第389回:波乱のスタート - ムーンライトながら2011 -
臨時列車になっても、東京と大垣を結ぶ夜行快速『ムーンライトながら』は相変わらずの人気だ。いまでは鉄道ファン以外にも知れ渡り、8月半ばはコミックマーケットへ向かう人々で満席だった。そうでなくても夏休みは満席続きで、思い立ったら旅に出るという感覚ではチケットを取れない。とりあえず指定券の自動販売機に向きあって、空いている日を探して窓際の空席を確保した。行き先はあとで決める。
夜の東京駅の風景
いま最も乗りたい列車のひとつ。サンライズを見送る
出発までの10日間、乗りつぶし地図の未乗区間を眺めた。関東はもちろん、東海地区の路線もほとんど乗りつくした。岐阜から高山本線で北上するか、伊勢方面の未乗路線を片付けるか。あるいは、いっそ大阪まで足を伸ばして、大手私鉄を攻めるか……。問題と時間と資金の都合もある。9月にM氏と東北へ遠征する計画だから、なるべく資金は温存しておきたい。
18きっぷで夜行日帰り。その範囲にある未乗区間は関西本線の亀山 - 柘植間、紀勢本線の亀山 - 津間、参宮線の多気
- 鳥羽間と、その周辺の私鉄だった。伊勢方面はもっと時間を取ってお伊勢参りをしてみたかった。三岐鉄道は貨物鉄道博物館の開館日に合わせたい。今回はそのタイミングから外れている。だから今回はJR線だけ乗って、後日、私鉄で巡る機会を作るとしよう。青春18きっぷを持っていて、JR以外の路線に乗れば、時間もお金ももったいないではないか……と自分を説得した。
東北新幹線に「がんばろう」ステッカー
青春18きっぷの旅で東京発のムーンライトながらを使う場合は、日付が変わる小田原までの普通乗車券を買う。これが定番である。そうすれば青春18きっぷが翌日からの1枚で済む。ただし、この方法は日付変更地点が横浜駅の場合はよかった。都内から横浜までの普通乗車券が500円前後だからだ。しかし今は小田原までの乗車券が必要だから、1,000円ほど余計にかかる。1,500円だとすれば青春18きっぷの1回分、2,300円とさほど変わらない。普通乗車券を買うくらいなら、朝から青春18きっぷで出かけて、そのまま『ムーンライトながら』に乗ったほうがいい。
ポケモンも東北にエールを送る
そこで私は、8月30日の朝から青春18きっぷを使い、日帰りの用を済ませた。暑い日だったから、いったん自宅に帰り、シャワーを浴びて出かけようと思っていた。しかし、昼間に出かけた土地の居心地が良くて、もたもたしていたら東京駅着が22時頃だった。『ムーンライトながら』の発車は23時10分だから、自宅に帰る時間はない。私は東京駅に留まり『ムーンライトながら』の発車を待った。ちょうど寝台特急『サンライズ高松・出雲』が発車する時刻だった。やっぱり寝台車がいいなと、指をくわえる心境で見送った。
疲れた通勤客を乗せて湘南ライナーが出発
安物のスニーカーの底が剥がれかけたので、売店で瞬間接着剤を買ってホームで修理する。静岡からの各駅停車が到着した。JR東海の373系特急電車を使っている。私はこれが折り返して『ムーンライトながら』になると勘違いしてしまった。それは『ムーンライトながら』が定期列車だった時代の話だ。臨時列車となった今の『ムーンライトながら』は、国鉄時代の特急電車を使っている。373系より古い車両だけど、こちらのほうが私は好きだ。乗降口と客室に仕切りがあって、車内がいくらか静かだからである。
静岡から各駅停車でやってきた373系
もっとも、やはり古い車両はガタがきている。私の隣に20代くらいの男性が座ったものの、リクライニング機構が壊れて固定されないらしい。いつまでもガタガタとやっていて落ち着かない。「これ、どうしたらいいんですかね」と困った顔で話しかけてきたから、「検札の時に車掌に言えば、代わりの席に案内してくれると思うよ」と応えた。「案内放送は満席だと言ってますけど」と不安げだ。「いや、指定券の重複や乗客同士のトラブルのために、手持ちの席があるはず」と返した。オンラインで発券するシステムだから、今どき重複発行もないだろうと思ったけれど、乗客トラブルはあるかもしれない。とっさに口に出したけれど、私はたぶん間違っていないと思った。
