第125回:ラグビー、外国人助っ人列伝(3)
更新日2008/07/31
トニー・ブラウン(Tony Eion Brown)は、昨シーズンのトップリーグでの外国人選手としての話題を独り占めにしまったファースト・ファイブ・エイス*(背番号10番)だ。
とにかく、ボールのあるところにはいつも彼の姿があって「トニー・ブラウンはグラウンドに5人いるようだ」と評されることもあった。相手チームは厄介なことだろう、19人いるチームと戦わなければならないのだから。
一度、トニー・ブラウンが肋骨にひびが入っていたのか、いつもよりかなり動きが悪いと見えるときがあった。それでも彼はグラウンドに3人はいたのである。
1995年、オタゴ大学在学中の20歳の年にオタゴ州代表に選ばれて、その後2004年まで10年間州代表であり続ける。1996年には当時のスーパー12(現在スーパー14)のハイランダーズに所属し、こちらも1994年までプレーを続けた。
その間、ニュージーランド代表、オール・ブラックスとして活躍し、キャップを18得る。パス、ラン、キックのこのポジションに必要なスキルを充分に持った上で、さらにフォワードの選手も難なく薙ぎ倒してしまうタックラーとしても怖れられていた。
さらにモール、ラックのシーンでも、自分を必要であると判断すれば、躊躇なく身体を張っていく仕事量の多さ。このポジションの見本となるようなプレーヤーである。本来ならば、キャップを50保持していても一向に不思議ではない力を持っている。
ただ、当時このポジションにはまずアンドリュー・マーテンズ、そしてカルロス・スペンサーという天才肌のプレーヤーが続いており、オール・ブラックスの10番として定着できなかったのは、不運だったとしか言えない。
そのトニー・ブラウン、2005年度のシーズンから、日本のトップリーグのチーム、三洋電機ワイルドナイツに入ってきた。そして、その前年、前々年7位という位置に甘んじていたチームを、リーグ戦2位にすることに貢献した。
翌2006年度はリーグ戦5位となり、三洋はプレーオフ・トーナメントへの進出を順位1位差で逃す。ところが、最初の年はトニー・ブラウンのスキルにメンバーがついて行けなかったため、彼が浮いてしまうシーンが多々見られていたが、この年あたりからチーム内に、彼とのコミュニケーションが徐々に作られて来ていた。
そして、昨年の2007年度を迎えたとき、スクラム・ハーフ(以下SH)として一人の新人が三洋に入ってくる。京都産業大学出身の田中史朗選手だ。小柄で人なつっこい笑顔の、高校生いや中学生ぐらいに見える可愛い青年だ。ところがこの選手、その風貌では考えられない猛烈なタックラーで、後にジョン・カーワン日本代表監督に「ベビー・アサシン(暗殺者)」とまで評される男だった。
この一見少年のようなSHと、世界トップクラスの1FEのハーフ・バック陣が、大ブレイクをするのである。トニー・ブラウンにしても、初めて田中史朗を見たときは正直その力の程を計ることはできなかっただろう。「彼はトップリーグでやっていけるのか」と思ったに違いない。ところが、グラウンドでの田中のパフォーマンスを見て考えを変え、いろいろと指導をしていったのだと思う。
トニー・ブラウンはこの年、チームをトップリーグ・リーグ戦全勝、悲願の日本選手権初制覇に導く大貢献をした。それと同時に、わずか1年で無名のSHを、日本代表で世界の大男たちと渡り合える頼もしいSHに育て上げてしまった。
もちろん、日本代表になる素質を田中は持っていたし、並々ならぬ努力をしたことは間違いないが、トニー・ブラウンがいなければ、現在田中史朗は日本代表にはなっていなかっただろう。
そして、日本のシーズンを終えて休む間もなく、トニー・ブラウンは南アフリカに渡った。スーパー14の南アのクラブチーム、ストーマーズでプレーするためだ。スーパー・サブとして活躍し、チームは惜しくもプレーオフ・トーナメント進出は逃したものの、5位に食い込むことができた。ストーマーズでの彼のプレーぶりを何回か観たが、日本での戦いと比べ、一回りも二回りも大きな選手を相手に、日本とまったく同じようにプレーをしていた。本当の本物だった。
優勝監督である三洋の宮本勝文氏に、「彼はほんまにラグビーの虫ですわ」と言わせた、ラグビーが好きで好きで堪らないトニー・ブラウン、彼は今後も日本のラグビーに大いに刺激を与えてくれることだろう。ずっと注目していきたい。注目するのが心底楽しい。
-…つづく
*ファースト・ファイブ・エイス(First Five-Eighth、以下1FE)とは、ニュージーランドでよく使われる名称で、日本ではスタンド・オフと呼ばれているポジション、背番号は10番。ラグビーのポジションを8つに区切ったとき、5/8の位置に来るためこう呼ばれる。英国ではこのポジションをフライ・ハーフという呼び方をする。
ちなみに、セカンド・ファイブ・エイスとは、日本、英国などでは左の(あるいはインサイド)センター・スリー・クオーター・バック(以下CTB)と呼ばれ、背番号は12番。日本、英国で呼ばれている、右の(あるいはアウトサイド)CTBの背番号は13番である
つまり、ニュージーランドではCTBはひとり背番号13の選手のみとなる。日本、英国が12番と13番の選手を同じポジションと考えているのに、ニュージーランドでは10番と12番をそう考えており、ラグビーに対する概念の違いがよく表れており興味深い。
第126回:ラグビー、外国人助っ人列伝(4)