第295回:流行り歌に寄せて No.100 「浪曲子守唄」~昭和38年(1963年)
この『流行歌に寄せて』の連載も、おかげさまで100回を迎えることができました。新しい年も迎えたことでもありますし、ここは気合を入れ直して書き進めていこうと思います。よろしければ、今年もしばらくお付き合いいただけると、大変うれしく存じます。
巡り合わせの順番とは言え、今回の曲はまったくお正月のイメージとはかけ離れたものだという気がする。けれども、昭和38年12月の発売ということだから、リアル・タイムでもこの季節に流れていたはずである。
そして20世紀のうちに200万枚を売るという、いわゆるダブル・ミリオンの大ヒット曲となった。あの絞り出すような、まさに浪曲調の歌い方を、当時小学2年生だった私たちは真似て歌ったが、決まって「そんな声出してたら変声期の時に声が出なくなってしまうよ」と母親に叱られてしまったものだった。
「浪曲子守唄」 越純平:作詞・作曲 一節太郎:歌
1.
逃げた女房にゃ 未練はないが
お乳ほしがる この子が可愛い
子守唄など にがてなおれだが
馬鹿な男の 浪花節
一ツ聞かそか ねんころり
(台詞)
そりゃ…無学なこのおれを
親に持つお前は ふびんな奴さ
泣くんじゃねえ 泣くんじゃねえよ
あんな薄情なおっ母さんを 呼んでくれるな
おい等も 泣けるじゃねえか ささ いい子だ ねんねしな
2.
土方渡世の おい等が賭けた
たった一度の 恋だった
赤いべべなど 買うてはやれぬが
詫びる心の 浪花節
二ツ聞かそか ねんころり
3.
どこか似ている めしたき女
抱いてくれるか ふびんなこの子
飯場がらすよ うわさは云うなよ
おれも忘れて 浪花節
三ツ聞かそか ねんころり
歌っている一節太郎は、昭和16年、新潟県の豊栄市出身。このヒットの2前の昭和36年、20歳で作曲家、遠藤実の内弟子第一号となり修行を積んだ。苦節数年と言われる人が多い中で、2年間で大ヒットを生んだのは早い方だと思えるが、20歳からの2年というのは、やはり長く感じられるものかもしれない。
作詞・作曲の越純平とは、今からちょうど10年前の平成18年、73歳で亡くなった人で、この曲の他には五月みどりの『熱海で逢ってね』『温泉芸者』などの作曲を手掛けている。また、人に依頼をされれば、一般の人々が作詞したものに加除訂正をし、そこに曲をつけるということも行ない、広く歌謡曲のために尽力した人らしい。
さて『浪曲子守唄』であるが、冒頭で「逃げた女房にゃ未練はないが」と歌ってはいるものの、随所に別れた妻への断ちがたい未練が漂っている。「おい等も泣けるじゃねえか」「おい等が賭けたたった一度の恋」「どこか似ているめしたき女」など、後ろ向きな言葉が並ぶ。
確かに、世の中では別れた亭主のことについてうだうだと想い続ける女性よりも、その逆のケースの方がはるかに多い気はする。一時、「フォルダ保存」「上書き保存」などの言葉を使って、男女の恋愛について語られたことがあり。ある意味、的を得ていると思ったことがあったが、本当のところはどうなのだろう、よくわからない。よくわからないから、古今東西、恋愛の歌が歌われ続けているのかも知れない。
一節太郎の歌の世界、その2年後の昭和40年に、40万枚をセールスした『出世子守唄』でもまだ未練ごころは消えないらしく、切ない男親の心情を歌っているが、さらにその3年後、『浪曲子守唄』から5年の月日が流れた時に、大きな出来事が起きる。逃げた女房が帰ってくるのである。
世の中には、「よりが戻る」とか「元の鞘に納まる」という言葉があるが、絶望的な思いで恨み節を歌っていた男に、思いがけないどんでん返しがあったのだ。その詞の内容を記しておきたい。
「帰ってきた女房」 星野哲郎:作詞 叶弦大:作曲 一節太郎:歌
1.
切れてしまえば 夫婦(めおと)は他人
そんな強がり 言うたけど
かあちゃん恋しと 泣く子のために
破れ畳に 両手をついて
水に流そう 水に流そう 恋女房
(台詞)
坊や あれがお前の夢に出てきた かあちゃんだ
本物のかあちゃんだよ
さあ走って行って 大きな声で
「かあちゃーん」って呼んでごらん
そしてなあ しっかり抱いてもらうんだ
三年分 五年ぶん まとめて
しっかり抱いてもらうんだ
2.
銭はなくても 情けがあれば
やっていけると 思ったが
やっぱり子どもは 男の手では
まるく育って 行かないもんだ
しみじみ知った しみじみ知ったよ ダムの街
(台詞)
ほうら あんな無邪気な顔して 眠ってらあ
眠りながら 笑ってるぜ
こんな笑顔 おらあ
長いこと見たことないんだ
3.
子ども見たさに 帰って来たと
意地を張るなよ やつれ顏
親子の絆が どういうものか
じんとしみたぜ 裸の胸に
うれし涙の うれし涙の 子守唄
『浪曲子守唄』では女の子だったのが、0}:『帰ってきた女房』では男の子に変わっているが、これは明らかにセルフ・アンサー・ソングになっている。それにしても逃げた女房が帰ってきたことに手放しで喜んでしまっている男の姿が、恥ずかしいほど伝わってくる歌だ。わかってしまうんだよ、ご同輩、という気になるのである。やはり、ここらへんは男の方が情けないのだろうか。
さて『浪曲子守唄』は、他の歌謡曲のように同タイトルで映画化されている。レコード発売から3年後の昭和41年、鷹森立一監督の東映映画である。その後『続 浪曲子守唄』『出世子守唄』の『子守唄シリーズ』として好評を博し、一節太郎も歌手として全作登場している。
主人公の遠藤文吾役には千葉真一が扮し、息子の遠藤健一役は下沢広之によって演じられた。下沢広之とは真田広之の子役の時の名前(本名:下澤廣之)で、『浪曲子守唄』は彼が5歳の時の作品であり、デビュー作である。その後、この縁から、真田は中学入学と同時に、千葉の主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)に入団することになったという逸話もある。
-…つづく
第296回:流行り歌に寄せて No.101
「東京ブルース」?昭和39年(1964年)
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