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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第231回:流行り歌に寄せて No.41 「ここに幸あり」 ~昭和31年(1956年)

更新日2013/04/04

いよいよ、昭和30年代である。昭和31年から昭和40年までの10年間の流行り歌である。と力の入ってしまうのは、私が昭和31年1月の生まれだからだ。

これからの曲はすべて私の生まれた後の作品だとなれば、極端に言えばリアルタイムで聴いた曲ばかりとなり、俄然力が入る。そこで、さて記念すべき!? 昭和31年1月リリースの曲はないかと探してみたが、残念ながら見当たらない。

まったくの蛇足だが、ジャズの世界では、レスター・ヤング、テディ・ウイルソンの『プレス・アンド・テディ』やチャールズ・ミンガスの『直立猿人』、ジョン・ルイスの『グランド・エンカウンター』などの名盤が昭和31年1月の録音。自分と同年同月生まれと、秘かに誇らしくほくそ笑んでいるのだが…歌謡曲にはないのだろうか。

この年の最初に生まれたヒット曲が、3月に発売された『ここに幸あり』。これも繰り返し、繰り返し母が歌っていた歌であり、おそらく私は、ずっと背中の上で聴かされていたのだと思う。

「ここに幸あり」 高橋掬太郎:作詞 飯田三郎:作曲 大津美子:歌 

嵐も吹けば 雨も降る

女の道よ なぜ険し

君を頼りに 私は生きる

ここに幸あり 青い空


誰にもいえぬ 爪のあと

心にうけた 恋の鳥

ないてのがれて さまよい行けば

夜の巷の 風かなし


命のかぎり 呼びかける

こだまのはてに 待つは誰

君によりそい 明るく仰ぐ

ここに幸あり 白い雲


歌手の大津美子は、今から60年前の昭和28年、愛知県豊橋の桜ヶ丘高校1年生の時、作曲家渡久地政信に弟子入りする。

わずか15歳の少女が、毎週土曜日の東海道線の夜行に乗って上京し、翌日の日曜日、渡久地による昼のレッスンを受け、再び帰郷し、翌日から一週間高校へ通うという生活をしていたのだ。まさに「根性」という言葉が相応しい姿勢である。

そして、その翌々年の昭和30年7月、渡久地に作ってもらった『千鳥のブルース』でキングレコードから念願のデビューを果たし、2カ月後の9月、やはり恩師の作曲による『東京アンナ』は大きなヒット曲になる。渡久地にとっても『上海帰りのリル』『お冨さん』に続く名作となった。

その渡久地がキングからビクターに移籍したため、悲しむ大津は新たな「恩師」探しをしなくてはならなくなるが、彼女は強運の持ち主だったのだろう、キングはすぐに飯田三郎を紹介することになる。

飯田は、同じ北海道根室出身の作詞家・高橋掬(きく)太郎と組み、岡晴夫の『啼くな小鳩よ』などのヒットを出していたが、昭和31年同じコンビで『ここに幸あり』を作り上げた。

この曲は、同コンビでの作品『かりそめの恋』『東京恋歌』などに続き、キングの専属歌手三条町子が歌うために用意されたものだった。ところが三条は出産を控えていたため、後輩である大津に歌う機会が回ってきたのである。

大津は、実力、根性とともに強運の持ち主の歌手だったともいえよう。『ここに幸あり』の歌詞の内容を見れば、当時30歳を過ぎていた三条が歌うのに適した、女性としての多くの苦労を経験してきた、いわば「大人の女」の曲である。

それを急遽、まだ高校を卒業するかしないかの「娘さん」である大津が歌い、今でも多くの人に歌い継がれるようなスタンダードになったのだから。そして、大津は75歳を迎えた現在でも、現役の歌手であり続けている。

ところで、作詞家の高橋は『酒は涙か溜息か』『利根の舟歌』『雨に咲く花』『古城』などの素晴らしい歌詞を書いた人であるが、このコラムには初めての登場である。

彼の手による今回の『ここに幸あり』の歌詞。テレビなどでは1番と3番はよく歌われるので耳に馴染んでいるが、2番の歌詞を今回写していて少なからず驚いた。

1番と3番に歌われる「君」以外の男性との辛い恋の体験を、抽象的な表現ながら、しっかり描き込んでいる。この2番がないと、この歌の真意が理解できない大切な部分であると思う。

2番の体験により「君」の存在が、よりかけがえのないものになるような、そんな気がするのである。

-…つづく

 

 

第232回:流行り歌に寄せて No.42 「若いお巡りさん」 ~昭和31年(1956年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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