第421回:流行り歌に寄せて No.221 「ひとり寝の子守唄」~昭和44年(1969年)
私は、最初にこのレコードが発売された頃には、あまり聴いた記憶がない。デビュー曲の『赤い風船』もリアルタイムでのことは覚えていないし、両方の曲ともはっきりと認識したのは、18歳の晩夏に上京して来た後のことである。
だから、私にとっての最初のおときさんの曲は『知床旅情』であって、それまでに十数枚に及ぶシングルレコードを出していたことは、当時まったく知らなかった。
『ひとり寝の子守唄』が出てから5年ほどして、私は東京で初めての一人暮らしを始めたが、この曲ほどではないけれど、四畳半一間の暮らしはかなり殺風景なものだった。
天井をネズミが動き回るようなことはなかった(これは、その後のアパート生活でも一度も経験したことがなく、大変ラッキーなことである)が、ゴキブリには随分手を焼いている。
煎餅布団に、もみがら枕ではないが、ポリエステルか何かのわた詰め枕を置き、確かに寒さが沁みる夜などは、体育座りをそのまま横にしたようなスタイルで、ひざを温めながら眠った。
アパートの目の前をバスが走っていたので、始発のバスが通る時には、ガラス窓がガタビシ音を立て、目覚まし時計をかけていなくても、朝6時半くらいには目を覚ますことができた。ただ、これは慣れてしまうとそんなに神経質に起きることがなくなり、目覚ましが必要にはなったが。
それでも、この曲のようなしみじみとした思いを持って一人暮らしをしていたわけではなく、ただ猥雑で、エネルギーの持って行き場に不自由をし、何かに腹を立てながらも、かなり能天気な生活をしていたと思う。
ただこの曲を聴くと、もうそろそろ50年前になる、上京してきた当時のアパートの風景が蘇ってくることだけは確かである。
「ひとり寝の子守唄」 加藤登紀子:作詞・作曲 森岡賢一郎:編曲 加藤登紀子:歌
ひとりで寝る時にゃよおう
ひざっ小僧が寒かろう
おなごを抱くように
あたためておやりよ
ひとりで寝る時にゃよおう
天井のねずみが
歌ってくれるだろう
いっしょに歌えよ
ひとりで寝る時にゃよおう
もみがら枕を
想い出がぬらすだろう
人恋しさに
ひとりで寝る時にゃよおう
浮気な夜風が
トントン戸をたたき
お前を呼ぶだろう
ひとりで寝る時にゃよおう
夜明けの青さが
教えてくれるだろう
一人者(もん)もいいもんだと
ひとりで寝る時にゃよおう
んーんん んーんんんー
らららら らららーらら
らーらら ららーらら
らーらら ららーらら……
資料によれば、この曲はのちに夫となる藤本敏夫を思って作られた曲だとしている。藤本は国際反戦デー防衛庁抗議行動に、ブント系の社学同のメンバーとして参加し、それにより逮捕されて8ヵ月間勾留された。その時期に書かれたものだという。
また、この曲を初めて聴いた森繁久弥は「誰が歌っているのだ。これはツンドラの寒さを知っている声だ」と呟いたそうだ。加藤はハルピン生まれ、森繁は旧満州からの引き揚げ者であり、共感するものがあったのだろうとも、資料には書かれてあった。
歌というものは不思議なものである。その曲や歌い手の背景というものを知ってから聴くと、それはかなり違った響きで私たちの耳に入ってくる。「背景」がさながら旨味スパイスのような役割をして、歌に深みを与えるように感じる。
あるいは、それは小説などの文芸であったり、絵画などの美術の世界でもあることなのだろう。けれども、それは確かにそうかも知れないが、背景を知らず「歌」そのものを聴いたときの印象が、実は最も大切なのではないかと思うのだ。
小説を読むときに、その作家の年譜を辿ったり、ヴァイオリンの演奏を聴くときに、その演奏家が師事した音楽家の名前を知ったり、絵画を観るときに、その作家が何派に所属しているかを調べたり、それはより多くの角度から鑑賞するのには必要なことではあるだろう。
私にとって『ひとり寝の子守唄』は、西武新宿線・井荻駅近くのバス通りに面した四畳半のアパートでの暮らしを思い出させてくれるもので、塀の中の世界や、大陸の凍てつく風を彷彿させるものではない。
ところで、加藤登紀子は3年前の昭和41年に『赤い風船』で『第8回レコード大賞新人賞』を受賞していたが、この曲で『第11回日本レコード大賞歌唱賞』を受賞している。
同じくレコード大賞歌唱賞を受賞した『池袋の夜』の青江三奈と『人形の家』の弘田三枝子の二人は、揃ってこの年の『第20回NHK紅白歌合戦』に出場したが、加藤登紀子は選ばれていない。翌々年の昭和56年の『知床旅情』による初出場まで待たなくてはならなかった。
それは『ひとり寝の子守唄』が作られた背景について考慮した放送局が下した判断だと考えるのは、偏狭な見方だろうか。
第422回:流行り歌に寄せて No.222 「白い色は恋人の色」~昭和44年(1969年)
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