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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 
第435回:グンゼの町を歩く - 山陰本線 福知山 - 綾部 -

更新日2012/08/16



身支度を整えつつ、テレビのスイッチを入れる。天気予報は晴れだという。しかし曇り空である。ホテルを出ると空気がひんやりとしている。今日はどんな一日になるだろう。小浜で遊覧船に乗るつもりだから、天気予報を信じたい。

福知山駅06時59分発の普通列車、東舞鶴行きに乗った。電車は223系。二人掛け転換クロスシートがズラリと並んでいる。しかし窓の小ささが残念だ。大きな窓のほうが見晴らしがいい。もっとも、小さな窓になっている理由は、座席ごとにブラインドを下ろせるようにという配慮だ。


山陰本線から舞鶴に直通する東舞鶴行き

ぼんやりと車窓を眺めている。山陰本線と聞けば、なんとなく鄙びた印象である。ところがこのあたりは高架であり、複線であり、電化されている。両側の景色も住宅が続いており、都市近郊の様相であった。その都会的な景色は隣の石原駅まで続き、そこから先は田畑が目立つ。線路と電車が都会的だから、田園風景も近郊私鉄の終点付近のようだ。


福知山付近は高架区間

ところで、この電車は東舞鶴行きである。しかし私の予定表では綾部で降り、1時間後の後続の列車に乗り換えよと示されている。どちらに乗っても東舞鶴からは同じ列車に乗るから、綾部で1時間を過ごすか、東舞鶴で1時間を過ごすかの違いだ。私がなぜ綾部を選んだか、すっかり忘れている。東舞鶴駅から舞鶴港を散策しても面白そうではあるが、1時間では足りないと察し、舞鶴線の起点駅を表敬しようと思ったらしい。


次第に田園風景に変わっていく

その綾部駅に07時13分着。列車から降りた人々が散って私だけが残された。北側の駅前ロータリーはバスもタクシーもおらず閑散としている。はて、こっちは裏口かと思ったら、南側の出口も似たようなものだった。さてどうしよう、と携帯端末で地図を表示する。なんと、駅の北側の広大な土地はグンゼの敷地であった。しかも本社とある。


綾部着。115系も健在

グンゼといえば白いパンツ。私が子供の頃に着ていたパンツはグンゼばかりだった。その本社がここか……。なんとなく親しみが湧いてくる。さらに地図をスクロールしていくと、グンゼ博物館なる建物もある。この時間はまだ開館していないだろう。しかし、外観だけでも拝むとするか。


綾部駅前はちょっとさびしい

私は北口のロータリーに出た。正面に『グンゼ研究所』という看板が見える。グンゼの敷地にそって歩いて行く。アパートの建物が見える。敷地内に社宅もあるようだ。あたりがひっそりしている理由は、今が春休みの時期だからだろう。飛び出し注意の坊やの看板が色あせている。


ん?グンゼ研究所?

歩きながら携帯端末でグンゼを調べる。創業は1896年。小学校教員であった波多野鶴吉が、地元の養蚕を見学し、改善と振興を決意して創業した。グンゼは郡是と書いた。官僚で殖産興業の先駆者、前田正名の言葉、「今日の急務は国是 県是 郡是 村是を定むるにあり」に感銘を受けたという。何鹿郡の是とならん、と思いを込めた郡是製絲株式会社であった。

グンゼは創業からわずか4年でパリ万国博覧会の金牌を受賞。日本の製糸業をリードする存在となった。舞鶴港からの輸出も成功したのだろうか。1967年に社名が「グンゼ」となった。1996年に創立100年を記念して、旧本社を「グンゼ博物苑」として開放した。1967年は私が生まれた年であり、1996年は私が会社を辞めて独立した年だ。パンツなりアンダーシャツなり、常にグンゼを着用してきた。おかげで私は裸で過ごしたことはない。


グンゼ本社通り

グンゼ博物苑の周辺は道路が整備され、洒落た外灯が並んでいる。工場設備は最新式だろうと思うけれど、沿道から見える建物は古き良き時代を残している。ヨーロッパを手本としたデザインで、このあたり、グンゼ王国の城のようでもある。平成19年度の近代化産業遺産というプレートを見つけた。

わかっていたことだが、グンゼ博物苑はまだ開いていない。調べてみると開館日は木金土日で、要予約らしい。もしここに留まったとしても見学はできなかった。また近くに来ることがあったら立ち寄ってみよう。

この旅から帰って、あらためてグンゼの公式サイトを読んでいくと興味深かった。波多野鶴吉は教育者だっただけに、従業員の教育や平等にこだわり、かなり高待遇だったようだ。また、地元の養蚕農家からなるべく高く買い取るなど、群の是に揺るぎなかった。社宅も寄宿舎の名残かもしれない。明治時代、日本を高めていくために、こうした起業家たちが各地に居たのだろう。


グンゼ博物苑

もっとも、波多野鶴吉については美談ばかりではなかったようだ。山岡荘八が波多野鶴吉をモデルに書いた『妍蟲記』では、教員になる前の波多野鶴吉のなかなかの放蕩者だったそうだ。しかしその放蕩もまた、絹への興味につながっていくから面白い。『妍蟲記』を読んでみたい。しかし絶版になっており、入手は困難である。

現在のグンゼは、工業用プラスチックや医療用縫合糸、タッチパネルなどでも活躍しているという。繊維加工技術の延長であったり、人と触れる製品の技術を活かしているようだ。

朝の散歩が、思いがけず社会科見学となった。グンゼの敷地付近にコンビニがあって、帰りに立ち寄ってみた。グンゼの町を訪れた記念にパンツを買おうと思ったら、並んでいる商品はBVD(フジボウ)ばかりだった。綾部の人々よ、これでいいのか。

-…つづく

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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