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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第185回:流行り歌に寄せて No.2 「かえり船」~昭和21年(1946年)

更新日2011/04/07


田端義夫、大正8年(1919年)1月1日、三重県松阪市生まれの、今年92歳。おそらく、日本で最も長く生き続けている人気レコード歌手だろう。因みに、長寿で知られた淡谷のり子は92歳1カ月10日のご存命だったので、田端は、すでにそれを越えたことになる。

少年時代は、まさに赤貧生活を送る。幼くして父親を失い一家で大阪に出るが、学校にもまともに通える状態ではなく、小学校を3年生の途中で中退してしまう。栄養失調でトラホームに罹り、ついには右目が見えなくなってしまう。悲惨という言葉も憚られるような生活ぶりだったらしい。

その後名古屋に出て、様々な仕事の丁稚奉公をしながら生計を立てていたが、ディック・ミネのスタイルを真似、ギターもどきを自分で作っては歌を歌い、徐々に、流行歌の世界に憧れを持っていく。

そんな彼のまさに転機となったのが、田端が19歳の時、ポリドールレコードの新人歌手宣伝のために行なわれた新愛知新聞社(中日新聞社の前身の一つ)主催の素人歌謡コンクールに、姉の勧めで出場し優勝したことだった。

そして、ポリドールレコードの勧めで上京し、社長の家の書生をしながら歌手の修業を重ねていく。その後、絶頂期を何回か迎え、低迷期を何回も乗り越えながら永年歌い続けてきた。

そして、一昨年の元旦には自らの卒寿の祝いと、歌手生活70周年の記念アルバムを発売し、さらに歌い続けているのだ。日本歌手協会名誉会長も務め、まさに今もって現役の人なのである。

驚異的な現役生活の長さは、彼の艶福家ぶりとも繋がっているのだろう。とにかく、いつまでも女性によくもてる。結婚歴回、最後の子どもさんは還暦を超えてから生まれたと聞く。

私がカラオケで時々歌う『十九の春』、田端義夫出演バージョンのビデオは、20年前に作られたと考えても、彼はすでに72歳。それが、娘どころかまさに孫ほど年齢の違う女性との逢い引きシーンなどを演じてみせる。違和感はない。

『かえり船』  清水みのる:作詞 倉若晴生:作曲 田端義夫:唄
1.
波の背の背に 揺られて揺れて 月の潮路の かえり船 

霞む故国よ 小島の沖に 夢もわびしく よみがえる

2.
捨てた未練が 未練となって 今も昔の せつなさよ 

瞼合わせりゃ 瞼ににじむ 霧の波止場の 銅鑼の音

3.
熱いなみだも 故国に着けば うれし涙と 変わるだろう 

鴎ゆくなら 男のこころ せめてあの娘に つたえてよ

戦後間もなく、田端がテイチクレコードに移籍後初のヒット曲とあるが、私の印象としては、今から40年近く前の「懐かしのメロディー」での定番。

何やら古めかしいエレキギター(実は米国製のナショナル・ギターということが後から解り、思わず唸ったことがある)を水平にかまえて登場しては、「オースッ!」と大声で観客に呼びかけてから、この歌を歌い出す。この頃ちょうど今の私と同じ年格好だが、やたらテカテカした印象だったし、歌詞の意味もあまり考えていなかった。

それが、これが戦後間もなく作られた復員兵の歌だと気づいたのは、私が40歳を越えた頃で、そう思って詞を読み返してみると、しみじみとした哀感が伝わってきて、その郷愁を誘うメロディーとともに、いつしか私の愛唱歌になっていた。自転車で通勤する際も、すぐに、「なみ~のーせの~せにー~」となるのである。

今回、資料を調べてみて解ったのは、同じ3人により、昭和15年に作られた『別れ船』という出世兵士の歌があったことだ。例外的だが全部載せてみる。

『別れ船』  清水みのる:作詞 倉若晴生:作曲 田端義夫:唄
1.
名残つきない はてしない 別れ出船の かねがなる

思いなおして あきらめて 夢は潮路に 捨ててゆく

2.
さよならよの 一言は 男なりゃこそ 強く言う

肩を叩いてニッコリと 泣くのじゃないよは 胸のうち

3.
望み遙かな 波の背に 誓う心も 君ゆえさ

せめて時節の 来るまでは 故郷(くに)で便りを 待つがよい

皇紀二千六百年に湧いた年に、よくこの曲の出版が許されたと驚くのだが、もう一つ驚くことがある。6年を隔てて作られたこの二つの曲の詞は、見事に対をなしているのである。それぞれの1番2番3番の詞が、対応し合っている。実に見事な手法だと思った。そう言えば、作詞家の清水みのるは『星の流れに』を作った人だったことに気づく。なるほど。

さて話は戻るが、田端は戦後間もなくの大阪駅で、復員列車に揺られて帰ってきた夥しい数の兵士たちと出会したことがあった。その時、プラットホームのスピーカーからは音楽が流れていたが、ちょうど『かえり船』が流れ始めたとき、一瞬駅舎に静寂が訪れたという。

なかには目頭を押さえて聴き入る兵士もいて、このとき田端は、「歌手になって本当に良かったなあ」としみじみと思ったと語っている。

田端は年齢を重ねても、「苦しいからと言って、キーを落とせば歌が沈んでしまう」と考え、飽くまで原キーを変えずに歌っているようだ。そのために毎日のレッスンは欠かさず、歌唱の障害となる嗜好品は一切摂らない。現役最長不倒の記録を更新し続けるレコード歌手の心意気、私などはただただ圧倒され、言葉も出ないのである。

-…つづく

 

 

第186回:流行り歌に寄せて No.3 「胸の振子」~昭和22年(1947年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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