こちらが『ムーンライトながら』
発車時刻になったけれど『ムーンライトながら』は動かない。車内放送が入って、中央線にトラブルがあり、乗り継ぎ客を待って発車するという。『ムーンライトながら』はダイヤに余裕があり、浜松で長時間停車する。その貯金した時間を使うらしい。予想は当たり、しばらくして、浜松の停車時間を短縮すると放送が入った。買い物などの時間はなくなると、丁寧に付け加えた。深夜の浜松駅の売店は閉まっているけれど、乗り慣れた客は駅の改札を出てコンビニに行く。車掌はそれを見越している。
『ムーンライトながら』は定刻より1時間ほど遅れて発車した。なんだ。それなら家でシャワーを浴びる時間があったなと思う。予想外の事態だから、これを言っても仕方ないことではある。横浜を出てすぐに検札が始まった。私が青春18きっぷを見せると、黙って翌日の欄に明日の日付印を押した。
隣の青年は小田原までの普通乗車券と青春18きっぷを見せ、車掌に座席の件を申告した。車掌はすぐさま別の車両の窓際席を案内した。青年は私に礼を言って去った。彼は窓際の席を得て、私は隣に空席を得た。少し前に流行った言葉で言うと、『Win-Win』の関係であった。車掌の慣れた様子から、この席はいままでずっと修理されていないと思った。この座席番号を覚えておいて、次回は必ずこの席を取ろう。
大垣夜行の頃とは違い、カジュアルな姿の乗客が多い
一日の疲れのおかげで、私は浅いながらも眠り始めた。ふと眼を開けると小田原駅で、意外にも多くの乗客があった。若い女性も多い。この人たちは、日付が変わる前に小田原に来て待っていたのだろうか。旅慣れておらず、車内精算という方法を知らないかもしれない。かつては車内の照明を少し暗くしてくれた気がするけれど、今は防犯のためか、煌々と明かりが付いている。私は眠りと目覚めを繰り返した。小田原のあと、どこの駅で目覚めたかは定かではないから、深い眠りもあったようだ。
明るさに眼を覚ましたら、ホームの蛍光灯の光を浴びていた。ここは岡崎か、いや、豊橋かもしれない。少し大きな駅で、となりのホームに普通列車が待機している。また眠って目覚めた。似たような駅だ。さっきが豊橋で、今度は岡崎だろうと思った。またウトウトして目覚めた。あれ、やっぱり似たような駅だ。いや、同じ駅ではないか。
変だなと思ったら、車内放送が入った。先行する貨物列車が人と接触したため足止めされているという。なんだ。似たような駅が続くなと思ったら、1時間も豊橋に停まったままだったらしい。時刻表を開いてみたら、そもそも豊橋駅は通過扱いであった。
すっかり明るくなった岡崎付近
空が明るくなり始めた。また車内放送が入って、現場検証中だという。これは接触どころではないな、と思った。結局、列車は1時間と少し遅れて動き出した。夜明けの街を列車が走っている。線路脇の道路に、こちらを不思議そうに眺める人がちらほら。それはそうだろう。彼らにとってはいつもの時間に、ふだんは見かけない、古い特急列車が走っている。タイムスリップした気分かもしれない。
列車はなんどか徐行を繰り返した。事故区間を通過したせいもあるし、名古屋に近づいて、先行する通勤通学列車に詰まった状況でもある。車内放送によると、名古屋到着は1時間25分遅れだという。さて、今回の私の日程は最初の列車からズレてしまった。まあ、なんとかなるだろうし、なんとかするつもりではある。このあとの旅は順調に続いていくけれど、最後に大きなツケとなって残ってしまう。この時の私は、まだそんな結末を知る由もなかった。
約1時間半遅れで名古屋着
-…つづく
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