第727回:神話世界のホルンフェルス - 山陰本線 東萩~益田 -
東萩を発車すると、列車はしばらく市街地を走る。萩の市街は三角州の外側に拡大し、入り組んだ海岸線と中国山地の裾の隙間を埋め尽くしている。そして越ヶ浜駅はその名の通り海沿いにある。ただし車窓に浜らしい様子はなく、民家の屋根越しの向こうは船が並んでいた。マリーナ萩というレジャーボート用の施設だ。
ひとり1ボックス、快適なローカル線の旅……
駅前マリーナとは興味深い。ここに船を預けて、列車で乗りに来る。もっともレジャーボートのオーナーならクルマで来るだろう。いやまて、東京・大阪からクルマはキツい。飛行機と列車を乗り継いで訪れないか。いや、船上でパーティーをするなら荷物があるし、レンタカーを使うだろう。駅とマリーナのマリアージュは難しそうだ。3階建ての横長のアパート、その隣のホテルは営業していない。「萩たなかホテル」と看板にある。調べてみると、2014年7月に休館していた。バブル経済期はマリンリゾートとして賑わった頃もあっただろうに。悲しい景色が通り過ぎた。
山陰の海岸を楽しむ
列車は右へ曲がって海岸線を離れた。谷に沿って上っていき、下りも別の小川の谷に沿う。海岸線を進むより、谷をなぞり、山を越えた方が建設しやすかったか。あるいは海岸沿いに線路を敷く土地がなかったか。いまは海岸沿いに国道が通っている。歴史と当時の技術が選んだルートの変遷と言うべきか。
波は穏やかだ
ひと山越えた長門大井駅で対向列車とすれ違う。向こうも1両であった。乗客が少ないからであるけれど、それでもしっかり1両で運行する。「毎日キッチリと動いているぞ。何が不満かな」、そんな雰囲気。鷹揚でもある。こんな風景があるからこそ、山陰本線は偉大なるローカル線といわれている。
宇田郷駅、防波壁が残念
長門大井駅を発車し速度が上がってきたところで、車窓に海が広がった。そこで列車の速度が落ちる。奈古からまた内陸を直行して木与へ。木与からまた海沿いへ。また速度が落ちる。なぜ減速するのだろう。海に近すぎて線路に潮風や浸食の影響があり、要注意区間になっているか。いや、もしかしたら風景を見せるためのサービス徐行かもしれない。いずれにせよ、真下に海という車窓が続く。良い眺めだが海は鉛色である。つくづく曇天が恨めしい。
眼下に海、海の景色ばかり撮っている
須佐駅に到着。「地質の宝庫 須佐!」という看板がある。海に突き出した崖の絵で、下の方に「須佐ホルンフェルス」という白抜き文字。ホルンフェルスを簡単に言うと、「地層にマグマなどの熱が加わり、1つの岩のようになった状態」らしい。なかでも須佐ホルンフェルスは国内では珍しく、地質学者に知られているようだ。絵の崖は確かに縞模様の地層に見えて、これ全体が一つの岩だという。須佐はほかに、高山磁石石、道永の滝、畳が淵の柱状節理、イラオ火山灰層など珍しい地形が多いという。なるほど、それだけあれば「宝庫」を名乗っても良いか。
須佐駅、駅舎は新しい
須佐は須佐之男命(スサノオノミコト)にちなむ土地で、須佐の王が転じてスサノオになったという説がある。神の名になる土地と、神の名をいただく土地はどちらが多いのか。いよいよ出雲の国、神話の世界に入ったなと思う。
その須佐駅で4人降り、入れ替わりに元気なおじいさんが3人と、アジア系外国人の女性客の2人連れが乗ってきた。みんなよく喋り、車内が賑やかになった。そんな車内の明るさとは対照的に車窓が暗くなっていく。飯浦駅に着く頃は土砂降りだ。運転士さんの案内放送によると、山陰本線の出雲方面は運休になったという。どの駅から運休だろう。この列車はまだ走るらしいけれど。
また海。夏は海水浴ができそう
ふと、前回のこの区間の乗車を思い出す。列車が遅れて、長門市から宍道、木次にたどり着けなかった。結局、あの時は列車の中でホテルをキャンセルし、益田のビジネスホテルを取り直した。さて、今回、私は益田にたどり着けるだろうか。たどり着かなければ困る。今日は宿泊しない。益田から山口線で南下し、新山口から新幹線で帰宅する予定だ。念願の「SLやまぐち号」の指定席を取っている。
益田市に入る海側の車窓も民家が増えてきた
列車はずっと内陸を走り、海が見えてしばらくすると戸田小浜駅に着いた。ここで列車交換、相手は2両の東萩行きだった。こちらもあちらも定時運転で、運休区間の影響は小さいようだ。海岸線を映した車窓が、こんどは市街地の景色を見せてくれる。09時50分。民家が多い割りに駅はない。もっとも、あと3分ほどで益田であった。高津川の大鉄橋を渡り、車窓右手に山口線の線路が近づいてきた。09時54分、益田駅到着。定時。ほっとした。
高津川を渡る。雨が上がり、薄日が差している
益田駅に到着。全区間乗り通した客は私だけだった
-…つづく
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