第235回:和製英語の実力
私の専門は言葉の科学ですから、美しい伝統に根ざした正確な言語生活を尊重します。 ですが、同時に言語は時代とともにあり、常に変化しつつあることも認めないわけにはいきません。
英語の場合ですと、小学生でも、いくつかの古い表現や言葉を覚えると15、16世紀の文書を読み、理解することができますが、日本語となると、ホンノ100年そこそこの江戸時代の文書、戯曲、小説を楽しんで読めるようになるには、外国語を学ぶのと同じくらいの覚悟と勤勉が要求されるようです。
さらにさかのぼって、平安時代となると、これ、同じ日本語なの? と思いたくるほど難しく、専門家の翻訳に頼るしかない……のが普通の日本人の古典の読解力ではないかしら。
うちのダンナさんの実家で、古い巻紙に筆で書かかれた手紙、曾お婆さん、曾お爺さんがダンナさんの父親に宛てて書いた普通の手紙ですが、出てきて、それを読もうとしたところ、古いことに割合詳しいと思っていたうちのダンナさんでさえ読み切ることができませんでした。崩した草書体で書かれた文字は、額に入れて飾りたいくらい美しいのですが、たかだか100年前の手紙を現代人が読めないのに驚かされました。
言語は生き物です。常に時代とともにあり、社会を反映し、変わっていきます。
初めて日本に来たとき、もう半世紀近く前のことになってしまうのかしら、日本に氾濫していた外国語らしきカタカナ語の氾濫に驚き、笑い、外来語に汚染されつつある日本語のために大いに嘆いたものです。
よく引き合いに出されますが、喫茶店の看板に出ている"モーニング・サービス"(Morning Service)は、英語で"朝の礼拝=ミサ"のことです。それにヒントを得たのでしょうか"Yesterday
Service"というのもありました。パン屋さんで昨日の売れ残りのパンを格安で売っているのです。これなど、絶妙な命名で、言語に新しい意味、価値を与えたと感心しました。
"シルバー・シート"(Silver Seat)も優れた造語でしょうね。銀色の髪のお年寄りのイメージが直接結びつき、ピタリと来る呼び方です。もちろん英語にはありません。
"ペーパー・ドライバー"(Paper Driver)も和製英語ですが、英語に"ペーパー・カンパニー"というのがありますから、免許証だけ持っていて車を持たず、運転もしない人をペーパー・ドライバーと呼んでもおかしくないのかもしれません。
でも、イメージとしてはトラック・ドライバー、タクシー・ドライバーの延長で、紙、書類の運びやさんのようにも響きますが…。紙に関連して"ペーパー・テスト"(Paper
Test)と筆記試験のことをそう呼んでいますが、これは英語では、"紙の品質検査"のような意味になります。英語では"Written
Test""Written Examination"となります。
"アニメ"という和製英語があります。もともとアニメーション(Animation)という元気、活気、それが転じて動画の意味になった言葉ですが、日本で新しい意味、"漫画""劇画""動画"のことになり、それもアニメといえば日本の漫画、動画を指すことになりました。それがアメリカや海外に逆輸出され、国際語として"アニメ"が固定してしまいました。今ではアメリカの若者、アニメファンでも、"アニメ"がもともと英語のアニメーションからきていることを知らないのではないかしら。
"Uターンラッシュ"も面白い言葉です。"ゴールデン・ウイーク"などで帰省し、自分の家に帰ってくるときのラッシュを実に上手く表現したものです。もちろん英語にはありません。
和製英語が豊富なスポーツで、なんといっても傑作なのは、野球で9回裏のホームランで"さよならホームラン"でしょう。アメリカ西海岸での実況中継で、アナウンサーが"さよなら、バイバイ、グッドバイ、アディオス、ホーマー"などとやっていますから、"さよならホームラン"が米語として固定する日が近いのかもしれません。
日本語と英語を混ぜて作った傑作は"アラフォー"でしょうか。アラッと言う間に、40歳になっちゃった感覚が言葉から滲みでてくるようです。
いまさら、"カラオケ"が和洋折衷語だと言う必要がないようなものですが、カラは空、空っぽのカラ、オケはオーケストラ、空っぽのオーケストラという造語でしょうか、カラオケはエスペラント語のように世界中どこへ行っても、そこの国の訛りで叫べば通じる国際用語になってしまいました。
日本語は中国、漢語の影響を受けて大きく変化してきましたが、これから話し言葉として、英語と掛け合わせた造語がたくさん生まれていくことでしょうね。
若い人たちが日常的に使う和製英語、和洋折衷の言葉には、彼らの日常生活にピッタリと密着した表現がたくさんあります。そんな言葉のいくつかは、標準日本語として固定するでしょうし、輸出され、外国でも受け入れられていくことでしょう。
今、日本人の若者が使っている日本語化した英語、和洋折衷の日本語が、100年後の日本人にとって不可解なものになっているかもしれませんが、それは言葉が生き物である以上、逃れられない宿命なのでしょうね。
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