親しまれてきたが、今年(2004年)3月、名古屋鉄道はこれら3路線の廃止許可申請と、岐阜市内線が忠節駅から乗り入れる鉄道専用線の『名鉄揖斐線』の廃止届を国土交通省に提出した。廃止許可申請と廃止届の違いは、鉄道の路線廃止が届出制に緩和され、道路併用軌道は認可制のままだからである。
いずれにせよ、名鉄が撤退したいと表明した以上、許可申請は認可されるだろう。廃止予定日は来年3月である。しかし、名鉄は繰り上げたい意向を地元自治体に示しているという。止めたくて仕方ないのだ。となれば、なるべく早いうちに乗っておきたかった。
無人の岐阜駅前電停に立つ。待合い客用の屋根部分は板で覆われている。ここから岐阜駅とは100メートルほど離れており、間には大きな駐車場がある。かつて2階建てのステーションデパートがあった場所だ。岐阜駅周辺は、JRの駅ビル建設に合わせて、古いデパートを壊し、駅前広場と道路を拡張をする工事が進んでいる。
岐阜市内線の岐阜駅前の運休が報じられたとき、きっとJRの駅ビル近くに新しい停留所が作られるはずだ、と私は思った。豊橋鉄道の駅前電停や、江ノ電の藤沢駅のように、である。しかし、名鉄はそこへは行こうとせず、路線自体を打ち切った。
来ない電車を待っていても仕方がないから、次の新岐阜駅前電停へ歩いた。新岐阜駅は名古屋鉄道の北のターミナルであり、岐阜市内線の新岐阜駅前電停は実質的な起点駅だった。岐阜市内線はJR岐阜駅前の渋滞を嫌い、ほとんどの電車を新岐阜駅前で折り返させたからである。わずかに岐阜駅前に直通する電車も、新岐阜で運転を打ち切ることが多かった。確かにメインストリートと岐阜駅前の道幅は狭いし、岐阜駅前電停も新岐阜駅前電停も、JR岐阜駅との距離は大して変わらなかった。渋滞した電車に乗ったままでいるより、歩いた方がマシだ。そうであればこそ、名鉄も駅前再整備に期待し、岐阜駅のそばに新電停を造りたかったのではないか。
緑色の部分が乗降用スペース。
道路の中央に、2両編成の黒野行きの電車が停まっている。塗装は中日新聞の全面広告となっており、シドニーオリンピックの女子マラソンで優勝した高橋尚子選手の顔が描かれている。停留所名を示す標識はなく、路面電車特有の低いホームもない。アスファルトが緑色にペイントされた部分が乗降用スペースであった。
線路と歩道の間は1車線しかない。そこを岐阜駅前から出発したバスが走りすぎる。何台かのバスを見送ったあと、電車はゆっくりと走り出した。メインストリートといっても県庁所在地周辺にしては狭く、軌道を除くと片側1車線だ。商店が近くに見える。祝日の朝だから開いている店は少なかった。
交差点を左に曲がって徹明町電停に停まる。徹明町通りは岐阜市街の東西の要路になっており、道幅はやや広くなったけれど、相変わらず片側1車線である。クルマ社会がその状況を許容できるわけはなく、岐阜市内線では軌道への一般車両の通行が許されている。これが広島や豊橋の路面電車と岐阜市内線の境遇の違いである。
モータリゼーションの波に流され、辛くも生き残った路面電車は、最近になって省エネルギー、低公害な交通手段として再注目されている。低床タイプの新型車両の投入など、設備投資も進んでいる。しかし、それができるのは、路面電車と存在を共有するための、幅広い道路が必要だ。車線が多ければこそ、クルマを車線に封じ込めて、軌道内進入禁止という措置がとれるわけだ。
メインストリートも片側一車線……。
しかし岐阜市内は道路にゆとりがなかった。道路を拡幅するという措置もなかった。バスが停留所に止まれば、バスを追い越すクルマが軌道に進入する。追い越した先の車間が詰まっていれば、クルマは車線に戻れず、電車はクルマに詰まってしまう。バスならちょっとハンドルを曲げれば迂回できるけれど、路面電車は融通が利かない。バスでさえ、駐車車両を避けるために軌道にはみ出す。車線変更まではしないけれど、軌道にはみ出した車体を電車は避けられない。やはり停車してやり過ごすしかない。
そんな場面が続き、電車好きの私もイライラしてきた。電車に乗るだけが目的の私でさえこうだから、所用で乗る人には耐えられないだろう。路面電車を廃止すれば、この道路はもっとスムーズに使えるに違いない。そうか、こうして東京都電も消えていったのか。
道路の狭さは車線だけではなく電車のお客にとっても危ないものになっている。スペースを確保しにくいせいか、電停は路面の塗装だけで、しかも狭い。なんとか人が歩けるほどの幅しかない。電車が近づいたとき、車線に大型トラックが来たらかなり怖い。路面電車の乗客はお年寄りや免許のない若い世代だが、ここに立つくらいなら、歩道から乗れるバスの方がいいと思う。
そんな感想を持つ人が多かったのだろう。岐阜市内の路面電車を廃止する案は、地元の交通安全協会から名鉄に打診された。ずいぶんな内政干渉ぶりだが、赤字路線を無くしたい名鉄にとっては、これが渡りに船だった。赤字路線だったからだ。
長良川を渡る。
路面電車は、いかにも肩身が狭いとばかりに、市街地をゆっくりと走り、長良川にかかる大きな橋を渡る。ここはもっとも見栄えのする区間で、電車の写真を撮るならここで下車するといい。終わるべくして終わる路面電車の晴れ舞台である。
-…つづく